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思考アトランダム 5月の記

気付けば、暦は5月。
北海道では本格的に桜の季節を迎えた。

何はともあれ今年も身の上は変わる事なく、無事に桜を見届ける事ができた。その事実に安堵している反面、毎年の事だが桜を見ていると「愛でる」という感情と、「時間は着実に進んでいる」という現実に対する恐怖の感情が入り混じる。とりあえず、「これが大人になる事か」と無理矢理に納得して飲み込んで、マイペースに春という季節を噛む日々である。

前回のnoteから時間が経ち、また徐々に「書きたい」欲がふつふつと湧いてきたものの、特に書きたいテーマが無いので、例によって、ここ最近の出来事や考えた事を纏めていく。


解散ラッシュ

「出会い」のように希望の匂いがする「陽」の機会にはこんな事が起きないのに、どうして「別れ」のような「陰」の機会というのは、こうも図ったかのように連鎖するのだろうか。

お笑いコンビが解散を発表する時、特にそんな事を思う。

話し合いを重ねた上での結論である事は重々に承知しているし理解もしているつもりである。だが、だとしてもこうも連日発表を聞いていると、無責任な言い方だが「理不尽」という念がどうしても拭いきれない。

今年に入ってから、「芸人の解散」が目に付く。

年が明けて、2022年に最初に飛び込んできた解散の一報は、関西で活躍していた活きの良い若手「きんめ鯛」だった。その後、昨年のM-1予選で独特な存在感で頭角を現していた人力舎の「アン縫い」の解散の報に、ただただ驚かされた。

そして、3~4月。見たくも聞きたくもない報せの頻度が加速する。

「がじゅまる」「ポポロクランク」「GroovyRubbish」「衝撃デリバリー」、そして「ピスタチオ」とネタ番組やバラエティで確かな存在の閃光を輝かせたコンビが次々に解散を発表。

さらに、「ジソンシン」「アントワネット」「プリンセス金魚」と、M-1を始めとするお笑い賞レースの常連組と呼べる実力派達が解散。芸の地肩の強さはお笑いファンには周知の事実。それでも、別れを選択しなければならない現実に、お笑いファンの心はキリキリと音を立てて締め付けられる。

そして、極め付きは「はなしょー」と「うしろシティ」。「解散」という結論なんて有り得ないと思っていた組が、煙のようにいなくなった。

うしろシティを初めて見たのは、結成間もない2009年の『爆笑トライアウト』。互いの前のコンビ「ナナイロ」(金子)・「ワンスター」(阿諏訪)から存在を知っていた身としては、このコンビ結成は目を引いた。そこで披露した「強盗が警官に道を聞く」コントが、バカバカしくも、一筋縄ではいかない構成で、実に面白かった。そして気づけば、あれよと言う間にKOC決勝の常連コンビに名を連ねるようになっていた。『オンバト』で初めて見た時に腹を抱えて笑った「2人の転校生」のコントを、KOCの決勝で見られた、あの感慨は今も忘れない。

はなしょーは『新しい波24』で存在を知った。初々しくて、それでいて強烈な学生コント。そのインパクトの強さでネタ番組やバラエティに定期的に呼ばれていたが、一気に彼女たちへの印象が変わったのが2019年の「女芸人No.1決定戦 THE W」。それまで学生コント一辺倒だったのが、様々なキャラクターを自在に演じきる芸の幅の成長ぶりに、笑いを超えた感動があった。果たして準優勝となったものの、その後「ワタナベお笑いNo.1決定戦2020」で優勝するなど、若さの勢いだけでない純然たるネタ職人として着実にキャリアを積み重ねている姿が実に微笑ましかった。それだけに、今回の解散の報を知った時は、受け入れるまでに時間を要した。

お笑いファンになって本当に良い人生だと思ってはいるが、唯一苦しい事は「芸人の解散を見届ける」事である。当たり前が当たり前じゃなくなる瞬間が、ある日突然やってくる。こればかりは何年経ても、何度繰り返しても、心が慣れない。

それでも、お笑いファンが出来る事は、その芸に巡り会えた事と楽しませてくれた時間に感謝し、解散後の新たな人生の前途がより良い物になる事をささやかに願う。それだけである。

※こんな駄文を書いている本日(5月2日)、関西の若手女性コンビ「ねこ屋敷」が解散した。しっかり自分達の色を持ち合わせた歌ネタが面白いコンビだった。残念至極。


遅れて、「列車」に飛び乗る

「虫の知らせ」というのは、本当にある。

仕事のない休日。例によってやる事のない昼から安酒を煽り、のんべんだらりと微睡む中、どういう理屈からか本当に何の気なしに、あの人の事が頭に浮かんできたのだ。

その人は、これだけネットやSNSで自分語りが日常となってしまっている現代において「私小説家」「無頼派」を名乗り、その存在感は異色を放っていた。一躍注目が集まったのが、2011年の『苦役列車』での芥川賞受賞。受賞会見で「そろそろ風俗に行こうかなと思ったところ」と発言し、世間を爆笑させズッコケさせた。「芥川賞を受賞した小説家」に対する固定観念みたいな物が一気に崩れ去った。強面の大男ながら、そのシャイでチャーミングな人柄と言動は多くの人の脳裏に強烈に焼き付いた。

