トロッコ問題という問題
トロッコ問題という、その筋ではあまりにも有名な思考実験がある。
もしご存知無ければWikipediaの「概要」だけでも読んでみて、なぜこんなことを考えなきゃいけないんだという気持ちになってみてください。
さて、少し前に、Twitter(現X)にこのトロッコ問題の動画が投稿され話題となった。
少し前だと思ったら1年以上前だった。胸が苦しい。
この斬新な「正解」は、しかしトロッコ問題の正解ではない。
動画のような方法で「全員を救う」ことが「正解」であるとする場合、その前提には被害が0人であることが正しいという判断がある。果たしてこれはなぜそう言えるのか。
被害が少なければ少ないほど良い、のだとすれば、5人→1人の方法もそれほど悪くない選択だと言える。被害を4人減らせるのだから、少なくとも5人か1人かという2択しか存在しない場合には、真っ先に1人を選ぶべきである。
「被害が0人になるのが正しい」=「被害が少なければ少ないほど良い」とすれば、なぜ5人か1人かの2択になるとこうも論争が起こってしまうのか。私にはとても不思議で仕方がない。
「1と0は違う」という反論がありそうだ。
ぜひその続きを伺いたい。何が違うのだろう。
1人生存か5人生存か6人生存、このうち6人生存だけが唯一正しいのはなぜだろうか。
私には上の議論がこれ以上できないので、別の論点も示したい。
動画のような全員生存ルートが示されたことで、トロッコ問題はまた厄介な側面を見せ始める。
動画のようなトロッコの止め方が、常に成功するわけではないとしたら、どうか。
仮に成功確率が50%だとして、しかも失敗した場合は2つの線路の先にいる計6人が全員死亡する。トライするべきだろうか。
あなたが選択できるのは、
何もせず5人死亡
ポイントを切り替えて1人死亡
スライドさせて0人死亡(50%)ないし6人死亡(50%)
の3つ。どうすべきか。
スライドをトライするかしないかについて、期待値は3人生存(3人死亡)だ。これは何もしない(5人死亡)よりも具合が良い。
だが期待値を参照した上で被害人数の少なさにこだわるなら、ポイントを切り替えて1人死亡させるのがもっとも良い判断となる。
こういう問題設定の上では、先ほどの「全員生存が正解である」と考えた人は何を選択するのか。引き続きスライドを支持するのだろうか。
「6人生存の可能性があるならトライすべきだ」という声も聞こえてきそうだ。
だがこれはあくまでも思考実験。
ということで、スライドの成功確率がたった1%だとしても、それでも6人生存を目指すか。
ちなみにスライド成功確率が1%だと期待値は0.06人生存(5.94人死亡)なので、ついに「何もせず5人死亡」よりも状況が悪化する。
それでも、無関係な1人を巻き込み全員殺すリスクをすすんで引き受け、全員生存を目指すべきだろうか。
うんざりしてくる。
その感覚は正しいと思う。なぜならトロッコ問題(あるいはこのたぐいの倫理的思考実験)は、そういう問題だからだ。
トロッコ問題は「あなたならどうする?」とい
う心理テストではない。あなた、わたしといった個人の価値観ではなく、「人類はこういう状況でこう判断するべきだ」というルールを見つけようとする問題提起である。
だから、仮に動画のような「正解」が見つかったとしても、いま示したようにその問題の亜種が出現して、もっと厄介なことになる。
トロッコ問題とは、まさにそういう問題なのだ。
※本稿は以下の企画に参加しています。
https://note.com/calm_avocet202/n/nb6c713b0bfd0
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?