三浦貴さんの記憶② ~巨人時代~
三浦貴さんの記憶① ~プロ入り前~
三浦貴さんの記憶② ~巨人時代~ ←この記事
三浦貴さんの記憶③ ~西武時代・引退~
三浦貴さんの記憶④ ~指導者時代~
三浦貴さんの記憶⑤ ~さよなら~
巨人時代
ついにプロ野球選手!
みんなー! 三浦がプロ野球選手になったよー!!
選手名鑑に名前と顔があるのを見たとき、嘘じゃないんだと確信しました。浮かれすぎて三浦の欄に折り紙を切り貼りしてデコレーションしてしまいました。9年間で3回やっていて、今見返すと恥ずかしいです。
オープン戦の巨人戦を観にいったら、ブルペンに入っていて、めちゃくちゃ動揺しました。三浦が巨人のユニを着ているよ! ぎゃー! 肩を作っていた(私の心も作っていた)のに投げてはくれませんでした。残念。
ルーキー三浦の活躍ぶりは目覚ましいものでした。開幕直後から高頻度で投げていたせいで、プロ初登板をうっかり見逃してしまいました……涙。あっけなく挙げた初勝利の登板は中継を観られました。「勝 三浦」「〇 三浦」という字面を見るためにニュースをはしごして、「勝ち、三浦」という1~2秒のために早朝のNHKラジオを聞きました。今の情報化社会からしたら涙ぐましい努力ぞ。
私は高校受験を控え、この年は相当真面目に勉強したので、フルでその雄姿をチェックできず、もどかしかったです。それでも、西武がホームゲームでない日は巨人戦をつけていることが多かったし、登板する時間帯が塾の帰りでも間に合いがちだったので、結構出くわすことができました。
フル稼働が祟ったのか、途中1ヶ月ほど抜けました。当時は公示をチェックする術がなく、あれ~今日も投げないな~って思っていました。必死に生きていたら、いつの間にか1軍昇格の報道が出て、また投げるようになりました。
プロ野球ニュース一択のパ・リーグと比べたら超恵まれていました。日テレのズムサタやTHE・サンデー、うるぐす等で巨人コーナーがあり、試合の振り返りを観るようになりました。普段のスポーツニュースでは中継ぎがいくら抑えようと1秒も映らないですから、見なかった試合の動く三浦が映るだけで嬉しいものです。選手へのインタビューも充実していて、たまに登場して普通のことを言って、いじられもせずに終了という感じでした。随分と素っ気ないのねw まぁ、しゃべる三浦や笑う三浦を見られるだけで嬉しいです。月刊ジャイアンツやジャイアンツヒーローズも立ち読みするようになりました。親からは、巨人ファンになったかと心配されました。
学校に巨人ファンもそこそこいたので、プロ入り前から三浦三浦騒いでいた先見の明がある人だと思われ、三浦ありがとう状態でした。野球興味ない彼女からも、かっこいい、趣味がよいと褒められました。<(`^´)> 好投した翌日に、国語の時間でなぞかけを学んだ際、「昨日のダイエー対〇〇とかけまして、巨人対△△と解きます。その心は……どちらもタカががんばったでしょう。」とかほざいていました。ごめんなさい。変な短歌も詠んだ気がする。ごめんなさい。
とにもかくにも、スライダーがプロでも通じて安心しました。曲がり幅よりも、そのコントロールがよくて感心していた記憶があります。敗戦処理だけでなく、僅差の登板も勝ちパターンもまぁまぁあり、こちらがヒヤヒヤしましたが、大方抑えてくれました。
