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《しごのせかい信じる?》

僕の答えは「信じてもいないし、疑ってもいない」です。
なぜなら、どちらの証明もできてないから。誰がどんなびっくり体験を話そうとも確証にはならないから。
地球外生命体もそうだけど、分からないからこそロマンだし好奇心が働くよね。そんな余白が楽しいんだよ人間は。

スピリチュアル系が苦手なわたし

昔、うちがお金を持ってるみたいに思われた時代があった。その時胡散臭い奴らがたくさん寄ってきたんだよ。びっくりだし、今思うとおもろい。
ちょっとゴタゴタしてたのも相まって、「こうやると救われます〜幸せなれます〜」とかうちの家族に吹き込みやがった。目的はもちろん金ね。当然私はそんなの真に受けなかったけども。

何かに祈って、裏付けの無い他人に頼って、それで本当に大切なものは守れるのかどうか。よく考えよう。
"裏付けの無い"とわざわざ付けたのは、officialなお助け専門他人は存在するから。医者とか弁護士とか。
本当に悪い状況を変えるためには、自分で調べて、動いて、判断すること。
それを経験しちゃうとこうなるんです。わっはっはー

知らんやつがわざわざ自分を助けに来ない。
「風邪ひいたかもー」と思ったら急に医者が訪ねてきたらこわくない?
都合よく誰かが助けてくれるのは義務教育までだよー。
ましてやお金が絡むなんて。

でもボランティア活動にはそれなりのお金が必要だ。善意で助けてくれる人達が、健康である必要あるもの。
最後に矛盾しちゃった。ありゃま。

信じすぎてよくないこと

根拠もないのに何かを信じすぎてしまうって結構危険だと思う。バレーボールの試合やってて、片足だけ泥沼に埋まってるような感覚。次の一歩が遅くなるし、もっと素敵な場所に気楽に行けないよ。そんなバイアスは、人間である以上仕方ないけど、極力取り払おう。
「そうかもだけど、そうじゃないかもね!」くらいの感じがちょうどよいの。
この世に絶対はないのだ。ってね。

信じた方がいいこと

根拠のない自信は慢心につながるし、自分でコントロール出来ないことを信じすぎてしまうこと・それを軸にした人生は辛いよ。
初めてのことに最初から自信を持つ必要はなくて、回数を重ねて積み上げていく自信の方が美しいと思う。
世の中に絶対はなくても、自分の中にあればいいの。
色んなことに挑戦して、新しい知識を取り入れて、自分の中にひとつでもいいから"絶対"を持てるようにしよう。

𖤐

人間は何かと、物事に理由をつけたい生き物だよね。
だから、たまたま運悪かっただけなのに「日頃の行いが」とか、大昔不治の病だったやつに「呪いだ」とか理由をつけて折り合いつけてるの。
自分の努力不足に対して「時代が」とか「家庭が」とか。
でもそうやって折り合いつけてくのが人生でもあるよね。

わたしは、いいことが起こったら「自分が頑張ったおかげ・たまたま(運)(周りの人のおかげ)」。
悪いことが起きたら「自分の判断ミス・努力不足」

ってしたい。

でも、うんこ踏んだ時は、そこにうんこしたやつが悪い。

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