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無駄を愛する人には安易に近づくな

職場にはさまざまな無駄があふれています。

おおよそ99%以上の企業において、無駄のない企業と言うものは存在しません。

とことん長引いた挙げ句に結論も出ない「会議」。
何に使うのか意味不明なままに作らされ積み上がっていく「資料」。
周囲を埋め尽くす吹雪のように舞う「メール」の嵐。

私の経験上、これこそ職場の三大ムダ要因と言えます。
もちろん大事な会議や資料、メールもあります。要は中身の問題です。

プライベートはともかく、ビジネスにおいては極力無駄を省いたほうがいいのは確かです。無駄をゼロにしてしまうとそれはそれで弊害が生じるものですが、だからといってムダばかりを有り難がるようではビジネスマンとして失格です。


キモチよく仕事をしたい、そして私生活も充実させ、よりよいワークライフバランスを実現したいと思ったらまずは無駄な…言い換えるならばROIや費用対効果が意識されていない「会議・資料・メール」をなんとかする必要があります。

無駄に回す余裕のない日常業務においてそれでも無駄を愛する必要性は皆無です。少なくとも誰に望まれているでもないのに勝手に陶酔する人というのはハッキリ言ってしまえば社会悪です。周囲や環境、組織や企業が望んでいるのであればまだしも、そうでないのであればそれでも無駄を貫く意義と意味はどこにあるというのでしょう。

にもかかわらず、無駄の低減をダメ上司やダメ先輩に阻まれるケースが非常に多い…というのが現実です。

マイクロマネージ型人間

「右を向けと言ったら右だ」「今度は左だ」
「1やれといったら1だけでいい、余計なことまで首を突っ込むな」
「お前はオレの言ったとおりに動けばいいんだ」――。

何から何まで事細かに指示をして、そのとおりに動かないと怒り出す。

部下に自律性など最初から求めていない…というより部下に思考能力など余計だと考えている気配さえあります。部下は自分の手駒、というよりも手足かもっと言えばただの道具扱い。一歩間違えなくてもハラスメントになってしまいます。

それがこのタイプ、「マイクロマネージ型人間」です。

みなさんの傍にはいないでしょうか。
もしも次のような“症状”が出ているようなら要注意です。

・事細かに日々の業務日誌を書かせる。
 夜中になろうが当日中に提出させ、翌朝8時からそれを見て説教(細かい指示)。

・資料作成に関して、手取り足取り指示。
 内容についてならまだしも、誤ってもいない単語の使い方や「てにをは」に至るまで
 自分の好みでダメ出しをおこない、書き換えさせる。

・部署内の会議で自分が主導権を握ってしゃべり続け、部下に発言の機会を与えない。
 会議ではなく、ほとんど独演会。

この手のタイプはなにより「本質」や「目標」を度外視しています。
そんなものよりも「自己満足」を中心に考えているのかもしれません。

本質的に問題がないのであれば、事細かな指示は必要ないはずです。
だって本質的に問題がないのですから。

ですが、彼らにはそういう思考はありません。
1から10まで自分の色に染まっていないと安心できないのです。しかもそれで問題があったらバツがわるくなって十中八九他責します。

某商社では、ポンと決裁してくれればすぐにでもスタートできる事業計画書が書き直しに次ぐ書き直しでいつの間にやらバージョン30。そうこうしているうちに状況が変わってしまっても「オレが最初に決めたとおりにしろ」と軌道修正が許されず、取引先との関係が修復不可能なほど悪化。「言うだけ無駄」と部署内には無気力が蔓延……という非常に本末転倒な事態になっている現場を目の当たりにしたことがあります。

また、メンバーに伝えるのが面倒なのか、手を抜いてお客さまとの会議にメンバー全員を参加させて進捗を報告させ、その時間を毎回毎回強制するせいで各メンバーがスケジュール遅延を起こし、数ヶ月後にはお客さまに「〇〇日遅れです」と報告せざるを得ない状況を作るプロジェクトマネージャー…なんてのもいました。

「マイクロマネージ型」の人が管理を行う立場に抜擢され、悪い意味で大活躍することを許容した職場はかくも哀れな結果になります。

自分中心でかつ神経質な「マイクロマネージ型人間」の最大の特徴は、

 「自分以外を一切信じていない」

ことにあります。

膨れ上がった自尊心のために、自分だけを信じ、自分だけを評価する。
他人を信じていないから、組織を育てることも絶対にありません。
だから、自分の意見が全て『正』で、それ以外を認めようとはしません。

本人がすべてを背負い込んで、たとえば10人分のパフォーマンスを発揮できるというならまだマシですが、そんなことはほとんどなく、すべての責任を抱えきれずに放置しはじめ、そして放置したところからトラブルの連続となっていきます。