登板数は49試合。私はまだ幼くて我慢して育ててほしいという感情はなく、たくさん観られて嬉しかったです。もっと若い條辺の方がよっぽど雑に扱われてたイメージで、少なくとも当時の感覚としては、三浦は酷使されたようには思っていなかったのですが……。今になって調べると、先発が崩れたときの2番手ロングリリーフだらけじゃん。てか崩れすぎ。その間にセットアッパーとかも普通にしてるし。失笑。(´▽`;) ルーキーにこれだけ依存するほど他の投手陣がボロボロだったんでしょう。よく2位になれたな。あの打線オーダーみたらビビるけどよぉ。
ま、1軍でほぼ完走しきって、駆け出しとしては大満足の1年でした。よかった三浦は丈夫な方だ。大きな怪我さえしなければまた毎年こうやって姿を見られるかもな。あぁ、もう立派なプロ野球選手だな~( ◜ᴗ◝ )
メディア露出
オフのバラエティも見ました。筋肉番付と最初のスポーツマンNo.1決定戦です。筋肉番付は、試合やインタビューでは見られない、かなりダラダラした態度で新鮮でしたw スポワンは清原の代役だったそうです。No.1とったテイルインポッシブルは、学校で自慢しまくりました。この年は、室伏無双の伝説の回だったこともあり、身体能力の片鱗を見せる程度でそんなに目立っていなかったです。
それから、結婚を発表していました。おめでとう! てか式に同僚呼ばないんかいっ。お子さんも生まれましたね、おめでとう(お子さん誕生は公式発表していなかったから、知らぬ間に増えててびっくりするパターン)! プライベートにはそこまで興味ないのでお好きにすればよいですが、早めに結婚してくれたお蔭で、厄介な女性ファンが寄りつきにくかったのはよかったです。
あと、本当のところは知る由もないですけど、遊び人の噂がない〔願望〕選手でした。その代わり、某掲示板では、真面目すぎ、無口、つまらない、ファンサがよくないという悪口が多かったですね……笑。スポーツできる陰キャとか最っ高じゃないか! まぁ陰キャは言いすぎか。ちょっとシャイな好青年〔願望〕ってとこでしょう。謙虚で素直なとこは、人としては魅力的かもしれないけど、プロの投手で生き抜いていくには欠点になったかもしれませんね。
この年のプロ野球aiはすごかったです。二岡はじめ巨人の全盛期で、仲良しの條辺とセット(じょ×みぅ)でプッシュされていました。これからブレイクするイケメン若手中継ぎコンビを青田刈りしとこう! みたいな位置づけでした。巨人入ってよかったとつくづく思いました。あの雑誌、刺激が強くて読むのは小っ恥ずかしかったけど、ユニークな情報や選手の顔が見られて、実に魅惑的なんですよね。多くのファンが三浦にメロメロ♡で上位ランクインしているということで、三浦が取り上げられているページはちゃんと立ち読みしました。爽やかでかっこよかったですね……♥ プライベートに興味ないとか言っちゃってバリバリ気にして読んでんじゃん。はい、嘘でしたごめんなさい。
三浦が名前の由来やスカートめくりについて語っている記事を読み返したいけど、どこの何なのか、思い出せないです。最もありうるのはaiなんですがね。買いたいよぉ。
ルーキーイヤーの人気は当然でしょうけど、元々モテまくっていたらしいですね。三浦自身がモテ自慢はしない(ん? ボタンの話って誰発信だったっけ?)ですが、小川やジャッキや同年代浦学生の証言を見たり聞いたりしたことが何度もあります。くそぅ。そりゃそうでしょう。どうせ先生になってからもJKから********! 最近は保護者世代にも新規ファンが増えてきて……くゎーっ!
