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三浦貴さんの記憶⑤ ~さよなら~

三浦貴さんの記憶① ~プロ入り前~
三浦貴さんの記憶② ~巨人時代~
三浦貴さんの記憶③ ~西武時代・引退~
三浦貴さんの記憶④ ~指導者時代~
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指導者時代

原点

 せっかく三浦先生からお誘いを受けた(という妄想をした)のですから、マスターズ甲子園の観戦もしてみました。優先度低めではあるものの、コロナ後もまた、たまに観に行きたい大会です。今年は浦学OBが東日本1位に輝きまして、2年連続2回目の甲子園出場を決め、貴のユニフォームも空高く舞いました! 日本一まであとひとつ! すっげぇ( ºωº ) こりゃ応援必至ですね(後日註:無事日本一になりました)。
 この舞台で、私も数年越しで願いを叶えました。浦学OBのゲームを結局3回観たのですが、3回目に三浦先生が出場していらしたのです。

 正直なところ、出場されていない試合も楽しすぎました。ジャッ◯もいましたし、見た目じゃわからないけど、△△という苗字と年齢から、(えっ▽▽の代にいた△△? ヤバっ懐かしい!)の連続です。もちろん、(……誰?)も多いです。歴代浦学スタメンを考えるとか、いつも妄想していることが、現実に起こっているではないか!! 相手ティームにも1人くらい、知ってる気がしないでもない選手がいて、楽しいです。

所属サークルでの私に対する評価。おう……。
学生時代は浦学歴代オーダーを組んで悶々とする日々を過ごしていた。時代を超えたNPB選手の
対戦は業務で無事叶えることができたので、今度はアマチュアの能力値も充実させて遊びたい。

 マスターズってデブいおじさんかおじいさんがドタドタやってるイメージだったけど、シュッとしたおじさんやあんちゃんも出るのですね。全然普通に動ける人もいっぱいいます。逆に、メタボでやたらすごい打球飛ばす人もいて。けどさ、浦学はさすが強いですね。現役選手ごっそり抜けてるのに。
 そして皆生き生きとして、1つのヒットに一喜一憂しています。前に同僚が、草野球ほど楽しいものはない、ダメでも誰にも怒られないから、って言っていました。それを思い出しました。だって異常に楽しそうなんだもん。
 対戦校の選手のブログやSNS等では、「憧れの三浦君、石井君たちと対戦できて嬉しかった」といった感想を書かれることがありました。かつての球児たちにとっても、幸せな時間なんでしょうね。なお、見つけた3投手は全員三浦君に打たれていました。さすがです。
 ある再会もありました。お母様と夜の密会をした、珍名の☆☆選手が出ていたのです。現役時代のことは全然存じ上げないのですが、そんな選手のプレーを、時代を超えて観られるってのは実に面白いことです。

 普段の県大会なら、いかにもなその辺のオッサンに「今日は三浦さんいないっすかね?」って聞けるのに、関係者くらいしかいない感じで、誰にも近寄らずに帰りました。現役選手とは違って本業やプライベートを優先させるから、さすがに予定を聞くのはよろしくないかなと思い、くじ引きだと思って気長に待つことにしました。

某年マスターズ甲子園埼玉県予選の試合開始の挨拶。
列が長すぎ! 50人までベンチ入りできるらしい。そしていっぱい出場する。

 三浦先生が出場していた試合は……えぇ、すんごく嬉しくって、胸が高鳴りすぎて、なんだかちょっと恥ずかしくなって、かなり後ろの席からコソコソ観ましたw せ、背番号が! ぎゃー。この日の客入りは結構ありました。
 中盤から、あの頃の打順で、ショートとサードをこなしていました。プロではショートを観たことがなかったので、新鮮でした。チャンスでクリーンヒットも放ちました。さすがですサンタカ(ジャッ〇もヤバすぎw)!

