わたし と グレタせんせい(加筆)

私の師匠であるグレタ・マタッサ(Greta Matassa)が、2019年5月、来日しました。彼女が出演する東京のライブの告知をするために、ということもあり、私と彼女の出会いについて、フェイスブックに長々書いたので、こちらにまとめて転載、そして少々加筆します。
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そもそもグレタ・マタサという人は、日本においてはほとんど無名の状態であります。腹立たしいことに。これはすなわちジャズシーンにおける「NY偏重」の影響にほかならないと私は思っておりますが、まあそれはいいや。とにかく彼女はシアトルを拠点にして活動しております。シアトル、最近話題になりましたね、シアトル。ね、あそこですよ。ええ。
じゃあ、そんな日本で全く紹介されていない歌手の存在を、なぜ知ることができたのか、というと、ここにインターネッツの導きがあったわけです。
 それは遡ること10年ほど。当時「Napster」という、現在の「AppleMusic」のような、定額制音楽配信サービスがありまして、私はそれを利用しておりました。そこで、ジャズボーカルの勉強をし始めたばかりの私は、忘れもしません「Speak low」を曲名検索して、手当たり次第聞いておりました。
その時に、出会ってしまったのです。グレタの「Speak low」に。
直感的に「うおおおおおおおこの人だあ!」と、ひと聴き惚れです。問答無用です。
本当に偶然、私は見つけてしまったのです。

Napsterにより、偶然、いやいや運命的にグレタ・マタサという歌手の存在を認識した私は、まずはNapsterに公開されていた彼女の音源を片っ端から聴きまくりました。
「うわあー!何だこの人ー!何者だあ!?」
聞けば聞くほど魅了され、もはやいてもたってもいられません。
彼女の活動が知りたくて、彼女のホームページに辿り着きます。
そこにはプロフィールやディスコグラフィーと共に、彼女が生徒をとって「指導」もしていることが書いてありました。
「ふおおおおおおおお……!!!」
大興奮です。こんなにすごい歌を歌う人が、直接歌を教えてくれるなんて!
「そうかあ……教えてもらえるのかあ……」
こうして私の心のうちに「グレタ・マタサの指導を受ける」というキーワードが生まれたのでした。
 しかし、当時は彼女が日本で演奏をしたという実績はなく、国内でCDが販売されているかどうかもわからず、Napsterで聞く演奏が、私にとっては「グレタ・マタサ」の全てでした。

グレタ・マタサという人がすごいシンガーで、しかも指導も行っているという事実がわかったところで、私の目の前には「日本に住んでいて」「アメリカはおろか海外に行くことなんてなくて」「英語もろくにできないで」「歌だってたいして歌えない」という現実の壁が。
「まずは日本でできることやってから」
 いろんな素敵なご縁をいただきながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ……。
ぽつぽつとイベントに呼んでいただけるようになったり、ノーギャラだったのがいただけるようになったり、講師アシスタントとしてのお仕事が始まったりし始めた2009年。シアトルと姉妹都市になっている神戸で行われているボーカルコンテストに、グレタがゲストで来るというのです!
(゚∀゚)うっっっっっっっはああああ!
 シアトルでも同じようにボーカルコンテストが行われ、優勝者はゲストとして神戸のコンテストでパフォーマンスする、ということになっているのですが、2009年はグレタが優勝者だったのでした。
日本で!
グレタの!
生歌が聞ける!
それなのに!
お仕事の都合で、神戸までいけず……!
( TДT)うわあああああああああああん!!!!
 私の片思いは募る一方。
シアトル行きたいよー行きたいよーという口にはするものの、一向に実現できるような状況ではなく、ひたすらに時は流れて行くのでありました。

グレタに師事したいという希望は持ちながらも、渡米が実現できるとも思えないまま、それでも何は無くとも「先立つ物」の準備ぐらいは…と、貯金は頑張ってました。
日本に居たってやることはいっぱいあるし、良い先生だっているよ!と、日々の活動に打ち込んでみたりするものの、グレタのCDを聞くたびに「いつになったら行けるかな……」などと落ち込んでみたり。とにかく「埒が明かない」とはこのことだ、というような時間が過ぎていきました。
腐ってるつもりはまったくなかったですが、「やりたい!」という気持ちと「でもなあ、お金かけて行ったところで、どうなるってもんでもないしなあ」という気持ちが行ったり来たり。
では、どうして、「グレタの初来日という千載一遇のチャンスを痛恨のスルー」というおマヌケを働いた私が、結果的にシアトルに行けることになったのか?