なお、上で活躍しなくなったら即効で人気なくなりました。一瞬でしたね。女性ファンの方が実力主義で容赦ないのかもしれません。違うか結婚したからか。それはそれではっきりしてるなぁ。
イップス疑惑
三浦を語るうえで避けて通れないのが、緒方への危険球とそれを発端としたイップスです。本人が否定していたらしいですが、噂が一人歩きしたとかでなく、イップスに陥ったこと自体は真実で、治そうとがんばってどんどん悪化していったのでしょう。同時期にいた選手や首脳陣など、近い人からの言及もありますし。否定したというのは、後ろ向きに野手転向したと思われたくない、彼なりのプライドだったんじゃないですか。情報元も読みましたが、後づけで精一杯強がっているとしか思えないです。
イップスは心の病ではありません。克服するのは易しいことではないでしょうが、時代が違って、専門家を用意して適切な処置をしていれば、違う未来があったかもしれない、と妄想してしまいます。性格が優しすぎたのかな……。難しい問題ですね。
三浦のプロ2年目、私は高校に入学した年でした。同じクラスで最初に隣になった人が野球部で巨人ファンだったため、自然と野球の話をするようになりました。三浦は使えるよね、と一定の評価を得て誇らしかったです。
開幕ローテの入来が怪我をし、代わりに先発抜てきの報道があり1軍昇格したので、今か今かと待ち構えていたのすが、なかなか先発してくれなくてヤキモキしていました。ついに先発予想が出た日に、先発して初回いきなり退場。ラジオの前で初先発に喜んだのも束の間、あっという間の出来事でした。テレビ中継が始まったときには既に降板後。これが投手生命を奪うきっかけになるとはつゆ知らず、「まったく何やってんだよ~(失笑)」って感想でした。
帳尻合わせに翌日投げてまた被弾した後 間もなく下に落ちてしまい、前述の野球部員に、三浦の扱いへの不満を漏らしていました。優しく見守れないなんて、ファン失格よ……。
この年三浦を観ることはもうありませんでした。三浦の話もしなくなりました。何してるかわからないんで話しようがなかった。ファームなんて観られないです。なお優勝した巨人の先発陣は好調で、中継ぎの扱いが前年ほどひどくはなかった印象。西武が稀にみる圧勝をしたシーズンだったのに、和田ベンが逆シリーズ男になって屈辱の4連敗を喫し、チケット持っていた5戦目観に行けなくて○意を覚えました。
彼に対して冷静に見られなかったので当時の評価がわかりませんが、果たして先発に向いていたんでしょうかね。私は断然先発でいってほしかったです。スピードも速くない(あのキレなら全然構わないと感じますけど。私は投手三浦の生命線は真っ直ぐにあると思ってやみません)、使える球種も多くない。バッターもプロだし打ち慣れてくるだろうし、本人も自覚していて、少しずつ成長しようと努力していました。
投壊・東京ドーム・ラビットと苦難は多かれど、イップスなく巨人の投手を続けている世界線を見てみたかったです。4番手、80回くらいで地味にローテ回していけてそう。で、ティーム事情によってしょっちゅう配置転換させられる便利屋さんかな。功労者として地味に長く居残るか、5年で使い古されて「あぁそんな奴いたなぁ、一時期仕事してくれたわ」ってなるか、はてはて。
この件に関してたらればの話をしたり、イップスが話題に挙がると思い出したり、思うところはたくさんあります。ただ、プロになるまで培ってきたものを失い、全てを諦めてしまっても仕方がない状態から、方向転換して這い上がった事実は紛れもなくすごいことです。「才能があったから」だけで済まされない、多くの苦悩と努力があったことと想像します。
野手になった
私が彼の野手転向をいつどこで知ったかいまいち思い出せないです。テレビ? 新聞? 名鑑では既に内野手になっていたので、シーズン前だったとは思うのですが。最初は、そんな判断する巨人はクソ、みたいな怒りの感情だった気がします。しかも原因がイップスだと知ったのはそれより大分後でした。打てる投手じゃいけないわけ? と思っていたので。
巨人のファームなんて知る術もなく、フレッシュオールスター出場も後日知りました。月刊ジャイアンツで超時間差で知るくらいしかできず、それも、ルーキーイヤーと比べ全然載っていないので、だんだん読まなくなりました。文字も画像も、なんせ2年近く情報もないんですから、とりあえず1軍で出場しているのを観られればよいや、投手でも野手でも知らんがな、みたいな投げやりの気分でした。
それを変えてくれたのは三浦自身でした。コンバート後の1軍初打席初球を、ナゴヤドームのバックスクリーンにぶち込んだのです。これにははっとさせられました。私の中の打者三浦は打ちまくっているイメージなので、まぁこれはこれでアリかもしれない、と受け入れつつある自分がいました。野手でいくんだ黙っとれや、そんな気概を感じさせてくれた渾身のひと振りでした。
この日は阪神がリーグ優勝を決めたし、巨人は大量ビハインド。テレビ中継の実況さえ別の試合の阪神優勝の行方ばかり気にしていましたが、三浦の雄姿をギリギリ リアタイで観ることができました……危ない危ない。
記念すべき初HRなのに、ニュースでも新聞でも、後の巨人特集でも取り上げてもらえませんでした。次に観たのはプロ野球戦力外通告だったかも? ホームランを打った翌日、クラスに来ていた教生が阪神優勝の話をしていて巨人ファンだというので、三浦の話をしたら、誰それ状態でした。ふざけんなクソニワカが。
頂点に立った舞台
このオフに、TBSのスポーツマンNo.1決定戦で総合No.1になりました。出場した3回とも録画したのですが、どこいったんでしょう。というか映す媒体がない。まぁ当時は、親の不在時に何十回か見直しました。
ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ2005年は、翌日早朝の四天王箱根デビューと重なってほんと大忙しでした。お前受験生だろ!
