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アニメにも「ジャーナリズム」は存在する


「アニメのジャーナリズムのこれまでとこれから」、そんなテーマの専門家よるトークが11月17日に池袋で開催されました。マンガ・アニメの未来をテーマにしたIMART(国際マンガ・アニメ祭 Reiwa Toshima)というカンファレンスのプログラムのひとつです。
 登壇したのは朝日新聞の小原篤記者、KADOKAWA「ニュータイプ」角清人編集長、アニメ批評家の藤津亮太さんに僕です。編集者の稲田豊史さんがMCを務めてくれました。私自身は別として、アニメをメディアで伝える最前線で活躍しているかたばかりです。

 小原さんからはアニメが初めて新聞に取り上げられた時期についての考察や、自身の取材経験などが語られました。一般的には知られることが少ないアニメ専門雑誌の成り立ちなど、角さんの話も興味深いものでした。そして藤津さんや僕は、職業としてアニメについて書くことの現状などを話しました。
 休憩なしで2時間にも及びましたが、稲田さんの巧みな質問術もあり、あっという間に時間が経ちました。このテーマ、まだまだ語るべきことは多く、話は尽きないようです。

”アニメ”と“ジャーナリズム”。
 ぱっと見て、あまりつながりを持てないかたも多いかもしれません。実はこのトークのコーディネイトは僕が担当しています。話が「アニメにジャーナリズムが存在しているのか」に傾きがちだったのは、僕のなかの漠然とした疑問も理由です。エンタテイメントで語られることの多いアニメにジャーナリズムは必要とされているのでしょうか?
 実際に企画会議の資料では、テーマはむしろ「アニメに批評は存在できるのか」だったのです。「批評」と「ジャーナリズム」は厳密には“別もの”なので、僕が方向性を少し変えてしまったところがあります。

 ウェブメディアをやっていた時から、僕はこんなメールを時々いただきました。「〇〇の問題を取りあげないのはメディアとして間違っている」と。
これはトークでも話したことですが、たとえば声優のスキャンダルがあったとして、それを取りあげるべきでしょうか? 少なくとも僕は取りあげません。
 それがジャーナリズムの対象かどうかはあまり関係ありません。僕には興味が薄く、優先度は低いからです。身体はひとつ、時間は限られています。僕の内面にある欲求は、ビジネスの構造の解き明かしや、その様々な局面を捉え、切り取り、伝えることにあります。それは社会派とされる人からはだいぶ物足らなく見えるでしょう。

 逆にジャーナリズムは勿論、アニメについて文章を書く仕事には、未開拓の分野が多く残っています。現在の限られた人たちでは全く手に負えない感じです。
  トークでは、今後アニメの編集・ライターとなる若手の課題もでました。若手を育てるシステムがないと、なかなか厳しい話です。しかし手つかずの領域は多く、ジャナーリズムも含めてこの分野で独自のキャリアを築くことは可能なはずです。

 アニメジャーナリズムの在りかたについての結論は、トークでだしていません。たとえ識者が集まっても、むしろそうであるからこそ、それぞれに自身のジャーナリズムがあり、プリンシパルがあるはずだからです。
 むしろ今回狙いはこうしたテーマを提示することで、ジャーナリズムを考えて欲しい、必要だと感じて欲しいです。

 少しばかり堅いテーマで、人が集まるか心配していました。ところが当日は80名ものかたが、会場に足を運んでくれました。少なくとも関心は持ってもらえる、それは大きな自信となりました。来場されました皆様、「本当にありがとうございます」。
 そしてデリケートなテーマに関わらず、参加していただいた登壇者のかたがたにも大変感謝しております。

 今回はIMART全体もマンガ・アニメのクリエイターの在り方、教育やマーケティング、海外展開、文化課題など、専門的なテーマばかり並んでいました。こちらも当初の予想を超える多くの人が参加しました。
 マンガ・アニメは、様々な領域で情報と知識が求められています。世の中のニーズに応えるだけでなく、ニーズを開拓していくことが出来れば、マンガ・アニメの「文化」も「ジャーナリズム」も今後もっと必要され、広がっていくのかもしれません。

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