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死にきれんかったやろ

死にきれんかったやろ……母に言われた瞬間、抱きつきむちゃくちゃ泣いた。

昭和58年12月生まれ。北九州市小倉で生まれた。母が40歳の時の子供だった。母が大好きでどこにでもついて行く子供だった。

家は団地で母子家庭だった。父は僕が生まれて11ヶ月で亡くなったと母に聞いた。

この頃、母は土木作業員と按摩さんみたいな事をして働いていた。土木は僕の名付け親でもある父の兄弟分が社長をやっていて母を雇ってくれていた。

兄弟分と言うとあちらの世界が見えると思うけどまさに元それの人だった。全身和彫りが入り、小指も両方無かった。父も同じようだったと母が楽しそうによく話してくれた。名付け親でもある人をじいじいと呼んでいた、この人の孫とは幼なじみでよく遊んだし喧嘩もした。

ある日じいじいが川に遊びに行くぞ、と言い幼なじみと僕を車に乗せた。今でも覚えているが同じ団地に住みながら家にも車にもシャンデリアが着いていた……。

川に向かう途中コンビニに寄り僕らのジュースとワンカップ、牛乳を買い店頭でワンカップ、牛乳を一気飲み。こんな人は後にも先にも見たことが無い。

小さな滝がある川で滑り台の様に遊んでいると全身和彫り、ふんどし一丁のじいじいがやってきて僕らに声をかけたその瞬間足を滑らせ小さな滝を2段すべり落ちてきた。薄い色のサングラスがコントのように傾いて幼なじみと爆笑したことを今でも思い出す。

ある休みの日に母が按摩の仕事が出来たと言ったのでついて行くことにした。雨の日だった。

母の按摩を眺めながら暇な1時間を過ごし帰る時の事だった。

傘をさして3段くらいの階段を降りた時……

うぅぅぅ……と言う呻き声……

母の声だった……階段で足を滑らせ横になったまま立てない……さっきまで按摩をしていたおばちゃんに話して救急車を呼んでもらった。

この時9歳だったと思う。母がいなくなってしまうとおかあ!おかあ!!と呼びながら激しくな泣いた。今思うとこの時ほど胸が苦しかった事はなかったと思う、そのくらい母が唯一の存在だった。