スピード持久力、跳躍力、肩力――それぞれが活かせる種目があってよかったです。特に、皆苦手なテイルで無双してポイント稼げるのは実に大きかったです。私にとってはダントツ興味ある種目なのですが、軽視されがちでした。ライバル選手とのポイント差を考え、第〇レースまで耐えてあと諦めて体力温存する、などと戦略をとる上位選手も多いので、最終レースで三浦しかまともに走ってなかったりして……ジョッグで皆を周回遅れさせたりして楽勝でした。競う相手がいて本気で走るところを観てみたかったですね。小さなトラックで400インターバル、特にラストは純粋な持久力勝負でないので、かなり興味あります。(サッカー、)バスケ、スキー、陸上は皆シーズン中だし……競泳とか自転車の選手が出てほしいです。陸上中長の選手が出たらさすがの三浦も負けそうだけど、奴等は他が激弱だろ。なお三浦は、中学の陸上部で高跳びやっていたというのはwikiにも書かれていますが、400の選手でもあったそうです♪ そりゃぁ得意だわね。ちなみに奥様も……。
モンスターボックスは実に素晴らしかったです。バネの強さはもちろんですが、評価すべきは技術の方ですね。1回失敗して2回目で跳んだことも複数回ありました。激突してしまった後、ロイター板をほんのちょっと跳び箱に近づけて放物線を尖らせ、脚力・腕力をギリギリ使いきっていました。跳躍後の体の避け方も非常に巧かった。まだいくらも余裕があったという感じではなく、限界まで出し切れたお見事なパフォーマンスでした(ちなみに私も大昔、習い事の余興でやって楽しすぎました。開脚10段相当(11段相当で背中を強打><)、頭はね8段でした。小学生用と高さ違うから7、8段だって結構怖かったですよ)。2005年は余裕があって調子よさそうだったのに、ボビーが雰囲気ぶち壊して最悪でした。
ガイズ系はもっと得意だと思ったんですがね、バーンアウトののこぎりが超遅くてモヤモヤしました。まぁでも、疲れて悶絶する三浦、よき。ビーチフラッグは概してくじ運悪かったです>< パワー系では強者どもにやられっぱなしでした。吹っ飛ぶ三浦、萌え……いや、むち打ち怖いです。そんなだったからガロンスローもダメかと思いきや、細いくせに巧くて意外でした。手足の動作の連動が得意なんでしょう。ただ、巧く飛ばせても、角度の調節には苦労していた印象でした。ショットガンタッチは試技回数とポイント争いの制約がなければもっと行けそうでした。そう言えば三浦のヘッスラって全然観たことないですね。他では、バランス感覚も優れていそうなのでデッドマンズドロップに出場しているのを見てみたかったです。てか、これらの能力野球に必要か?
