トメさんは気取らない

「落語」と一口に言っても、五十数分から一時間超の長講から、十数分から十分を切る短い高座まで、時間の振り幅は大きい。前者は面白い噺は確かに面白く、聞き終えた時の充実感たるや筆舌に尽くしがたい物であるが、「今、自分は落語を聞いている」という感覚に浸れるのは、自分は間違いなく後者である。前者は「落語を聞いた」というより、そこを超越した「1つの作品を聞いた」という感覚に陥り、「落語」とはまた異なる段階の優越感を感じる。故に、長講を聞いた際、「落語を聞いた」という表現が、自分の中でどこかしっくりこない時がある。

自分なんかがこう言うのは非常におこがましいが、「落語」という芸は、十数分、長くても二十数分に、そこはかない旨味というか魅力がある。無論、長講には長講の良さも勿論あるが。最近はそういった「寄席サイズ」とでも言うべきか、十数分の高座をメインにあれこれ色々な演者を聞いて過ごしているのだが、そういった「寄席サイズ」の落語家の中で、特に大好きな落語家がいる。

九代目 桂文治(1892~1978)

本名の高安留吉から愛称は「トメさん」。良い愛称だ。まさに落語国の主要人物という感じがする。落語ファンからは「留さん文治」と呼ばれ、その飄々とした軽い芸風は落語ファンのみならず、同業者からも厚い支持を得た。

「桂文治」という名は、何百とある「桂」のルーツであり、最高峰の名前である。ゆえに、格式が高く、「落語とはこういう物でござい」といったような本寸法の芸を行うかと思いきや、このトメさん、拍子抜けするほど軽い。徹底的にすっとぼけてる、ふざけてる。そこへさらに古典の世界観なんぞお構いなしに不思議な英語や、死語というか、化石と言ってもいいほどアナクロな現代語がジャンジャン飛び交うんだから、もう訳が分からない。これだけ書くと、ただアクの強い芸風という印象を受けるだろうが、トメさんにしか出せない不思議な愛嬌がそのアクを中和し、唯一無二の存在感へと昇華させている。生半可な芸人が同じ事をやったら、確実に見ていられない、みすぼらしい芸になってしまう。トメさんだから許される治外法権。

出囃子「野崎」に乗って出てくるトメさん。(※考えてみたら、八代目文楽と同じ「野崎」で出てくるってのもスゴい。芸風が全然違うのに。)噺の前には、常套句ともいえる落語礼賛の枕が入る。

「あのね、お客さんね、落語は聞いておいて、ためになるんですよ。頭の働きを良くするのは落語ですよ。だから、落語が好きな方は運がいいですよ。出世が早いから。これは本当の事を言うと、吉田茂さんね。あの人はバカに落語が好きでね。それで総理大臣になれたんだ。落語は大変なもんですよ。だから、あなた方が総理大臣になりてぇと思いや、毎日落語を聞きなさい。聞いてなれなきゃ、それまでなんだからね。まぁ、人間は諦めが肝心ですよ。」

大したギャグではないけれど、飄々として、妙な理を感じさせるトメさんの口調と間で聞くと、謎な説得力と無責任感が増して、おかしい。

ネタは漫談調の「大蔵次官」、「岸さん」、「現代の穴」、「歌劇の穴」、「宇治大納言」。古典は「片棒」、「小言幸兵衛」、「今戸焼」、「古手買い」、「不動坊」、「紀州」、「お菊の皿」、「小粒」、「口入屋」、「好きと怖い」etc

上方で修行していた経験もあるので、持ちネタの種類も豊富。短くて軽い噺が多い印象を受けるが、寄席のトリや放送など、お膳立てが揃った時には「居残り佐平次」や「藪入り」なんて大ネタもかけていたという。基本はフワフワと軽い噺でわっと客を湧かせ、決める時にはしっかりと決める。愛嬌と程を心得た芸への姿勢が、客はもちろん同業者からも愛されたトメさんのトメさんたる所以だろう。

トメさんの真骨頂といえば、先述した通り不思議な英語や、死語というか、化石と言ってもいいアナクロな現代語がジャンジャン飛び交う、ぶっ飛んでるくすぐり。古典「小言幸兵衛」での一節。

「心中するのにサーベルもって行くやつがあるかい。バグダッドの盗賊じゃねぇんだぞ」
「エデンの東のほうから来たんじゃねぇのかい」

なんで「バグダッド」?なんで「エデンの東」?どっから持ってきた。

他にも…

「日本は落語があるからどうにかこうにかもってんですよ。ええ、もう、落語がなけりゃ­カンボジアみたいになっちゃう」

「言葉が変わりましたね。貧乏人の事を言うには、現代では体裁がいいですよ。今、銭のない者を貧乏人と言わない。プロレタリア。これはいい言葉ですね。貧乏人ですというと銭がないようだけど、プロレタリアだなんて、なんだか貧乏しているようじゃありません。なんだか、外国から船が来たようですね」

ここまで来たら、もう何だか訳が分からない。でも、録音を聞いていると、受けている。それも爆笑だ。キャリアの浅い若手の落語家がこんな事言ってしまうと、安易に噺の世界観をぶち壊してしまうが、お爺さんの、それも飄々とした調子のトメさんだからこそ妙に可笑しい。初めて聞くと、何が面白いかが分からないが、繰り返し繰り返し聞いていく内に、その誰とも被らない不思議な旨味が心にほんのりと広がっていき、気づいた時にはトメさんの虜になっている。

自分がトメさんで好きなネタは「大蔵次官」。初代柳家蝠丸(十代目桂文治の父親)作の漫談調の新作。トメさんは、のべつこの噺をやっていたそう。トメさんと大の仲良しだった八代目林家正蔵師が寄席の楽屋に入り、ネタ帳を見ると「千早ふる 文治」と書いてある。「『大蔵次官』の間違いじゃないのかい」と高座に上がっているトメさんを見ると、「千早ふる」を演じている。正蔵師は「へぇ、珍しい事もあるもんだ」と呟いた、なんて逸話も残る。トメさんが若い時分に体験した出世美談を漫談調に語っていくのだが、当然フィクションである。そんなウソ話といけしゃあしゃあと、さも自慢気に堂々と語っていく様が実にバカバカしい。軽さと、アナクロな現代語が飛び交う、まさに「九代目桂文治」の魅力や旨味が十数分に凝縮されている。

古典で言えば、「片棒」が見事。ケチで名高い赤螺屋吝兵衛という商人。自分が死んだら、どんな葬式を上げてくれるか三人の息子に各々プレゼンしてもらうが、上二人の息子は浪費ぶりに頭を抱える。だが、末の息子は父親譲りのケチっぷりを見せ…という噺。このトメさん、自他共に認める「ケチ」の大家。大の魚好きで、特売日には早く帰りたかったため席亭に自分の出番を早い時間にしてくれと頼んだり、新聞は自分でとらず、隣に住んでいた八代目正蔵師の家で読んでいた、などそのエピソードは今日まで語り継がれている。ただし、祝儀、不祝儀には必ずお金を使い、それも周囲よりも多く包んでいた「流儀を持ったケチ」だったという。そんなトメさんと、上二人の息子の浪費が激しい葬式プランを聞いて頭の痛める吝兵衛さんの姿が絶妙にリンクして、面白い。

決して肩の力が入らず、気取る事なく、軽く短い噺を楽しませて聞かせてくれる腕、そして誰にも真似できないトリッキーなユーモア。

九代目桂文治。「巧さ」を気にさせない巧さを持つ名人。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?