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1日だけ「漫才師」だった




「青春とは、或る期間を言うのではなく心の様相をを言うのだ」

誰がこの言葉を言ったのかは知らない。いつどのタイミングでこの言葉を知ったのかも覚えていない。本で読んだのか、それとも何かの媒体から吸収した言葉なのか。
いずれにしても、この言葉の出自について自分の中ではとてつもなく、どうでもいい。

だが、この言葉は自分の人生において、とてつもなく大切な言葉である。

初めて聞いた時の、「目から鱗」具合ったら無かった。
所謂「青春」という物は、学生服に身を包んだ「学生」と括られる少年少女、もしくは青年の、いわゆる「特権」という言うべき大切で、代替の効かない期間、時間の事を指している言葉だと、誰かに教えられた訳でなく、否が応な成長の過程の中で自分勝手に意味を理解したつもりでいた。

ところが、今回の件がきっかけで何気なく、ふとこの言葉を思い出した時、自分の中にあった「青春」という言葉に対して抱いていた漠然とした嫉妬とか、劣等感といったドロドロと滑りを帯びた足かせのような物が、「こんなにきれいさっぱり落ちるのか」というくらい流れ落ちていった。

「青春」という言葉を、いつの間にか勝手に「人生の、まだ若い一定の瑞々しい期間」の事を指す言葉だと思い込んでいたのが、期間を指しているのでなく、人生のその時々に巻き起こる事象に全身全霊をかけて、がっぷり四つで向き合う時間の事を指しているというのを、このたった一言が教えてくれた。

今年の、時間で云えばほぼ3か月ほど、もっと言うと凝縮してしまえば3~4日ほど、人生でこれだけ好きな事に対して情熱、と言うとおこがましいし恥ずかしいが、熱量を本気で、それでいて楽しみながら、注ぎ込んで向き合える期間に、この年齢になって巡り会えた。

2023年8月20日(日) M-1グランプリ2023札幌1回戦

この日だけ、この時だけ、自分は「漫才師」だった。

「チョっくん(自分はこう呼ばれている)と、”賞味期限5秒前”っていうコンビ組んで、M-1グランプリの予選に出てる夢を見たんだけどさ、今年のM-1、一緒に出ない?」

いつもの店だったか、それとも宅吞みをしていた時だったか、突拍子もなく彼からこんな事を言われた。

彼とはよく行くBarのお互い常連同士で、話を交わす内に、共にお笑い好きで、好きな笑いのタイプも似ている事が分かった。会う度に必ず笑いの話で盛り上がり、いつの間にか仲良くさせてもらうようになっていた。
自分より6歳下と年齢も離れているが、ネットの外の現実世界で、対等に笑いの話ができる本当に数少ない友人である。

彼から突拍子もなくこう言われたその刹那、自分はその話に大ウケしながら、「どんな夢見てんだ」「他に見る夢あるだろうが」「そもそも何よそのコンビ名」「ほぼ腐りかけやないか、縁起でもない」と、ひとしきり浮かんだツッコミを彼に速射で投げつけた。座を盛り上げるその場限りのギャグであり、現実的な話ではない事が容易に分かりきっていた。

しかしその後、彼と店で呑んだり遊んだりする度に、自然にこの話題が必ずと言っていいほど浮上してくるようになった。別に意識している訳でなく、避けたい話題という訳でも無かったので、話す度に毎回新鮮な気持ちで盛り上がった。

そんな過程を何度も何度も繰り返していれば、その場のギャグだと思っていた事が、漠然と骨格のような物が勝手に組み上がり始め、どんどんと肉付けされてゆき、あれよあれよという間に「現実」へと変貌していくのは、実に容易だった。

気付けば「M-1グランプリ出場」は、彼との間の決定事項となっていた。

「M-1出場」の話題が初めて出た段階から、彼と共通していた事は「出る事を楽しもう」という意識だった。
言わば「記念受験」的なノリである。
1年に1度、人生の全血を注ぎ込むが如く挑戦し続ける人口が大を占めているのは重々承知。その意識が年々大会の精度を極限まで高め続けている。
だが、我々はそうではなくて、「自分の履歴書に”M-1グランプリ1回戦 敗退”て書けたら面白くね?」と、出場した事自体を面白がるという、本気の人口が聞いたら全力でキレられる事不可避の動機で、最終的に参加の意志を決めた。