関係ないですが、サーティーは2人でやる場合先手必勝、3人でやる場合も1番手と2番手が2人で結託したら必ずビリを避けられる(1番手と3番手、2番目と3番目はダメかも? わからない)ルールになっています。学校で嬉々として解説しましたけどテレビマンは気づかないんですか? 2人の場合がQuizKnockから上がっています。↓ 2人の場合を参考にして、それ以外(言うべき数字の個数、連続して言ってよい個数、参加人数)もぜひ考えてみましょう。
2004年は、他の出場者(の調子)との兼ね合いもあるでしょうが、まさか優勝するとまでは思っていなく、困惑と歓喜が入り混じった感情になりました。一所懸命な姿はやっぱりかっこよかったですね。これぞ三浦ファン冥利に尽きます。番宣や巨人側から好成績であることはバレていたので、友人に見ろ見ろと宣伝しまくり、年賀状を2日に出すわ~って宣言し、貴のイラストや感想を年賀状に描くとかいう痛いことをしました。番組の影響力は大きく、野球ファンに限らず有名になって、貴のすごさも世に知らしめられて、貴自身も楽しそうで何よりでした!!! 年明けの取材で、珍しく調子づいて「野球は苦手だけど ああいう系は得意なんですよぉ」と自虐ネタを言ってたのはムカついた。お前プライドないんか。
ありきたりのことしか言わないのでバラエティには向いていなさそうだけど、スポワンがあって本当によかったです。他の番組も見てみたかったですね。ナゴドのマラソン優勝争いできたと思う! SASUKEやバイキングもよいな~。あのバネ感、SASUKEの1stステージめっちゃ得意そうじゃん(後日註:2005年正月放送の14回大会にゼッケン95として出場し、ジャンプハングで脱落したという噂があります。放送ではオールカットでした)。
私が小中やっていたロープスキッピング、貴も埼玉なので経験あるらしい(いわゆるハヤブサ(前[CO])が延々とできたそう)ですが、多重回旋系も時間跳も絶対得意でしょう。あとねートランポリンとか新体操とかパルクールとか、やらせたいよー。番組内では「可能性の玉手箱」という二つ名をつけてもらっていました。素敵。
ただ、活躍すればするほど2ch等で叩かれたり煽りのコマになったりしたのは、辛いところです。「野球向いていない」「引退して跳び箱芸人になれ」「三浦貴でさえサッカー選手に圧勝できた、サッカーはクソ」みたいな悪口ですね。好きで野球やってるのに。同じく好きな赤田も同様泣。本業で見返せられたら最高でしたけど、残念ながら、貴が最も輝いた舞台と言っても過言ではありません。
一世を風靡した番組でしたので、球界でも有名でした。球団からも なかなか諦めきれない理由と言いますか、選手寿命が延びたイチ要因にもなったと思っています。
1.5軍の生活
巨人(野球)の人気低下に伴い地上波放送も減っていき、ただでさえ巨人戦を観なくなったうえ、貴もファーム暮らしが続きました。たまに上にいるときの地上波を観ても、何の意図も感じられない残念な見逃し三振が多い印象でした。特にシーズン終盤に帳尻合わせされることが多く、ネクストで敵の胴上げを眺めていたりしました。ティームやファンにまた迷惑をかけてしまうという感情が強く、昇格を素直に喜べない自分がいました。ファンでいることが辛かったです。
原や内田コーチにはかなり期待されていました。干されたみたいに書かれることがありましたが、なで肩/\コンビを組んでいた山田真介とか、川中、吉川、堀田、W十川、原俊のような有象無象の外野の中では比較的チャンスを与えてもらっていた方だと感じます。そもそも下でも活躍しきっていないですからね。ファームでガンガン打ったとて上で控える巨大戦力に跳ね返されていた確率は高かったでしょうけど、現に亀井はレギュラーとったし矢野や鈴木や斉藤も1軍定着してたんですから、それを言い訳にしているのはプロじゃないですね。つくづく厳しい世界です。
2000年代半ばの巨人は投壊していましたので、それこそ必要なのは貴のようなタフで信頼できる投手でした。運命というのは皮肉なものです。
私は普段セ・リーグを生で観に行くことは少なく、巨人時代の貴が1軍の公式戦に出場しているのを、結局1度も観ませんでした。ベンチ入りしているが出場していない、ただのキャッチボール役が1試合ありました。超変化球で、まさかの日米野球の親善試合での出場を観ました。速攻で凡退していました。
