《ねこがいるということ》
僕には24年前から一緒にいる猫がいる。
人間に換算すると 猫20歳≒人間90歳 らしい。
耳は遠くなってきたが、まだまだ元気で若々しい。
猫アレルギーと闘いながら腹をこねくり回している。
ペットはとても大きな悲しみから救ってくれる
という話はご存じでしょうか?
猫は人と違ってニンゲン語が話せません。
しかし、そこが良いのです。
無意識に期待しちゃうのだよ
我々は人間と対峙した時に少なからず、"期待"をしてしまいます。全く無関係な相手にも「マスクやソーシャルディスタンスはしてくれる」などと無意識でしょうが何かしらの期待をしてしまうのです。
もし悲しいことや辛いことが起きた時どうでしょう。
もし誰かに悩みを打ち明けた場合、返ってくる言葉や態度に一喜一憂しませんか?
さらにさらに、その相手が近しい関係性であればある程喜びや悲しみの振り幅は大きくなります。
人によっては欲しい言葉や態度は違いますし、何もして欲しくない・誰とも関わりたくない時もあります。
ややこしいですよね。にんげんだもの。
ニンゲン語ワカリマセーン
さてさて、話は戻りまして猫様はどうでしょう。
こちらが、魂の抜け果てた朽ち果て寸前ギリギリ人間の形を留めたあしたのジョーの最終回ばりの白黒描写(読んだことない)になっていたとしても、にゃー!と泣いてはスリスリや腹出しごろ〜んを繰り出します。
ニンゲン語ワカリマセーンだから良いのです。
白黒描写状態でも虹色ハッピー日和の時も変わらず近くに居てくれます。それに救われるのです。
普段は部屋に猫毛を持ち込みたくないのですが、夜な夜な部屋にやってきては毎日一緒に寝たりした思い出もあります。
とても救われました。
もちろんワンころでもよいのですよ。
良からぬ資金のために繁殖させられたり、捨てられては殺処分される様なことが、無くなればいいと切に願います。
🐈⬛ . . .
本日は以上です。
ご拝読ありがとうございました。
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