 そして最終回、とんでもないことが起こりました。三浦先生が、マウンドに上がったのです!!!
  ぎゃあぁぁぁぁかっくいぃぃぃぃ!!!
  バンバン ("ノ*>∀<)"ノ♡ฺ♡♡♡♡♡♡♡♡♡
  ヒューヒューーーココハ天国デスカ?
多分私は信じられないくらいキモい顔をしていたことでしょう。うっかり呼吸困難になりかけましたが、深呼吸をして自身を落ち着かせ、脳内のあらゆる神経伝達物質を放出させて、その雄姿をとくと目に焼きつけました。
 いやぁ、何年経ってもきれいなフォームよのぉ。ちゃんと準備されたのでしょう。変化球も投げていたし、かなーり豪快でしたわ。渾身の速球で相手のバットをへし折ったのはさすがに笑っちゃいました。
  お い お い や べ え な こ い つ !
そういや私、巨人時代の投げている彼を生で観ていないので、大学時代以来の投手三浦でした。マウンドに立っている姿はとっても輝いていて、最後はPゴロで仕留め、勝利をつかんでゆきました。皆に抱きつかれて結構なはしゃぎようww で、こちらまで幸せになりました。

十云年ぶりに観た投手三浦。貴が、貴が投げてるよーー涙涙。
♪マウンド立つ姿 輝いて 勝利掴め行↓け↓ みーうーらーた↑かー♪

 あぁ、これが望んでいた形なんだな、と。私が浦学を初めて観て恋をしたあの時と同じく、無我夢中に打って走って投げて……。あくまでも真剣で、かつ仲間たちと楽しそうにしている野球が、私の好きだった浦学野球であり、好きになった貴だったな、と懐かしくなりました。

 立教陸上部駅伝の上野監督なんかも同類ですね。生徒や学生に負けないぞって自らプレーする姿を見ると胸が暖まるし、プレッシャーなくトレーニングできていて、未だにパワーアップしてんじゃねぇかと思うと、笑っちゃいますよね。若者に囲まれて生活してるから見た目若いし。
 生涯スポーツって魅力的だと感じた私は、自らもマスターズに出場することにしました。と言っても、仲間がいなくてフライがとれない自分に野球は厳しいので、陸上競技のマスターズ大会です。ワールドマスターズゲームズ2021関西にエントリーして、それを目標に練習したりしなかったりしました。投擲5種って何ぞ。未経験なのにノリでエントリーしたオリエンテーリングの勉強も始めました。
 また、たかが勝利のためにいい歳こいて躍起になったり、自身の目標に向けていい歳こいて無理シチャッテル大人たちについて、もっと知りたい、知ってほしいという思いが強くなり、プレス登録の準備をしていました。コロナの影響で未だ実現していませんが……。


さよなら

衝撃的な別れ

 7月23日、県営に立教新座-浦学戦を観に行きました。三浦先生を見つけることもすぐに諦め、試合ばかり気にしていました。普段は淡々と生活している私も、夏の大会中はドキドキです。そんな私の暮らしを一変させたのが、先日の訃報でした。そのときのことは①の冒頭で書いた通りです。数日間は、あまり記憶がないんですが……。

 お休みされていることを知ったのは、5chでらしきことが書かれているのを見たのが最初です。ソースを確認して、ぞっとしました。その後も信憑性のない噂が書きこまれていました(病名等の詳細を公表していないのにネットに漏らす近い人がいて、最悪だわ。訃報もマスコミより前にタレコミが書かれていた。内輪で悲しみをつぶやく程度ならまだしも報告とか、いい加減にしろ。ま、マスコミもモラルないとこあるから、↓も勝手に書いた可能性あるが)。

↑↓ミライカナイ『輝け甲子園の星』2022年7月号。
「療養でチームを離れている三浦貴コーチ」とある。
↑今夏と同じ状況がすでに昨夏(春、秋)もあった。脚が長い。
↓病状がよろしくないことは学校内の掲示からもわかる。フルネームで呼ばれてたん?
この後一時は寛解したようだが……。

 療養とありますが、病気とは書かれていません。加齢をものともしない、元気の権化のような三浦先生がまさか病気になんてなるわけないので、最初に頭によぎったのは野球していて大怪我をしてしまったという可能性でした。次に疑ったのは精神的な方の病。野球選手の中では比較的落ち着いていて賢い方だったので、いろいろ思いつめちゃったのかなぁとか想像してしまいました。いずれにしても、無茶しがちな先生はよっぽどの大病じゃないと休まなそうなので(よっぽどの大病でした……)、信じられませんでした。今思えば、信じたくなかっただけかもしれません。
 その後、復帰した、見たとか、いやまだ休んでるとか、錯綜する情報に流されてモヤモヤしていました。重大だと疑うべきことはいっぱいありました。けど、Youtubeで取りあげられていて、全然大丈夫そうじゃんってなりました。また、更なるネットサーフィンで、他のコーチが退任される際に「静養して」と書いてあるのを見つけました。ごっちゃになって、むしろこの元コーチをより心配するようになりました。先生や浦学に近しい人とは連絡も取っていないし、たとえ取っていたとて、公表していない私的な事情を私なぞが聞くべきではありません。
 コロナ禍で、そもそも高校野球観戦じたい自粛気味だったんです。「三浦先生を見ていない」でなく「浦学を観ていない」、「高校野球を見ていない」んです。先生を見つけられないことなんてよくあります。一向に心配しない自分がいました。