下でくすぶっている貴の影響で、ファームを観るときに巨人戦を選びがちになりました。野手に転向後の2004~2007年で、イースタンの巨人戦を第二に2試合、インボイスドームに1試合、G球に1試合、浦和に1試合観に行ったっぽいです。うち3回はスタメン出場、1回途中出場して、まぁまぁヒットも打っていました。キャッチボールで一瞬振りかぶって投げていたのを見て、ちょっと動揺しました(キャンプでBPやらされたりしてたけど)。
試合後に握手してもらい、初めて貴に触りました。それと1度、貢ぎ物とファンレターも渡しました。何ヶ月も迷ったり推敲したり……使って&読んでくれたかは知りませんし、あんま知りたくもないです。パフォーマンスを素直に応援できないくせに、無駄に行動は起こしました。昔から好きだったからただ観に行く以上の関係性にしとかなきゃおかしい、という義務感のような感情に駆られていたような気がします。いや、報われないファンとしての自分に酔っていたのかもしれません。情けないです。
けど、そこまでファーム情報気にしてる感じでもなかったですね。携帯でなくPHSだったし、大学受験→仮面浪人→再入学という大変な時期だったのも大きいです。自分の環境に左右されずに常に野球だけは観ていたいのが理想ですけど、生きるのに必死でした。
テレビの巨人コーナーもニュースでも、全く話題に挙がりませんでした。上原のラジオにゲスト出演したときは聞きました。上原には、お立ち台で名指しでバッティングを褒めてもらったこともあったし、サンモニで訃報が取りあげられた際にコメントもしてくれました。上原以外では、投手では條辺、山本賢寿、野手では山田、亀井、鈴木尚広、中濱あたりとよく絡んでいました。
スポーツ報知のメルマガを登録している友人とサービス交換をし、見せてもらうようになりました。貴については、野球に関する情報よりも、練習内の何かの競争で1位になった(大抵そう。運動神経すごいことはもう十分わかっています)とか、娘さんに何かもらったとか無視されたとか(重度の親バカ)、飼っている猫がどうとか、マジでどうでもよいことの方が多かったです……というわりに覚えているな。当時の巨人の番記者によると、ネタに困ったときはいつも貴を頼っていたそうです。
それと、ファームを観に行ったときに貴のユニを着ている女性に思い切って声をかけ、連絡を取りあう仲になりました。同い年の、G球を主戦場とされているオタクで、たくさん写真を見せてもらえて嬉しかったです。ただ、出待ちしてプライベートにもズカズカと入っていくタイプで、困惑しました。私服姿もあり、刺激が強かったです。貴はいっつもほぼ無地のシャツやトレーナー1枚、もしくはオーバーを着ているだけで地味でした。でも似合ってるから十分です。色味のある服は大抵奥様に選んでもらうのだとか。あと、公式の場でのスーツ姿は、2回に1回はネクタイが曲がっていました。車は引退までずっと例の副賞でした。テレビ中継でも抜かれていましたが、貴って時折、アホみたいに口を開けて 少年のような無垢な表情で プレーやイニング間イベントを眺めていたんです。緊張感がないというか、まぁ純粋に楽しんでいたんでしょうね。
……などといった話題をして、貴を種に存分に遊ばせてもらいました。あの人今何してるだろうと思いましたが、先日そうであろう人をXで発見しました。訃報にコメントしていました。未だに貴のことを覚えていてくれて、少しほっとしました。
はじめ「三浦」か「三浦貴」と呼んでいたのですが、2004年くらいから「貴」「貴さん」が増えていき、上記の貴ファン仲間の影響で「貴さま」呼びになりました。2013年以降は「三浦先生」「先生」の割合が増えました。「貴」が呼びやすいですかね、「貴さま」を他人に聞かれるのは恥ずかしいし。
この辺り、書くべきパフォーマンスが特にないんです。ただ年数が増えていくのみ。球団が若手を積極起用するようになった頃には中堅で、2軍の帝王一歩手前の悪循環。それを不運と言えるほどの数字も残していないから、文句も言いづらい。もどかしいの極みですよ。球団もさっさと見切りつけて老け込む前に放出してほしかったのが本音です。お蔭様で身体能力は有名で化けそう度は強かったので、どこかしら取り手はあったかと。