「勝とう」なんて微塵も思っていない。
「悔しさ」も「後悔」も始まる前から、端から存在していなかった。

だが、この意識がお互いに共通していた事が自分にとっては実に居心地がよく、以降の打ち合わせ、そして練習から本番までの流れが一貫して「楽しい」と思いながら物事を運べる事ができた。
これでどちらか片方の意識が、暑苦しいくらいの熱量で、勝つ事に全身全霊を費やす方向性だったら、絶対に途中でぶつかって匙を投げていただろうし、ひどい場合は漫才を、演芸その物自体を忌み嫌ってしまう事にも成りかねない。
そんな最悪の事態だけは何としても避けたかっただけに、このスタンスをずっと維持してこちらの気を惹き続けてくれた彼には、感謝の一言に尽きる。


出場するにあたって、当然ネタを作らなければならない。
当初は話の流れから、自分がネタ作りの全てを担う事となったが、「見てきた演芸の量や質が人並よりは多い」と自惚れてはいるものの、「ネタを書く」という作業は全く別次元の話だった。
ノートを広げて、ワードや設定を思いつく限り書いてみても、そこからがどう足搔いても藻掻いても、広がらない。そんな期間が数か月続いた。

「本格的に出る方向で話を進めるのなら、1度しっかりと打ち合わせをしよう」という事で、彼の家に集まり、正直にネタ作りに詰まっている事を報告した。
ならば2人で作り進めていこうという事になり、まずそもそもどういう漫才の方向性にするかという点から話し合いが始まった。

ものの数分で、「漫才コントは無い」という事になった。
「○○っていいなと思って」「じゃあ、やってみようか」という、漫才のシステムを否定するつもりは毛頭無いが、「じゃあ2人でいざこれをやってみるか」と考えたら、とても恥ずかしくてムリ!というのが理由だった。
そもそもとして、2人とも「演じる」という事自体にあまり向いていないという話になり、だったら日常の延長線上、いつもの店でばったり会って、酒を呑みながら、彼が直近の体験談や雑談を話してきて、自分がそこに相槌なり、コメントなり、ツッコミを入れる。この普段のパターンで漫才を作れば1番作りやすいし、何よりお互いに無理が無いのでは、という結論へと至った。

そして、どうせこの1回きりしか出場するつもりは無いし、長い人生の中であの漫才のマイク、いわゆるサンパチマイクの前で話せる機会なんて、もう一生無いかもしれないだろうから、「ウケたい」「勝ちたい」は二の次にして、「あのマイクの前で自分達のやりたい事をやろう」という事になった。1目の前に100人の客がいたとして、99人に伝わらなくても、1人の笑いの琴線に刺ささればそれでいい、という方向を選んだ。

「そういう方向性なら行くのであれば」という事で、ここで初めて我を出してみた。
漫才をやるなら、どうしてもやってみたい昔からの憧れの流れが自分の中であり、それに付き合って欲しいと彼に3点提案した。

・「はい、どうも~」と言い拍手をしながら出ていく、いかにも「漫才でござい」という舞台の出方はしたくない。
・マイク前に着いたら黙礼し、コンビ名の名乗りを言うのは自分に任せて欲しい。
・サゲの「もうええわ」の後は、「ありがとうございました。」は言わず、始まりと同じく黙礼で舞台を降りる。

人生でたった1度きりの漫才なんだ。
古今東西の漫才を人並み以上に見てきた身として、せっかく自分がやるからには、ずっと見てきた先人たちの、あの何とも言えない美しさと憂いを孕んだ「出」と「降り」を自分もやってみたくなったのだ。
彼は二つ返事で了承してくれた。

その後はどういうネタを作るかの話を進行させつつも、終始いつも通りの雑談が展開されていった。どういう事を話したかなんて彼の家を出る頃には、ほぼ全部忘れているような、まさしく雑談である。

気付けば、漫才が1本出来上がっていた。
数か月の間唸りながら藻掻きながら、それでも一切出来なかった漫才が、ものの30分程度で出来上がった。
「三人寄れば文殊の知恵」とはよく言うが、ジェネリック版の「二人」でもどうにかなるもんだな、とその日ネタを記したノートを読み返しながら思った。

そこからかなりの日数が過ぎ、エントリーの手続きも無事滞りなく進み、本番1週間前に、2度目の打ち合わせで集合した。
そこで初めて台詞を掛け合わせながらの練習を行った。

頭の中で描いた事を実際に口に出して、漫才の形を2人で作り上げていく過程が、至極楽しい。

だが、同時に「難しさ」と「現実」にも直面した。

終始自分の台詞と相手の台詞が被ってしまって、会話の流れがガチャガチャと崩れてしまったり、ボケ・ツッコミの掛け合いとしては成立しているが、リズムや音が不自然で、演じている当人でも空回りしている事が如実に分かった。