そんな人材をメディアはほっとく訳も無く、一時期情報番組からバラエティまで引っ張りだこだった。「無頼派」を名乗るだけあってその生い立ち、武勇伝たるや凄まじい逸話ばかりだが、メディアを端から見ていた身としては穏やかで余計な事は喋らない紳士という印象で、かつ自分の意見をはっきりと話す誠実な人柄は好感を抱いていた。

ただ、元来「小説を読むのが苦手」な身の上で、この人の根幹である小説は「いつか読んでみたい」という気持ちがあっても、なかなか手が伸びる事がなかった。「私小説」「純文学」という堅さしか感じられないイメージの壁を乗り越えようとする気力が無かったのだ。今思い返しても、どうして生きている間に読もうとしなかったのか。慚愧に堪えない。

安酒に酔いどれて、やる事もなく携帯を手に取った刹那、「そういや最近、西村賢太さんテレビとかで見なくなったな。作品書いてるのは聞いてるけど、どうしているんだろうか」と何の気なしにふとそんな事が頭をよぎった。そのままいつものようにSNSを立ち上げた途端、眼球に報せが飛び込んだ。

「芥川賞作家・西村賢太さん死去」

報道が出て色んな人達がこう形容したが、これに勝る形容が無いので、自分もご多分に漏れず使わせていただく。

「苦役列車、脱線」である。

まさか今まさに考えていた人の訃報を聞くなんて思いもしないから、得も言えぬ脱力感が体を覆った。そして、次第に先述したような後悔の念が押し寄せてきた。
訃報が流れ、氏にゆかりのある人達が様々な追悼文を出し、それを読んでいく内に、氏の上澄みのような活動しか見てこなかった自分が「惜別」「喪失感」なんて感情を抱くのは、なんと図々しくておこがましい事かと、罪悪感と後ろめたさが心の中で煮えたぎる日々が続いた。この気持ちを晴らすただ一つの方法は、氏の小説を読む以外に無い。芸を、文化を追いかけるのに、早いも遅いも無いのだ。やっと、西村賢太の小説を読むタイミングが自分に巡ってきた。それだけの事である。

書店には追悼コーナーが設けられ、氏の作品が一堂に集められていた。その中に、新潮文庫から出ている「苦役列車」が大量に積まれていた。そこから一冊を取り出し、そのまま会計に向かった。その足取りはどこか使命感とワクワク感が漲っていて、思い返すと恥ずかしくなる。

本編122ページ。いつ振りか分からないほど小説を読むのが久しぶりで、純文学なんぞまとも読んだ経験の少ない身に、「読みきれるか」「受け入れられる世界観か」という不安が背中に無邪気にのしかかる。

果たして、その思いは取り越し苦労だった。19歳の主人公・北町貫多が劣等感、過剰すぎる自意識、諦観、そして鬱屈とした怒りを抱きながら、日雇い仕事に従事し続ける日々を、独特で硬質な文体で淡々と描かれてゆく。そこから強烈に薫ってくる男の体臭とでもいうのだろうか、それが鼻をつまみたくなるのを通り越して、目に染みてくる。さらに容赦のない貧困の、暗くてひんやりとした冷たい空気が作中に流れ、それが重くのしかかってくる。「万人に受け入れられる世界観では無いだろうし、好き嫌いはっきり分かれそうな作風だ」と思いながらも、その世界の風に揺られていたい心地よさを感じた。同時に、「この人の描く世界は自分に合っているんだ」という身勝手な安堵感に胸をなでおろした。

凄まじい人生を送らなければ、こんな修羅のような私小説は書けない。

西村賢太という私小説家が残してくれた世界をもっと見てみたくなった。もっと他の作品を読んでみたくなった。

氏が乗る列車は残念ながら脱線という結末を迎えたが、そこまでに敷いておいてくれた「作品」というレールはこれからも存在し続け、今後も無数の読者がそのレールを追いかけていく事だろう。

遅ればせながら、自分もそのレールを走る列車に飛び乗った。


※因みに、今は氏が「没後弟子」を自称していた大正期の小説家・藤澤清造の著作「根津権現裏」を読み進めている。貧困に喘ぐ若者の絶望と悲哀が、大正期という時代の独特な閉塞感に包まれていて、独特な存在感と異臭を放っている。半分ほど読み進めたが、とにかく「金が欲しい」「女を買いたい」「自分はいつまでこんな生活を続ければいい」という欲望と渇望が終始呪詛の如く書き連ねられている。独特な比喩が琴線をくすぐってくる。





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