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この寂しさと悲しみは私だけじゃないと信じている

 楽しくて賑やかな物語よりも、寂しい物語の方が好きだ。実際は、好きというより心への負担が軽いだけ。明るい物語は、自分にはちょっと衝撃が大きくて、ごっそり体力を奪われる。
 正直になれる友達がいない。その上、自分だけで壁を越えていける力と勇気もない。だから悩んだままで、苦しい。打ち明ける勇気もない癖に、言いたいことを言えない辛さばかりで心が一杯になる。
 街に出ると、当たり前のように世界が動いていて、人々で賑わっていて、友情や愛の匂いで溢れている。その中を独りで掻き分けていく。何を見ても誰と会っても、寂しい人間は私だけだと強く感じる。

 もう寝た方が良い真夜中、何の用事も無いのに目が覚めていて、ちゃんと生きられない自分を見つめるハメになる。歌詞の無い寂しい音楽を聴いて、そんな駄目な自分を必死に濁そうとする。
 友達はいる。そういう風に他人には話すし外でもそういう風に振る舞う。でも実際は違う。友達だってことにしているという感じで、子どもの頃に感じたあの「仲良し」の感覚は欠片も残っていない。
 朝昼夜関係なくふとした瞬間に、はやく終わらないかなと思ってしまう。希死念慮とか鬱病が酷かった時の危険な感情とは少し違う。ただ単純に、このどうしようもない生き物を早く消して欲しいと強く思う。

 昔はなんだかんだちゃんと生きていたと思う。
 ぼんやりとしていながらも好きな事や将来の夢とか、行きたい場所や会いたい人がいた。そしてそれが叶わない事や困難な事に関して、悔しさとかコンプレックスがあった。今はそれが無い。
 良い物語を読めば、勇気を貰うことが出来た。涙を流すことが出来た。誰かに会えば、元気とか良い刺激を貰って動き出すことが出来た。今はそれが出来ない。
 疲れたり苦しかったり苛立ちが抑えられなかったりした時には、お酒をがぶ飲みして煙草を何本も燃えカスにした。明日もまた上手くやるためにそうした。また浮き上がるために。今はそれすらしない。沈んだまま無心になっている。

 雨の日が好きだ。人の顔を見ないで済む。私の顔を見られないで済む。傘が隠してくれるから。雨の夜は一層好きだ。水溜まりに別の世界が映る。下を向いていても信号が分かる。いつの日か嘘が映し出されていたらいいなと思う。

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