「書く」と「演じる」とで、ここまで違うのかと、いささか絶望した。

自分達の思い出作りという名目とはいえ、芸人の1組として興行に出て、そこに木戸銭という料金が発生する以上、生半可な芸を見せるのはいくらなんでも来てくれる客に申し訳が立たない。
所詮は素人芸だが、せめてちゃんと客前で見せられる物を持っていきたい。
ここまで適当、脱力、無欲というスタンスを貫いてきたが、この時だけは自分達なりに漫才を洗練させる事に心血を注いだ。

8月20日は、とかく暑い日だった。
会場はプラザ新琴似 大ホール。ここ数年のM-1札幌予選の会場にしては、中心街から離れている会場と言える。
この会場における自分にとっての最寄駅は、札幌地下鉄南北線の終点・麻生。今年に入って友人夫婦がこの地に引っ越して度々遊びに行っていたので、麻生には若干の土地勘はあったものの、件の会場はいつも向かう方角とは真逆の所に位置しているので、まさに「未開の地」だった。
相方の彼とは会場に行く途中にあるJR新琴似駅で合流して、そこから住所を頼りに歩いて向かい、特段迷う事もなくあっさりと到着した。

M-1予選は出場者がA,B,C…というグループで複数組に分かれていて、グループ毎に出場者の集合時間が異なる。我々はBグループの後半組で集合時間が13時05分。だいたい1時間半前には到着し会場の場所を把握後、近くのファストフード店で昼食を取った。そこへの道すがらや店内には明らかにこの後の予選に出る雰囲気のあるグループを数組見かけたし、予選を見に来た普段から懇意にしてもらっているお笑い好きの友人にも会えた。

昼食後、残り1時間少々あったので、ネタの最終打ち合わせがするべく、どこか公園みたいな開けたスペースを探した。会場の周囲は住宅街と学校がある程度で、近辺をふらついている内に手頃な公園を見つけた。

ベンチに腰掛け、さぁ、早速ネタ合わせ…とならないのが我々である。

集合時間までおよそ1時間ほどあったが、50分くらいはずっと雑談をしていた。本格的に通しでネタ合わせをしたのは、おそらくこの時間が最初で最後だと思う。1度ざっと流れを確認しつつ合わせてみて、集合時間間際に最後にもう1度本番さながらテンションで合わせた。「まぁ、こんなもんだべ」という結論となり、会場の受付へと向かった。

エントリーフィーの2,000円を支払い、係員に誘導されるまま、2階の広い和室のような控室へと案内された。
中では、他の出場者たちが思い思いの時間を過ごしている。
本番ギリギリまで一言一句念入りにネタ合わせをするコンビ、もうすぐの出番に備え黙々と私服から漫才衣装であるスーツへと着替えるコンビ、後から入ってきたコンビに挨拶をしてそのまま談笑しているコンビ…アマチュアからテレビで何度も見た事のあるプロまで、知名度・社会的な位置は全く関係なく、「漫才」というたった1つの共通点だけでこの1点の場所に集結し、各々の時間を過ごしている様は、十人十色の模様が見られる新鮮さと同時に、どこか異様な空気を感じた。

そんな中、我々はというと、部屋の隅に椅子が積み上げられていたので、そこから2脚取り、座って…

ひたすら雑談をしていた。

我ながら思ったが、よくもまぁ、話題に事欠かないものである。漫才しに来たんだか、無駄話をしに来たんだか分からない。
ネタの話は一切しなかった。スタンスだけは、いっちょ前である。

順番間近になり、我々を含むBグループ後半5組の点呼が行われ、そのまま2階の控室から降り、舞台袖へと向かった。

自分達がいる舞台袖からわずか数メートル前で漫才が行われている。この光景を目の当たりにして、やっと「自分はこれからM-1グランプリに出てるんだ」という実感が湧いた。出番が進むに連れて、その実感がまるで水が沸騰するかのように、どんどん現実味というか熱を帯びてきているのが手に取るように感じられた。

過去、人前に出る際はこうした熱が自分の内側をひらすら、ひたすら循環して、それがやがて制御できない緊張感へと変貌し、それをまともに処理する事ができないまま、結果散々な思いを繰り返してきた。
人前に出るというのは自分の人生において、いい思い出が全くと言っていいほど無い。

だが、今日は今までと違う。
自分の隣には、相方がいる。

自分たちの出番が次という30秒くらい前まで、ずっと取り留めのない雑談をしている。
話に付き合いながら「緊張感、無いなー」と内心軽く呆れつつ、でもそれが心強く、この舞台袖で待っている時間が実に心地よく感じられた。この時間だけもっと長く続かないかなと思った。
そうしている内に、最初に取り決めた事がふと思い起こさせた。

