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軽率に千葉県被災地ボランティアに行ったら逆によかった話(2/2)

午後の部。

午前の部は下記です。
見てない人はそちらから見るとわかりやすいです◎

12:15 移動〜お昼ご飯

軽トラに器具を積み込み、富津市役所から現場まで移動します。軽トラに2人、自家用車に4人乗って2台で出発しました。時間もお昼時だったので途中コンビニに寄ってさっとお昼ご飯。
グループで話を聞くと、私と仲間1以外は、何度かボランティアに参加されている方々でした。自営業のAさん(仮)は、熊本地震や東北地震の時も自家用車でボランティアに向かった猛者と判明。

「一度行くと、他の被災地も気になっちゃって。つい行っちゃうよね。」

本人は軽く言ってましたけど、なかなか吐けない言葉だと思うんですよね。シンプルに尊敬。


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12:30 到着〜作業開始

写真の右側、オレンジ色の住まいが今回の依頼者宅です。

風景の後ろには、台風で穴が空いた屋根をブルーシートで覆っている家がたくさんあります。修理には瓦が大量に必要です、しかしこのご時世、瓦の大量調達が容易ではないことは想像に難くありません。瓦屋根の民家が修復困難な背景には、このような事情もあるようです。

まずは依頼者にご挨拶。

依頼者は食堂を運営する70代のご夫婦でした。1階が食堂で、2階が私室。奥さんが申し訳なさそうに、でも元気に笑顔で迎えてくれました。大変なのはご夫婦だろうに、そんなに気にせんでもええんやで...と思いましたが、自分が同じ立場ならきっと同じようにすると思うんですよね。旦那さんも作業中しきりに「ありがとうございます」と窓から顔を出していましたし、お互い様なんだけど、やってもらう方はやっぱり恐縮しちゃうんです。わかるわかる。
市役所で聞いていた「2階の畳の撤去」について話を聞くと、別日に別ボランティアが一度訪れていて、その時に撤去してもらったとのこと。何枚か今も残っているが、それを撤去すると床が抜ける可能性があるので取らずに残しているとのこと(ちゃんと相応の対策をしてもらったそう)。という訳で、畳の撤去は今回しませんでした。
また瓦礫全般はもう家から運び出し外の駐車場にまとめておいてくれたので、非常に作業がやりやすい現場でした。

実施作業をまとめると、

1)運び出すゴミ(=瓦礫)を分別する
2)軽トラにゴミを乗せる
3)集積場に運ぶ

上記を繰り返す作業になります。

まずは分別。鉄・木・プラスチックが混ざった家具を分解するので、分別は地味に力仕事です。しかしそこは慣れた方々が率先してやってくださって、私は仲間1と大学生と共に、ゴミをジャンルごとに分けて軽トラに乗せる作業をしました。グループとして分担がうまくできていて、迷いなく自分のできることを行えたと思います。判断は常にリーダーを頼り、経験豊富なリーダーは瞬時に対応していました。やっぱりリーダーは経験者じゃないと難しくない?私指名されてたらこんなうまく回らない!リーダーってすごい!
あと作業中は小さなカエルやヘビともご対面しましたが、田舎育ちなのでしんどくなかったです。虫が本気でダメな人は修復系ボランティアは難しいかもですね。

軽トラックに全ては乗せられなかったので、2巡する想定で積み込み、みんなで集積場へ。


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13:15 乗せたゴミを集積場で下ろす

私たちが行った場所はとても広い集積場でした(いくつかあるとのこと)。ボランティアだと伝え、集積場スタッフと共にゴミを下ろしていきます。
そこでリーダーから集積場豆知識が披露されました。

「お昼時に到着するのはまずい。集積場スタッフが全員休憩に入るから、下ろし作業を手伝ってもらえない。」

なるほどなぁ。でもスタッフ半々で交互に休憩すれば誰もいない状態は回避できるのでは???どうやらその辺の連携がうまく取れてないらしく、リーダーは日々提案しているのだそうです。コレだけじゃなく、他にも被災者・ボランティア・市職員の三者間で連携難が多くあるみたい。わかるわぁ。みんな「一刻も早い復興」という目的は一緒なのにね。

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お昼時を避けましたのでスタッフはいます。一緒に荷物降ろしてもらいました。鉄・プラスチック・木材・ガラスなどの素材軸、またはリサイクルできそうな家電・できなそうな粗大ゴミとで降ろす場所が変わります。

全部降ろして2巡目へ。
追加ゴミが増えたものの、想定どおり2巡で済みました。


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14:30 完了のご挨拶

2巡で全て撤去完了したので、依頼が終わったことをご夫婦に報告します。その際家内にお邪魔して、当時の様子や出来事、そして現状を聞かせていただきました。

・家に穴が空いてすぐ、雨で2階がずぶ濡れになった
・物資はすぐに配給されて、今でも余ってる
・電気が来るまではろうそくに頼っていた
・飼っている犬とミミズクは無事で今も元気
・自営業なので、食堂を再開しないと暮らしていけない

台風15号から21日経った被災者の言葉。上記に書けないくらいゾッとする話もお聞きしましたし、たわいない話もたくさんしました。息子や孫の話も。ミミズクの散歩の仕方とかも。ほんと色々。
ここで思い出したのが、Aさん(仮)が移動中の車内で言っていた言葉。

「力仕事もそうだけど、被災者の言葉を聞くのもボランティアだよね。言うことでストレスが発散できるだろうし、精神的に楽になる。」

めちゃ共感した言葉だったんですよね。本当に、確かにそうだった。
私奥さんとずっと話をしていたのだけど、奥さんとても楽しそうだったんですよ。ストレスは体を蝕んで行くし、溜め込んでいたことを話してもらえてよかったな。


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15:15 富津市役所に終了報告

永遠に続く気がしたご夫婦とのお話を切り上げてサヨナラし、富津市役所まで移動して終了報告。16:00想定だった終了時間は1時間ほど繰り上がりました。器具を返し、市役所で最後に飲み物をいただき、終了報告書をみんなで書いた後、即興グループは解散。

Aさんが我々を最寄駅まで送ってくださったのですが(めちゃくちゃ助かりました!)その最寄駅、電車来るのめっちゃ遅かったんですよね笑。もう一つの候補の駅の方が圧倒的に早かったという...この日最大のミスでした。こっちじゃなかった...

これでレポートは終了です。

ボランティア感想

「あ、行こう」で参加したボランティア。
前からボランティアには興味があり行きたいと思っていました。ただその理由は”興味があるから”で、慈善の意図は、正直ほぼないんじゃないかと思います(自分ごとなんですけど、感情論なので断定できません)。
行く前は、「こんな気持ちでボランティアに参加していいのか」という、よく言えば正義感が働いて躊躇していたわけです。ボランティアと言えば世間的には慈善活動で、ボランティア=慈善活動と言ってもいいくらいなのに、私はその気持ちが一切ない(かもしれない)まま参加することが悪いことのように感じていました。併せて、参加表明した後も、会社の人から「参加して偉いね」と言われることに、非常に疑問を感じていました。偉いとはなんぞや?偉いも何もあるかい。

なので今回軽率に行けてよかったです。会社のCSRの一環なので一人ではないし、現地の様子も見れました。こんなヒョロガリでもやれることがあるとわかりました。誰もボランティアを強制する人はいませんでした。


もし行くの躊躇している方がいましたら、
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