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まじで仲がいい友達-LOVE, Simon-

「LOVE, サイモン17歳の告白」を観た。この映画は幼い頃からゲイであることを隠して生きてきた高校生のサイモンが恋に落ち、恋愛至上主義の雰囲気の中で身近に存在する異性愛規範に悩みながらも自分のアイデンティティを見つけていく話である。私はディズニー+で視聴したが、ディズニー+で視聴可能なことがよくわかる位物語が良い意味で軽くテンポよく進んでいき、主人公の感情の変化がストレートに表現されていた。サイモンが長年クローズ(自分のセクシュアリティを公にしていない状態)でありながらも、一度も自分がゲイであるというアイデンティティを卑下するシーンが無かった所も良かった。

 この映画を鑑賞中特に印象に残ったシーンは、夜サイモンが自分の家の階段を上ろうとするが酔っ払っているため進むのが遅く、そんなサイモンのお尻を幼なじみのリアがたたくシーンである。この場面はお尻ではなくケツとしか表現しようがない位リアの叩きにはためらいが無く、「なにやっとんねん!笑」としか形容しようがない位二人の仲の良さがまじであることを実感できる。この前のシーンで二人がリビングに居る両親に帰ったことを知らせるため顔を出すのだが、かれらは二人の乱れた服装から二人が「デキている」と思い、自分たちの下で子供は「ちゃんと」育っていっているのだ、と安心し微笑み合う。この時点で私はちょっと展開が読めてあぁ、、異性愛規範アゲイン、、となりかけたのだがその後のお尻たたきの「パンッ!」という威勢と共に暗い気持ちは飛び、「うちらほんなラベリング一方的にされるような仲ちゃうねん!異性愛規範で負かされるような展開にはならへんで!」とどんとこいのマインドが聞こえ、二人のお互いを性別の前に人として大切にしあう価値観が守られてほしいと気を取り直すことができた。

 又この映画にはもし同性愛が社会的規範なら、、という回想シーンも登場する。異性愛者であることをカミングアウトすることに決めたサイモンの友達は両親に「ちょっと話さないといけないことがある、自分は異性愛者なんだ」と涙ながらに切り出す。そして子供が自分と同じ同性愛者だと思いこんでいた両親は動揺し、言葉を失う、、、というシーンだ。
 自分を異性愛者だと認識していた高校生時代、こんなに拒否を恐れ、責められるリスクを承知した上で勇気を振り絞った経験が自分いあっただろうか。この時のサイモンはいうも言わないもどっちに行っても地獄の精神状態だったんじゃないかと思う。このシーンは普段異性愛者が無意識に持っている特権がどのようなものか、そしてそれが日常の隅々までにある些細な行動をどれだけ簡単にしているかをするりと見せてくれる。最後サイモンが最愛の人、BLUEを観覧車に乗りなら待つ場面では、あまりの友達の集りっぷりや歓声に「そこまで人が集まって大丈夫!もしBLUEが私みたいにハイパー内向的だったら逆に来にくいんじゃ、、」と勝手に心配してしまったが、それほどに本来属性を問わず誰かを大切に想う気持ちは尊重されるべきだし、性の多様性をパブリックに祝うことは10代にとっていけてることなのだ、異性愛規範は存在するけれど同時に社会のジェンダー観は変わりつつあるんだよ、10代間なら特にだよ、と伝えてくれるこの映画が子供層向けのメディアが豊富なディズニー+内で、多くの子供たちに視聴されることを願う。


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