「ウケたい、勝ちたいは二の次で、自分達のやりたい事をやろう」

なんだか、ふっ切れたような気がした。

前の組の出番が終わり、袖へと捌けてきた刹那、入れ違いで舞台へと向かう。
けたたましく鳴り響く出囃子。でも、煩わしくない。
袖から中央のマイクまでたかが数メートルのはずなのに、異様に遠い距離を歩いたような心持になった。
センターマイク前に着き、自分のリクエスト通り、黙礼。
頭を挙げると、目の前には満座の客席が広がっていた。軽く一息を吐く。
第一声は自分が敬愛する漫談家・西条凡児の、漫談の最初の常套句を引用させてもらった。
なんてことの無い一言だが、そのインテリジェンスと自信を感じさせる挨拶がなんか好きで、いつか自分も言ってみたいと思っていた。
この言葉を発してからおよそ2分の間、自分も、左隣にいる彼も、漫才師になる。

「また、見てもらいます。賞味期限5秒前でお付き合い下さい。」

日曜日の夕方のスーパーというのは、人が多くて苦手だ。
だから日曜は基本的に開店直後から正午に入る前の間に買い物に済ませるようにしている。
時間がズレただけで、いつものルーティンを淡々とこなしているだけのはずなんだが、なんだか心が落ち着かない。

予選の出番が終了した演者はそのまま控室に戻り、いそいそと帰り支度を済ませて、各々の日常へと戻っていく。我々もご多分に漏れず、その流れに淡々と従った。特に打ち上げ的な事をするでなく、会場でそのまま解散となり、何も用事が無かったので帰路へ足を向けた。

午前中に回すはずだった洗濯機を回して、その間に録画しておいたテレビを消化して、洗濯物を乾かして、終わったら買い物へ行く。
ついさっきまで大人数の客前で漫才をやってたとは思えないほど、変わり映えしない日常を淡々とこなしている様が、自らを俯瞰で見ても、なんだか滑稽だった。

17時10分頃に結果が発表になるという事だけはSNSで告知されていたので、そう言われてしまうと、否が応でも落ち着かない。といっても、もう何もできる事は無い。だから、いつも通りの事をやって過ごす。
なんで、こんなに落ち着かない。

SNSが更新された。


まず、そもそも舞台上がって思っていた以上に会場明るくて、ほぼ客全員の顔がこっち向いている事が如実に分かって時点で、反射的に体と心が委縮してしまっていた。
そこから最後まで終始「ネタを飛ばさない」という1点に集中しすぎていたように思う。客席の空気を見定める余裕は無かった。
幸運な事にウケた箇所がいくつかあったが、演じながらやはりどこか空回っている気がした。
そして、気を付けてはいたが、やはり互いの言葉がぶつかり合っていた。お互いの台詞を言い切るまで待つ事ができていなかった。
「音」として、しっちゃかめっちゃか。リズムもクソもあったもんじゃない。
客の笑い待ちもできていなかった。
総じて、全体的に余裕が無かった。

だけど、あんな大人数の前でお互いにネタを一切飛ばさなかった事は、褒めてもらいたいもんだ。
ネタ作りから打ち合わせまで、計3~4回程度しかやっていないし、全体の時間を総合したら3時間もやっているかどうか。
何より、客前に1度もかけていないのよ?初舞台であれだけやりきれたら充分凄くないか?
あんだけ正々堂々と自分達のやりたい漫才を思う存分やれて、少ないけど確かに笑いをいただいた部分もあったし、お笑い好きとして今回の事はめちゃくちゃいい経験になったっしょ?




何を悔しがっているんだ、自分。

あれだけ自分たちのやりたい事をやろうと誓ったのに。
ウケたい、勝ちたいは二の次だと口酸っぱく言い合っていたのに。

気付いた。

「あー…本気だったんだ」と。


多分、彼は結果を見ていないだろうと踏んでいたので、SNS更新後すぐさま結果をLINEした。一緒に誘ってくれた事の感謝も送った。
彼はいつもの調子で軽い返事を返してくれた。
つくづく彼と漫才がやれて良かったと思う。

スーパーで買い物を終えて、外に出て携帯で結果を見届け、相方にLINEで連絡をした後、自然に溜め息が1つ出て、そのまま買った物がぎちぎちに詰まった重たいエコバックを肩に担ぎ、家路へと歩き出した。
ほんの数時間前に、確かにこの肌で感じていた「青春」のような物が、ゆっくりゆっくり「思い出」へと移り変わっていくのを、名残惜しみながら。




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