 そして今年の春県の川商戦?、久しぶりにあのシルエットを見つけました。なんだ、いらっしゃるじゃん。誰だよ嘘たらしこんだのは。うーーん。あれが最期に見た姿でした。茨城遠征以来1年半ぶりの拝見だったため、遠めで眺めただけでほっこりして、十分満足してしまいました。コロナ5類移行前だったし、お休みしていたことに触れてよいかわからないし、先生に近づくのはやめた方がよいと決めていたし(※後述)。あぁ、こんなことになるなら、話しかけに伺えばよかったなぁ……涙。

 ご遺影、すっごく素敵ですね。三浦先生らしい、元気でやわらかい笑顔。実物よりも画像で嗜むのが主でしたから、私にとって普段と何も変わりありません。まるでそこにいらっしゃるようです。
 残念ながら、医師の勘違いでもドッキリでもなく、亡くなったのは事実のようです。きれいに眠る貴さん。しっかりお別れをしました。辛い想いもされていたんですね。貴のこと、何も知りませんでした。貴は多くの方々に、慕われそして愛されていたんだなと感じました。

 私はこのところ、プライベートでもう誰とも連絡を取っていません。LINEもWi-Fi環境下からしかできなくなって放置状態です。それなのに、数年ぶり単位で、前職で知り合った人を中心に多くの方から連絡をいただきました。
「三浦選手が亡くなったと聞きました。非常に残念です。大丈夫ですか? 辛いと思いますが、気を落としすぎないでください。」
といった内容です。私、そんなに貴ファン名乗っていたのか……? まぁ、心配してもらったところで「大丈夫です」とは言えません。長年愛してきた心の支えがなくなって、大丈夫なわけないです。

 昌平と徳栄が逆の山で潰しあってくれたこともあり、浦学は県大会を勝ちぬいて選手権出場を決めました。特に栄戦以降は、エースを欠く中ティーム一丸になって戦っていたと思います。生徒たちには純粋に楽しんでほしかったけど、弔いという重いものを背負わせてしまって心苦しい気持ちがあります。三浦先生の「大会に集中してほしい」という言葉はそういう意味でしょう。関連づけてほしくないような、でも忘れてほしくはなくて、もう気持ちがぐちゃぐちゃでした。準決勝以降や甲子園で、選手が地面に文字書いているのは観ていて辛すぎました。選手の頭にどの程度あったのかはわかりませんが、精神状態を鑑みると試合内容にケチなんかつけられないです。
 県で優勝後のインタビューで大くんが三浦先生に言及して、号泣していました。一方テレ玉の浦学壮行特番では、落ち着いて話してくれていました。先生が助からないのは、もうわかっていたっぽいです。1番くらい近くにいた人だろうから、それが実情なんでしょう。そんな病魔に侵されていたなんて、本当におやげないです。

特別なひと

 好きな野球選手は誰ですか――野球好きを公言しているため、また職業柄、よく聞かれましたが、貴と答えたことは1度たりともありません。知られるのが恥ずかしいのと、現役時代、選手としてファンになりきれなかった申し訳なさもあります。
 貴に対しては、選手としての「ファン」「推し」とは違う、けれどそれ以上の深い想いがあったように思います。同様の人が他にいないし他の男性に恋愛感情を抱いたことがないので上手く言語化できないんですが、彼は多分、「好きなひと」だったんだと思います。もっとあいたい、もっと近づきたい、欲しい、そういった感情があったのは否定できません。貴が先生になられてから、特にあの日を境にその感情が芽生え、あることを機に抑えきれなくなりました。もちろん片想いで、それ以上のものを望めないし望んでいないけど……それが私の本当の想いです。
 私はわるい人です。ただのファンじゃなくなったからって偉そうにしてさ、ただの同業者なのに。私みたいな距離感わかっていない人が、痛いガチ恋勢ってやつなのか。こんな歳して、しかも所帯持ちの超人気者に対して……ファンの暴走というのは怖いものです。非常に反省しております。野球選手は最高級の憧れであり、この仕事をする前から一貫して、彼等をプライベートに持ちこむことは絶対にない自信があったのですが、自分自身も裏切る結果になってしまいました。
 ご本人にはバレていたかもしれません。コロナ前は、無関係のくせにあまりにしつこくて正直嫌気がしていらしたと思います。それでもなお、屈託のない笑顔で接してくれる先生の優しさがかえって辛く、やりきれなくなりました。貴への下心に自身で気づいてしまってから、姿を見てもなるべく近寄らない、せめて挨拶までに留めるようにしました。

