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売れる絵は何か。イラストとファインアートから美術を視る。

今回は概念の部分から、売れる絵について考えてみました。
イラストとファインアートの優劣を決めつけたいわけではありません。どちらも良さがあると思います。
また、私個人は、素晴らしい絵=売れる絵、の式が必ず成り立つとは捉えておりません。長期的に制作を続けることを考えると、戦略的に何かをするのではなく、決め手は、どれだけそこに熱量、愛着を持てるか、だと思います。

言葉が強めなのは、人間性を排除するためです。高圧的にしたいわけではありません。

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イラストレーションと呼ばれるジャンルとファインアートと呼ばれるジャンル。それぞれの識別はどこなのか。そもそも、分けて良いものなのか。 

様々な展示を行い、今の私が結論づける答えは、全てアートの枠組みであり、向き合える時間の濃度、言い換えると、難易度の差による区別だ。 

ここでいうアートは、自己追求(自己と向き合い高めていくこと。技術から思考まで幅広い捉え方ができる。)であり、自分のために生み出す行為そのものを指す。つまり、自分にとって美しいと思う絵を描く、可愛いと思う絵を描くことも、自己追求に当てはまるので、所謂今日のイラストと呼ばれるジャンルは『アート』の枠組みに当てはまる。
※対になる言葉として『デザイン』を上げておく。この場合の『デザイン』は、他者のことを考えて生み出す行為を指す。 

だが一括りにアートといえど、『単刀直入にわかりやすいもの』から『下調べをしていないとわからないもの』『作った人の背景や過去の作品を知らないと理解できないもの』など、様々な難易度がある。それは当然のことで、自己追求なのだから追求の仕方次第で中身が変わる。 

この場合、ファインアートは、後者を指す。
より深く自己を追求している人物が生み出す作品を、ファインアートと呼び、高等教育機関の油画などでは、それらを目標とした指導をしている。

逆に、ひたすら他者、消費者に寄り添うかを考えた作品をイラストレーションとする。

こうなると、その差は絵柄や素材は問われなくなる。例え、幼稚園児の描いた落書きに近いものであっても、好奇心、冒険心などに向き合っており、自己追求性が深ければ、ファインアートと言える。
子どもは特に、外部からの刺激を受けて、自分の中で分類として区分しきれていない風景や想い、まだ言葉で理解できないはじめての感覚が多くあるので、体を通して創出されるものとして、追求物が出やすいと考えられる。
そして、大人になってむしろ簡略化された絵を描く人は、追求すればするほど区分が増え追求せざるを得ない中身が増えるので、視野が広い、もしくは伝えたいものが複雑なほど、抽象表現かシンプルに視覚化しやすい。(せざるを得ない)

これらを踏まえ、購入されやすい絵はどのようなものか、考えてみよう。

少なくとも、意味や自己追求のない見ず知らずの人が描いた絵を、高い対価を払って買う人は、この時代にはそうそういない。
何故ならば、イケアやニトリにあるような額に好きな写真や画像などを印刷して入れた方が、費用も安く、時間もかからず、効率よく満足度を高くできるからだ。

そして、人は共感や感動という物語や体験を求める。どのようなエンターテイメントにおいても言えることだが、印象に残るもの、記憶(自分の時間)に残るものほど良いと考えるからだ。特に現代は、物が飽和状態なので、顕著になってきている。
また、できることならば、その体験は希少価値のある方が魅力を増す。

つまり、売れる作品は『デザイン寄りのアート』と推測する。

それぞれのコンセプトを理解できる人の割合をほぼ同数と設定したとして、10人中10人か理解できるものが、一番低い難易度のイラストレーション。10人中1人のみ理解できるものが一番高い難易度のファインアートと定義すると、その場合、10人中4人程度が理解できるものが『イラスト寄りのファインアート』だ。

この絶妙な位置から、もう少しファインアートに近付くと、作品が理解し辛くなる。それにより、共感や感動を抱く人数が減少し、一定数が評価しているという安心の基準がなくなり、購入の対象となりづらい。
現代において、ギャラリートークやアーティストトークを行うことが多いのは、この為だ。作品を変えずに理解してもらえるように歩み寄るために、人の心を掴むために、作品の代わりに対話を求められている。
だとしても、もし、本当に高度な自己追求をしている場合、熱量や純粋性を出せる作家であればまだ良いのだが、ただ単に難しい話になってしまう場合か、中身について深く話せない場合が多い。

結果、高度な絵は「よく分からないけど素晴らしい絵」「すごすぎて私には縁がない世界」「難しい」だったり、逆に簡易な絵は「高いお金を払うほどではない」「この人から買う必要がない」という印象が閲覧者の半数に残ってしまうだろう。(勿論、購入に至るケースもあれば、これが悪いわけではない。が、今回の論点からはズレてしまうので、ここでは説明を差し控える。)

そこから導き出せる仮説が一つ。
現在、イラストレーションを描いている人の方が、既にファインアートを描いている人よりも、売れる絵に化けられる可能性が高いのではないか。

理由は至って簡単。人にとって、難易度を下げることはつまらないからである。皆、つまらないものよりも、楽しいものが好きだ。
一度でもファインアートに近寄り、追求の楽しみを味わってしまうと、器用な人か、もしくは一周回らない限り、イラストレーションとファインアートの間に戻ることは難しい。知識を得たからには、すでにある、周りの期待やこれまでの経験を裏切ることも難しい。
マイナスの概念を理解した中学生が「1-2=答え無し」とは書けないのと似ているかもしれない。デッサンが上手くできるようになった人が、デッサンの狂った絵を許せないのにも似ている。

知識はどうしても癖になるのだ。無意識に、より知っている方を、より正しいと思う方を、よりオイシイと思う方を、選んでしまう。 

まとめると、購入意思につながる絵画は『イラスト寄りのファインアート』、アート全体で言えばは『デザイン寄りのアート』であり、今後の日本の美術界の自己追求度合、つまりファインアートの幅を左右するのは、イラストレーションを描き続けている、デザインを学んでいる若者の自己追求次第ではなかろうか。

人は理解すればある程度知識が培われるので、より難易度の高いものを目指すか、そこより下がることはなくなる。
彼ら彼女らがどこまで追求するか、どのような環境に身を置くことができるかが、美術界の行方を担っている気がしてならない。

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※より詳しい歴史や専門的な解説は、応用芸術、大衆芸術、ハイカルチャーなどを調べてみてください◎

#アート  #美術 #絵画 #イラスト

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