果たして少女はオズにたどり着いたのか

ジュディ・ガーランドの晩年を描いた映画「JUDY」を鑑賞。
主演女優がアカデミー賞を獲っている。

大好きな大好きなジュディ・ガーランド。
実は闇が深すぎてすごいのだ。
死ぬまでFBIにマークされていた。なにしたのよ(薬とかいろいろ)。

この映画の中でも、彼女の記憶のフラッシュバックのような形で、
少女期に受けた過酷なありとあらゆるハラスメントの一端が描かれる。
太りやすいから食べさせない。休憩させない。
睡眠薬と覚せい剤が手放せない。
いつだってお前を捨てられるのだ、と言外に脅す。
恋も出来ない。

その記憶は、彼女を終生苦しめ続けることになる。

それでも彼女は子役から大人の女優への移行をスムーズに済ませ、結婚も「何回も」した。
子供を持って幸せそうにみえても、「普通の愛し方」がわからない。
普通に愛されたことなんてなかったから。

多くの場合、女が身を持ち崩すのは、行き過ぎてどうしようもなくなった承認欲求からと相場が決まってる。
愛してほしい。大切にしてほしい。ちやほやしてほしい。
どうしてわかってくれないの。私をうけいれてくれないの。
相手が大人でも子供でも、そんなの関係ない。
大抵の人間が、多かれ少なかれ持ってるものだけど、ステージの上の歓喜を味わった彼女のそれは、他人よりも強烈で御しがたい。本人にとっても。
ステージに居ることを誰よりも望んでいるようで、本当は誰よりも憎んでいたのかもしれない。
薬、お酒、男。
昔のようには歌えない喉。枯れてきた声。
喝采を浴びても、自分はわかってる。
眠れない。眠れない。眠れない。
薬、お酒、男。

彼女の生涯を描いた作品としては、テレビ作品なんだけど「Me and My Shadows」という作品があって、これは次女のローナ・ラフトが書いた本を基にしている。
ローナが生まれる前の部分は、おそらく周囲の人から聞いたことや調べたこと。スターとして活躍してた頃。
その後はローナ自身や父であるシド・ラフトの記憶を基にして書かれているから、転落の様子が相当生々しい。
「Me and-」の方は、あくまでもローナの視点が優先されているので、
二人が離れて生活し始めた頃から先のことは、割と省略されてしまっている。
で、ちょうど「JUDY」はその頃のことから描き始めている。
2つを足すとちょうどいい感じ。
先に「Me andー」を見ちゃってるので、出来事として大げさに書かれていたり、時系列的に違ってるものがあったりが少し気になった。(ローナたちと離れて暮らすことになった経緯や、タイミングなど)
起こるタイミングによって受ける印象が違うって事があるから。

結論から言うと、作品としては「Me andー」の方がおもしろかった。
女優の演技としては、「JUDY」の方が良かった。そりゃそうだ。アカデミー主演女優賞獲ってるんだもん、この作品で。

ズタボロで、そのくせプライドだけは高くて、でも誰をも魅了する歌を歌う。
調子が良ければ。

「過去の人」なんて馬鹿にしてるように聞こえるフレーズかもしれないけど、でも結局強いのは「過去の人」なのだ。
みんなの思い出の中で美化され、熟成され、嫌なところがすっかり抜け落ちた逸品になったあとは永遠にそのまま。
目の前の人間がどれだけ頑張ったところで、絶対にかなわない。「過去の人」には。

ラストシーン。ああ、やっぱりそうよね、ここでそれよね、っていうタイミングで強引に美しくまとめられてしまって、予想はしてたけどちょっとがっかりした。
そう、役者の演技が良くても、話は「????」ていうのは、よくあるよね。
あのラストシーンがもうちょっと違う感じだったら、こんな凡庸な印象にはならなかったのに。


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