宮田陽・昇
ハッキリと言える。自分は、宮田陽・昇に焦がれている。
宮田陽・昇。マセキ芸能社所属と同時に、漫才協会・落語芸術協会に所属する漫才コンビ。NHKの演芸番組や「笑点」の演芸コーナーなど、メディアへの露出はあるが、寄席や演芸場を主戦場する、いわゆる「寄席の漫才」。同じ「寄席の漫才」というと、まず最初に浮かぶ漫才といえば、ナイツだろう。だが、もし「好きな漫才はどちらか」と問われれば、自分は迷いなく「陽・昇」と即答する。ナイツも確かに面白い。問答無用に面白い。だが、自分はこの陽・昇の漫才の「変わり続ける普遍」の凄さに、妙に心が惹かれるのだ。
最初に存在を知ったのは、2005年初旬に放送された『オンエアバトル爆笑編』。この回の放送で次回から始まる第7回チャンピオン大会の出場者が決まる、局面とも言える重要な回だった。初挑戦でいきなりトップ合格して、後に第9代チャンピオンに名を連ねるNON STYLEや、ご存知「貴族」キャラが確立しつつあった髭男爵がオンエアされる中、ひっそりと宮田陽・昇も初挑戦組として参戦していた。結果、145KBとその回の最下位。しかし、その若手ネタ番組には似つかわしくない雰囲気とコンビ名に、自分の目は不思議と惹きつけられていた。
しっかりとネタを見たのは、そこから数年後の年末だったと記憶している。毎年年末になるとNHKで放送する漫才協会が年に一度開催する大イベント「漫才大会」の模様をダイジェストで放送する『年忘れ漫才競演』。今でこそ様々な方面からの入会者が増え、未来が明るい大所帯となった漫才協会だが、この当時の若手の数は本当にごく僅か。ナイツ・ロケット団・ホンキートンク・宮田陽・昇の4組を「若手四天王」と括って、ネタを放送していたのを見た。本ネタは残念ながら忘却の彼方に行ってしまったが、ネタ終わりに陽が「人力車で帰ります」と言い、昇に乗っかって、人力車の形態模写をしながら舞台を降りていったのが強烈に印象に残っている。「この人達は、(オンエアバトルのようなネタ番組を主軸にしているような若手芸人とは)別の土俵にいる。」笑いながら、そんな事を確信した。
初めて彼らの芸に生で触れる事ができたのが、今から7年前の「ちえりあ寄席」だった。札幌宮の沢にある「生涯学習センター・ちえりあ」の一角にあるホールで、年に一度開催される落語芸術協会主催の落語会である。他の地方の落語会と違い、前座の開口一番から始まり、二つ目から色物、そして真打の芸を順番に堪能できる、まさに「寄席の興行」をそのまま地方へと持ってきたダイナミックな会だった。仲トリ前の膝替わりとして、陽・昇は颯爽と高座に上がってきたが、いやはや、その爆発力のえげつなさたるや…。全てのギャグが会場の空気にビタッとハマり、爆笑がさらに大きな爆笑を巻き起こす無限の連鎖反応。冗談でも何でもなく、あの強固なホールが笑いで揺れているように感じた。生まれて初めて味わったその感覚に衝撃を受けながら、2人の芸の力に圧倒されつつ、どんどんのめり込んでいった。トリネタとしてお馴染みの暗唱ネタ。アメリカ五十州をギャグを交えてどんどん暗唱し、最後の大オチでバーンと笑いが弾けて、黙礼し高座を降りてゆく二人。その鮮やかさと寸分の狂いの無いプロの仕事に、自然と感動が大きな言葉になって口をつんざいた。「上手ぇ!」と。その日から、自分は宮田陽・昇の芸に完全に焦がれてしまった。もう一度この二人の生の高座を見るというが、ひそやかな夢になった。
ここから5年後、その夢は叶う事となる。友人数人と念願だった東京遠征に行く機会ができた。お目当ては、自分と友人の共通項であるウルトラマンの一大イベント「ウルトラマンフェスティバル」に行く事と、もう一つは「東京の寄席を見に行く」という念願を果たす事。憧れだった新宿末廣亭での夢見心地の時間を過ごした(紙切りの林家二楽師匠に自分のリクエストで「ウルトラマン」を切ってもらった事は生涯忘れない)翌日に、浅草演芸ホールへと足を運んだ。八月下席。ずっと見たかった芸も沢山あったが、お目当ては宮田陽・昇。果たして、5年前に巻き込まれた爆笑の渦に再び巡り会う事ができた。東京オリンピックなど時事のギャグを上手く挟みながらのお馴染みの件など、ただただ目の前に安心感しかない漫才。心を温かい充実感が満たしながら、近くのホッピー横丁で嗜んだホッピーとクジラの竜田揚げの味と思い出は、未だに自分を強くしてくれる。
最初に触れたが、陽・昇の漫才の魅力を言い表すとすれば、「変わり続ける普遍」という言葉が浮かぶ。言葉の意味としては支離滅裂だろうが、自分の貧弱なボキャブラリーを漁るだけ漁って、この表現が一番しっくりくる。陽が秋田県の出身という入りからの四十七都道府県の暗唱、そこからスポーツの話題へ移り、陽が「秋田の神童」と呼ばれていたと嘯くというお馴染みの件を軸に、時事ネタを挟んだり、いつものパターンを入れ替えたりと、その会場の客層・空気の潮目を見事に読み切って、常にその場での最上の笑いを安定供給してくれる。その日その日で、流れる空気が変わり続ける「寄席」という異常で、飄々としている日常の中に生きている漫才師だからこその技芸。完璧な答えなんて無い、数分数秒ごとに求めている物が流動的に変化する、まさに生き物のような寄席という空間。いかに順応し、己の力を発揮して、どれだけ観客を楽しませて、次の演者へと繋げてゆくかに四六時中向き合い続ける。こうした環境に身を置いていれば、その芸と対応力は問答無用に洗練されてゆく。圧倒的な経験値と、果てしない努力と、長年で培ってきた二人にしか出せない旨味が樹脈のように交錯して、あの強靭で柔軟な漫才が出来上がっている。
変わらずに変わり続ける事。それがどれほど難しくて、そして、どれだけ尊い事か。
宮田陽・昇の漫才を見ていると、笑いながらそんな事を考える。
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