見出し画像

言語学習の要なんじゃ(ないだろうか)

私は福岡出身(在住)。

福岡といえば祭りは『山笠』。
山笠にちなんだ、忘れられない昔の思い出がある。

祖母の家で『山笠』のダイジェストをなんとなーく観ていた時のこと、
祖母がポツリと
「なんで山笠って“流れ”って言うっちゃろうね」

私「(神輿を担いだ男たちが一方向に走るのを見て)流れてるじゃん。人が川の流れみたいに見える」

祖母「あんた、頭いいね」

---
本当のところ山笠の『流れ』とは区画分けの単位で、町ごとに『千代流』『東流』など、分けるための意味だった。

だけど、その会話をした時の祖母と私の間では、私が“流れっぽい雰囲気を掴んでいた”ことに「おぉ」となった。

そして祖母に「頭いいね」と言われたことがとても嬉しかったのを覚えている。

現在私はなんとなく思い立って『英会話教室』に通っている。
英語を話すことは好きだし、英語を話している時の自分はオープンマインドで断定的な発言ができるから、そのモードもなんとなく好きだ。

---
英会話において一番大切なことは、基本を覚えたうえで、単語が持つ意味を拡大解釈できる能力なんじゃないかと思っている。

そしてその力とは一つの物事に対して、どれだけ豊かな表現ができるか、ではないかと思う。

例を出してみると、
work

英語を習うときには『働く』と教わる。
だけど中級編になると『ちゃんと動く』みたいな意味も持つと教わる。

暗記≒勉強、と思っていた頃は
「“働く”とは別に“ちゃんと動く”も覚えなきゃいけないんだ」
と、workの本質というかバイブスを見極めることが出来ていなかった。

workのバイブス、それを理解するというアプローチをするだけで、この単語が自分ものになっていく。

英語を改めて習う中で、こういった言葉の本質に迫ることの重要性を考えるきっかけが増えた。

これは英語学習に限らず、日本語においても同じことが言えるように思う。

日本語の語彙力を増やすことよりも、言いたいことを丁寧に見つめること。
そして手持ちの言葉で表現すること。
この方法のほうが、出来上がった文章は彩り豊かで、その人らしさを表すように思う。

---
高校生の頃、学年で飛び抜けて英語が出来る子が居た。

その子が先生に「この英文を日本語訳して」と言われて、その場でサラサラと日本語訳を始めたとき、私はその訳の見事さに心底驚いた。

その英文の中には“astronomically”という単語が使われていて、
内心私は「え?星⁇星の話題なのコレ?」と脳内ハテナマークだらけだった。

しかし彼女は
「その天文学的な数字に〜〜」とサラサラ訳し、パーフェクトな解答を導き出していた。

『天文学的な数字』

私はそれまでの人生でこの言葉を『(天文学的)膨大な』という意味で考えたことすらなかった。

そして、この解答を聞いたときに、飛び抜けて言語学習能力が高い人の秘密を知ったような気持ちになった。
(同時に打ちひしがれた)

「こういうことかぁ〜!!覚えるだけじゃダメなんだ」

その後私の英語能力が向上したかというと、そうでもなく、わかっていてもなかなか暗記学習的な癖は抜けなかった。

わかっているだけではやはり足りず、筋肉を鍛えるように思考も鍛えないと、いざという時に使えない。

大人になって、英語を再び習うようになり、受験などのプレッシャーもなく、ただただ楽しむ英会話をやっていると、リラックスして臨めるようで、高校生の頃よりもスラスラと英語が出てくる。
(人生の場数を踏んだのも大きな要因)

言語学習の要は、言葉の本質を掴むこと。
言葉を単なる記号と捉えずに、言葉と仲良くなること。

私にとっての最近の再発見だったので、思考の軌跡として綴りました。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?