2011年。
大きな災害があって、いろんなことが変化した年。

「やりたいことは、『やりたい』というだけでやる価値がある。
世間の評価とか結果とか費用対効果とか、そんなもんどーでもええっつーか、後からどーにでもなるんじゃなかろか」

急にそんなふうに思えるようになりました。本当に突然の変化でした。
その後、それまでからすれば少しだけ、「シアトルに行く」ということを具体的に考えるようになりました。
渡米に関しての手続きやシアトルという街の情報を調べてみたり、航空会社のチケットの相場を調べたり。
いつ実現するかはわからないけど、単純な夢じゃなくてはっきりとした目的として設定し直した感じでした。
そんな年の暮れ。
久し振りに会う友人と食事に行ったところ、「実は……」と切り出されたのが、翌年から仕事の都合でシアトルにしばらく住むという話。
「まじかー!!いいなあ!って仕事だもんな。大変だね」
「うん、でもこの先シアトルに来るなら、助けてあげられると思うよ」
おおうジーザス……!!!!あたしクリスチャンじゃないけど!
友人に後光がさしたように見えたのは間接照明のせいだったかどうか定かではありません。

仕事でシアトルに赴任することになった友人の「なにか困っても助けてあげられると思うよ」の言葉に勇気づけられ、更に世間的には史上空前の円高。
1ドル=80円。
2012年夏、友人のシアトルでの生活が落ち着いたことを知らされた私は、グレタにメールを出しました。

「私は、日本に住んでいる日本人です。
私は貴方のファンです。貴方の様な歌手になりたいです。
もし貴方がレッスンをしてくれるなら、
シアトルに2週間滞在することを計画しています。
レッスンを受けることは可能ですか?」

気持ち的には東尋坊からジャンプです。即死覚悟です。
後日になって色んな人から、「グレタとの間に、事前になにかコネがあったのでしょ?」「どんなコネがあったの?」と聞かれたのですが、清々しく何もありませんでした。つかあるわけないんですけどね。そんなもんあったらもっと早くに行ってるって。

二日後、グレタから返事がありました。

『ぜひレッスンしましょう。シアトルに来る日程が決まったら教えてください』

щ(゚д゚щ) よっしゃこらああああああああああああああああ!

初海外一人旅!
初アメリカ!
初シアトル!
しかも個人旅行!
……不安要素しかねえ!
でもその時は「やっとグレタに会える!」その一心でした。
 グレタは、私のつたない英語のメールに根気よく付き合ってくれました(今もですが)。
1,2回受けられたらいいと思っていたレッスンが、気がついたら3回の予定になっていました。
「通訳してくれる人は必要?連れてきてもいいよ」と言ってくれたので友人に頼もうかと思ったのですが、お仕事の都合で無理とのこと。結局単独でレッスンを受けることになりました。

2012年9月末、ボーイング787”Dreamliner”に搭乗。旅が始まりました。

グレタを初めて訪ねた時から7年目になりました。
初回のレッスンで、彼女の顔を見た途端に号泣したのが懐かしいです。
その間、ほぼ毎年シアトルに行って、レッスンや様々なワークショップを受け、いろんな学びと出会いが有りました。
現在、グレタは、関西で大活躍中のシンガー宮藤晃妃さん・阪井楊子さんのご尽力により、数年ごとに来日してくれていて、そのパフォーマンスで多くの人を魅了し、たくさんのシンガーたちに自身の経験と技術をシェアしてくれています。
 先日、高槻ジャズストリートのステージを終えたグレタに会って、私の今後についてディスカッションをしてきました。
これから先、自分がどうなりたいのか、どんな経験を必要としていて、それをどう準備していくのか。いつもながら本当に真摯に向き合ってくれます。
それは最初からずっとそうでした。日本人で英会話もままならない、アメリカに住んているわけでもその経験もない、はっきり言えば正体不明な私を受け入れてくれて、レッスンしてくれて。
彼女が私の大切な師匠で、音楽上の母にも近い人であることは間違いないです。彼女に出逢ったことで、私の音楽も人生も変わったと、断言できます。
そういう人に出逢えたことを、本当に幸せだと思います。



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