 10代の彼を見て心射抜かれた後も、20代、30代前半と、ずっと眩しい存在でした。期待が強すぎて目を閉じてしまったこともあったけれど、目を開けるとそこには眩しい姿があり、離れられませんでした。その後はオッサン化して已むなしのはずなのに、40代になってもしゅっとした体形を保ち続け、びっくりするほどユニフォームが似合っていました。
 元気な姿も、真面目な姿、苦労する姿も、画面や文字を通して、あるいは直接、我々に見せてくれました。そのまんま接してくれる人でした。零下に冷え込んだあの寒い日の朝、野球する凛とした外見から好きになったけれど、それは内面の実直さや芯の強さが滲みでていたんだなと、後からわかりました。あんな素敵な人がこの世に存在するのだろうかというくらい、マジで魅力的で、最初から最後までずっとずっとずーっと、彼は私をドキドキさせてくれました。
 でももう、そんな素敵な人はこの世には存在していません。悲しいね。

 死ぬという瞬間はこないだ来てしまって悲しいけれど、死んでいるという状態は、明日も来月も来年も再来年も、永遠に続くし変えられないので、より一層残酷です。もう貴は、生きているという状態になることはないのです。空から見守ってくれてる……とか、天国でも野球を……とか、我々の勝手な思い込みです(私は無神論者で輪廻転生も信じていません)。己の屍さえ失った貴はもう、どこでも野球なんかできなのが現実です。
 もう一度、会いたかった。ちゃんともう一度、姿を見ておけばよかった。ちゃんと映像や画像に収めておけばよかった。話しかければよかった。名前を呼んでほしかった。笑って挨拶してほしかった。もう一度、○○○したかった。後悔と未練で胸が締めつけられます。

 正直、亡くなったことを知らないでいたかったです。球場でグラウンドやスタンドを見て「あれ〜今日もいないのかな〜」って思い続けたかった。あの日に戻って亡くなったことを忘れたい。なかったことにしたい。
 これってご本人や遺族の方々には大変失礼ですよね。私が死を知っているかどうかでブーブー騒いでいるけど、亡くなっていても構わないみたいな言い分ですね。もちろんそんなこと微塵もあるわけないですけど。
 実際に先生は、辛い闘病生活を送っていたんですよね。どんなにか苦しかったろう、痛かったろう。発覚したときや再発がわかったとき、どんな思いだったろう。死を現実に考えて絶望しただろう。どの程度受け入れて、気持ちが変わっていったのだろう。まだまだやり遺したことがいっぱいあっただろうに。最期は何を考えていただろう、それとも何も考えられないほど苦しんで逝ったのだろうか。私はこれらを、一切知りません。
 ご親族や関係者など、直接かかわっていた方々も、苦しむ彼を支える中でさぞ大変な思いをされたかと思います。私とは比にならない幾多の思い出があり、私とは比にならない膨大な悲しみがあるのでしょう。それを考えると、私の悲しみなんてちっこいもんです。
 先述とは矛盾しますが、公表してほしかったとも思います。強くてかっこいい姿以外もたくさん見てきたから、弱っている先生だって愛せたはずです。どうせお別れするなら、少しずつがよかった……。