そして、2007年秋、貴は第3陣だか4陣だかで戦力外通告を受けました(当時は期日に規定がなかった)。報道を見たときは少し驚きました。外野切りまくってたし小出しにする? 秋季の全体練習に帯同してたらしいので、そんなんで解雇する球団の非情さに呆れました。それに、原政権なら大丈夫という奢りがどこかにあった気もします。焦りました。あーあ。貴今までありがとう。活躍している姿見たかったな。
トライアウト参加者リストに入っていました。現役続行する気はあるんだ。なんならもう1回投手やってくれないかなぁ。そんなのはただの迷走で、無理だとは重々承知していましたが、獲ってくれる球団があればどんな形でもよい、いっそNPBでなくてもよい、とすがる思いでした。
……と書いてみたものの、巨人末期の貴には期待も何もなかったのが正直なところ。最早ファンでもないですね。クビになってから昔好きだったアピールする、タチ悪い懐古厨です。トライアウトはG球なので行けばよかったろうに、いつの間にか終わっていたし、調べる労力も惜しむほど貴への愛はなくなっていました。プロは活躍してなんぼ。指導者や解説者になれるほどの実績なく引退した場合、一切見ることもなくなるのが通常です。そんな選手たちを毎年見送っているので、必要以上に悲しまないようにしていた気がします(今もこのスタンスは変わりません)。
こうして、貴の現役生活と、私の貴ファン生活はひっそりと終わりを迎えました。――と、思ったじゃん?
どんでん返し
年末、TBSのプロ野球戦力外通告を見ました。予告で貴も一瞬映った気がしたので、調べるとビンゴ。録画とリアタイ視聴しました。一応一度は愛し、浦学ファン、高校野球ファン、ちゃんとした野球ファンにさせてくれた私の大切な恩人です。野手として大活躍する姿を見られなかった分、貴の最後の姿をしっかりこの目に焼きつけないと。
夜遅くて兄しか起きていなかったのですが、開始早々全員の結果を訊いてきたので、ちゃんとネタバレしてあげました。貴、引退後は会社員かなぁ……営業? 飲食? せっかくの身体能力活かせる仕事あったらよいのになぁ……巨人はセカンドキャリアに優しい方だから、何か用意してくれないのかな……真面目だし賢い方だから、そこまで心配しなくて大丈夫かな……。
そう言えば、奥様やお子様を初めて見ました。試合やイベントで遭遇してたかもしれないけど把握したことなかったです。奥様、高校の同級生だと聞いていたけど、幼稚園からの腐れ縁というのをこのとき初めて知りました。美男美女&天使でしたね。奥様よい人。けど、もう悲壮感しか漂っていなくて、おまけにトライアウトは凡退ばっかで、切なすぎました。でも兄の前で泣くわけにはいかず。なんとか最後まで耐えきりました。
エンドロールの後、とってつけたようなVTRが流れました。テロップなしで、ナレーションでは西武が獲得に向けて云々言っていました。ブロック塀? をバックに貴が穏やかにインタビューに応えています。
は? は? はぁぁぁぁぁ? え? えぇぇぇぇぇ???!!!!!
想定外の事態にびっくりして、立ち上がって大きな声を出してしまい、寝ている親から注意されました。年末年始に備えて田舎に移動したり、数学したりして、ニュースをちゃんと追っていなかったのですが、この直前(最速の報道は前々日)の出来事でした。和田ベンが移籍したうえに、FAで西武なんかに来た変わり者の人的補償で福地が選ばれ、外野の枠が空いたことを受けての急遽獲得らしいです。は、走る人役か? トレーニングしなきゃ! まぁともかく、まだ野球が続けられそうです。よっしゃぁぁぁぁぁ涙涙涙涙涙!!!!!
※ 見出し画像は、巨人時代の貴のBBMカード。物々交換してちまちま貯めていたが、抜けてた年度をこないだネットで取りよせた。
三浦貴さんの記憶① ~プロ入り前~
三浦貴さんの記憶② ~巨人時代~ ←この記事
三浦貴さんの記憶③ ~西武時代・引退~
三浦貴さんの記憶④ ~指導者時代~
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