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錦鯉

あの2人を知ったのは、いつ頃の事だろう。

一人の存在を認知したのは2004年頃だったと思う。NHK『爆笑オンエアバトル』(当時は『オンエアバトル爆笑編』)にハマっていた自分は、オンエアバトルの歴代出場芸人のプロフィールや戦歴を事細かくまとめたサイト「オンバトサポーター」なるサイトをほぼ毎日閲覧していた。数多の芸人達のデータが並ぶ中で、その芸人のデータもぽつねんと残されていた。自分が「オンバト」を見るようになる3年前、2001年に札幌大会で1度だけ出場していた。この当時はピン芸人だった。385KBで6位というなかなかの成績。興味を持ち調べてみると、解散を経たピン芸人時代に参戦していた事、そして後に再結成し、現在はコンビ名を「マッサジル」と改名し、東京へ進出している事を知った。

初めて存在を知ってから4年後、「オンエアバトル」で彼らのネタに巡り会えた。初挑戦時は149KBという散々な結果でにべもなくあしらわれたが、2度目の挑戦で無事オンエアの権利をゲットした。確か、この同じ回でオードリーも初オンエアを獲得したように記憶している。

コンビ揃って地味な色合いの作業服を着こんで、「NHKふれあいホールの空調の点検に来ました!」というツカミから始まり、「ロックミュージシャンになりたい」というネタへと入っていった。完成度のゆるい歌ボケと落ち着いた掛け合いに終始地味な印象を受けたが、最後の「自分の彼女に子供ができて命の尊さを感じた時に作った歌」の件で強烈な爆発を見せつけられ、リアルタイムで視聴していて腹を抱えて笑った。今思うと、あのバカとナンセンスを炸裂させている感じは当時から片鱗が出ていた。

もう一人の存在を知ったのは、時代は前後して2006年。「桜前線」というコンビで、同じく舞台は『爆笑オンエアバトル』。初挑戦ながら、465KBという好成績でのオンエアだった。ネタは「俳優になりたい」。鋭く破壊力のあるツッコミで魅せる現在とは打って変わって、この当時の彼のポジションはボケだった。独特のくどさがあるボケを連発し、ツッコまれて頭を叩かれる度に、ツッコミにリーゼント調にセットされた髪型を整えられていた。最初見た時はそこまでハマらなかったが、何度も繰り返してみる内に不思議な可笑しみがクセになっていった。好調な滑り出しだったが、その後の戦績は散々。3回くらい挑戦したが、その全てが最下位で終わったように記憶している。

2組に共通して率直に感じた事は、「ならではの面白さを持ってはいるけど、売れないだろうな」だった。事実、その後マッサジルは日本テレビ『ぐるナイ』での人気の芸人ネタ見せコーナー「おもしろ荘」にて、同郷であるタカアンドトシの推薦枠で出たくらいで、その他のメディア露出には巡り会わなかったし、桜前線も『オンエアバトル』以外で存在を見かける事は無かった。数年後、2組とも解散した事、その片割れ同士が新しくコンビを組んだ事を風の噂で知った。

コンビ名は「錦鯉」。結成当時、長谷川 雅紀40歳、渡辺 隆33歳

年老いた鯉2匹が、ボロボロになった体を引きずりながら滝を登り始めた。

以前のコンビ2組の存在感が印象に残っていて、そんなコンビの片割れ同士が新しいコンビを組んだと知り、「ネタを見てみたい」と漠然に思っていたものの、メディア露出の情報は一切入ってくる事はなかった。

ネタを見られる機会は突然やってきた。2015年、M-1グランプリが復活。この年から、3回戦以降に残った全組のネタが無料で動画配信される事になった。群雄割拠のメンバーが揃っている中に、錦鯉も紛れていた。

驚いた。マッサジルだった長谷川は初めて見た時に感じた地味な印象は消え去り、「底抜けに明るいバカ」へと変貌し、桜前線だった渡辺は独特のくどいボケから切れ味が冴えわたるツッコミへと転身を遂げていた。何より、ネタが尋常じゃなく面白い。バカを徹底的にフューチャーしながら、ツッコミの技術でもしっかり笑わせる。ボケで笑いを取り、ツッコミで笑いを取り、掛け合いで笑いを取る、人間がぶつかり合う、これぞ「漫才」という漫才だった。技巧の上に、若手芸人の中で一番バカな事をやっているという事実、そして老齢と長い芸歴の下積みからくる悲哀といった「陰」の要素が覆い被さり、唯一無二の存在感を醸し出していた。初めて見た時の衝撃と一目惚れの瞬間は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

確実に戦績と経験を重ねていく内に、ゆっくりと世間への認知度が上がっていく様は、見ていて微笑ましさしかなかった。自分も微力ながらオススメの芸人を聞かれた時は、必ずと言っていいほど錦鯉の名前を吹聴していた。

そして、2021年12月19日

ボロボロに年老いた鯉2匹が、滝を登り、龍になる瞬間を見届けた。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言うが、治さなくていい馬鹿もいる。

そんな事を世間へ叩きつけたような気がして、M-1優勝が決まった瞬間、我が事のように狂喜乱舞し、泣きながら膝から崩れ落ちた。





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