 ご家族や生徒をはじめ、彼には多くの直接慕われていた人がいて、そして、私のような多くの間接的なただのファンがいます。ネットで検索をかけると、彼の訃報に際してただのファンやファン未満の人たちは彼のことを思い出し、彼の思い出や思い出未満の感想を語ったことがわかります。
 ・スライダーがよかった
 ・コントロールがよかった
 ・身体能力だけはすごかった
 ・やるスポーツを間違えた
 ・野球を見始めた頃によく投げてた
 ・條辺とともに潰された
 ・黒田と被る
 ・あの1球がなければ
 ・ディアスのホームラン判定がいけない
 ・応援歌が好き
 ・西武にもいた
 ・パワプロでめっちゃ成長した
 ・サインもらったことある
 ・イケメンだった
 ・堅実に転身して感心した
 ・倫理教わった
 ・浦学のコーチやってたんだ知らなかった
 ・浦学がんばれ
 ・内視鏡検査しよう
 ・みぅーーー涙
自分との関係性を書いたり、経歴をつらつらと綴ったり、2000年代の巨人の批判で喧嘩をしたり……。
 もちろんプラスのことだけではないけれど、関係者でもないただのファンたちの中に彼がいて、ただのファンたちから思い出してもらえるなんて、すごく幸せなことだなぁと思います。誰しもが知っているスーパースターではないかもしれないけど、我々一般人にはない、特別な称号を得ている人なんだなぁと改めて感じました。
 彼と同年代の埼玉球児からの証言、貴の武勇伝もいっぱい。貴(とジャッキとコバヒロ)は別格で、とんでもない選手だったんだな……。30年近く経ってもそれを覚えているくらいに。やっぱスーパースターかも!
 不特定多数の人々と野球をネタにやんややんや言うのは楽しいひとときです。貴の死については1ミリも楽しくなんてないですが、貴について皆が話しているのは、悲しみから一瞬でも離れられる癒しでした。

 はぁ。涙が止まらない。

2018年選手権準々決勝 大阪桐蔭―浦和学院戦終了後。NHKの画面をトリミング。
人生1, 2を争う激混み試合だった。右から2番目の大きな背中が貴。なお入院中。
ナベU、蛭間。西武の未来を任せたぞ。おい蛭間、もう貴の方は見るなよ。

 貴はいつも、私に何かをくれます。今回のことで何か変わりたいなと思い、画策していることがあります。現在興味をもっているのは、
 ① 誤審等に見られる理不尽さの軽減
 ② スポーツ業界や部活動の環境改善
 ③ 競技・勉学等両面での人間力向上
の3点です。スポーツデータアナリスト時代は、より強く、よりオモシロくを重視していましたけど、最近は、より心地よく生きたい欲が強いですね。実を結ぶまでどのくらいかかるか、また、どれに力を入れ、どれを頓挫してしまうのか、不透明な状態です。以前とは違った形になりますが、大好きな野球界、スポーツ界の潤滑油になれたらと考えております。

※ 見出し画像は、2022年センバツ準々決勝 浦和学院-九州国際大付属戦で勝利後校歌を歌う浦学ナイン。ノックもしていなく、見つけられなかったが、この頃に貴はもう……。


さいごに

 振りかえってみると、我々外野が観測できる範囲だけでも、彼は波瀾万丈な人生を送ってきたのですね。栄光も挫折も知っているからこそ、その経験が彼の血となり肉となり、生徒や選手への指導に活きていたのではと思います。そんな人生も、彼は「普通」と切り捨てました。そう言えたのは、その日その一瞬と真摯に向き合い、多少の困難も普通だと思えるほど努力できる人だったからだと思います。なかなか できることではありません。

 1つだけ文句をつけるなら、病気にも克ってほしかった……時間かかっても……何度でも何度でも……普通に、うち克ってほしかったです……。先生のことだから、うんと頑張ったんだろうけどな。

 貴は私の1番好きなひとです。好きじゃなかったらこんな悲しむこともなかったろうけど、貴と出逢えたことに一切悔いはありません。
 浦学野球部を知らせてくれて、毎年関東じゅうに連れてってくれました。たくさんの野球の魅力、そして野球の怖さも難しさも伝えてくれました。大好きな野球を生業とすることができたし、たくさんの野球人や野球バカたちと会うこともできました。そして今日も明日も、私は野球を観ます。貴が生きていようがいまいが、そこに野球があり、私には野球があります。
 少しずつではありますが、体調も回復し、元どおりの生活ができつつあります。球場へもなんとか足を運びはじめました。プレイヤーとともに白球を追いかけるのは、やっぱり、楽しいなぁ。

貴に出逢えて幸せでした。
ありがとう! 貴!
さようなら。


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※ 感情のままに書きなぐったため、
ご本人・ご遺族や関係者には失礼な部分があったかもしれません。
三浦貴さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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