結局、「チームワークによるプラスアルファの力」を封じているだけで、「チーム全体でより良い成果を上げるためには?」という大局観に欠けているのです。

『組織』を組織として扱えない人の典型です。
社会性に乏しいと言ってもいいでしょう。

そしてなによりも問題なのは、こうした人が部下を持つとその部下は

 肉体的、精神的に耐えきれず退職するか
 「指示待ち人間」へと変貌していくか

のどちらかにしかならないということです。中長期的に企業の成長性を見た場合、完全に猛毒や重度のウイルスレベルで組織細胞(人材)を破壊していきます。


イエスマン型人間

「ハイ、ハイ、おっしゃるとおりです。さすがは部長!」
「それでもうバッチリですね。もちろんそれで異存はありません。」――

長いものには巻かれろということなのか、上の立場の人の言うことには100%逆らわない人。

 社内のお偉いさんの指示
 本社や親会社からの通達
 お得意先からの要望

とにかく、「上からの指示や命令」には唯々諾々と従うだけ。
泣くのはそんな「イエスマン型人間」の部下たちです。

もちろんなんでも「ノー」と言えばいいわけではありません。

個人的には、思考停止してしまった無条件の「イエス」も「ノー」もビジネスでは用いるべきではないと思っています。期待通りに行動するため、結果にコミットするためには必ずそうするための環境条件というものが必要です。その条件を満たした場合にのみ「イエス」というべきですし、「イエス」というために環境を作る努力をするべきなのです。

にもかかわらず「イエスマン」は何も考えませんし、「イエス」といった手前、行動するからには期待通りの結果を上げなければならないのに、そのための努力もロクにしません。もし上司といった立場であれば、部下やメンバーに丸投げするのがオチです。

こんな例に心当たりはないでしょうか。

・会議でさんざん議論して決定した方針にもかかわらず、
 さらに上の上司にひと言違うことを言われたら、あっさり転換。
 これまでの作業が全部ムダ。

・現場の事情を知らない上層部の“無理難題”・“夢物語”な事業計画をあっさり受諾。
 自分はそれを可能にする腹案も何もないのに、
 「高い目標を掲げることに意味があるんだ」と、なぜか得意げ。

・お得意さまからの無理な納期の注文を何の交渉もなく受け、担当に丸投げ。
 無理だと言っても「もうできると言っちゃったから」と、
 撤回を求める糸口さえもつかんでくれる気配がない。
 「ボクはつねにお客さんのほうを向いて仕事してるから」って、
 それで間に合わなかったらほかならぬお客さんにものすごい迷惑をかけるのに。

また、このタイプがいるのは企業の中とは限りません。

保護者からのクレームをつねにそのまま講師に丸投げする学習塾の経営者や、クレーマーを駆除するどころか、パートさんに押し付けるスーパーマーケットの店主なども、

 「あなたは誤解している」
 「私と私の部下に落ち度はない」

などの言うべきNOを、言わない・言えないイエスマンに含まれることになります。

 ・権力/権威に弱い
 ・自分の出世にしか興味がない
 ・管理者としての能力が低い
 ・理論武装ができない
 ・責任や覚悟がない
 ・自分の中に答えを持たない

…などが、こんなイエスマンの特徴です。

保身に走っている時点で、自分以外の人にどれだけ迷惑が掛かろうが気にもしません。
要するに、極度の自己中心的な人物と言えます。

一般的に「自己中」と言うと、わがままな人や野心家などがイメージされやすいのですが、こうしたイエスマン型の人も負けず劣らず自己中の極みとなります。イメージしやすいところで、(昔の)ドラえもんに出てくる「スネ夫」を想像してみると良いでしょう。

人の本質を見抜けない上司から見ると、イエスマン型の人は従順でかわいく見えるかもしれません。その結果、一般的な「上司が評価する」人事制度の中では高評価なのかもしれません。

しかし、部下や他のステークホルダーから見るとどうでしょう?

組織において重要なのは「稼ぐ人」すなわち末端の従業員です。
「稼ぐ人」がいなければ、企業は存続できません。

管理職や管理者が稼いでくるわけではありません。一定以上の上司…役職者になると、自身が稼ぐことは無くなります。どちらかと言うと、下位の従業員が稼ぎやすい環境を作り、支援することが仕事になっていきます。

だからこそ、どんなに会社や経営層に気に入られていようと、部下にとって困った上司のままでは組織にとって何一ついいことはないのです。


アリバイ型人間

仕事の成果よりも「自分がいかに頑張って仕事をしているか」のアリバイ作りに汲々としている人。

部下への指示も、重要性や緊急性は二の次。

 「うちの部署はこんなに頑張ってますよ~」

という証拠になるものを積み上げることが第一目標になります。
企業の成長や、部下が最もパフォーマンスを出しやすい環境を整えることよりも、とにかく自己保身こそが第一義なのでしょう。

この手の人の頭の中には"費用対効果"という考え方が存在しないため、ロクに成果も出ないまま極端に経費だけが積みあがっていきます。

通常、企業活動のすべてがビジネスである以上、一挙手一投足すべてに原価(給与に紐づく人件費)がかかるものですが、それを理解していない…すなわち社会人意識や社会的責任意識の希薄な人に多く見られます。

実際に「やっている」「やれている」かどうかより、「やっているように見える」ことが重要なため、アリバイ型人間に率いられた部署の仕事は形式主義・前例主義に陥りがちとなります。

たとえば、こんな具合です。

・誰が見ても意義の低い会議をやめようとしない。
 むしろ「どんな些細な問題もおろそかにせず、こんなに真剣に会議を開いている」
 とアピールできることが立派だと思っている。

・過去からの事業をやめることができず、ただ惰性で続けている。
 意義は低くても「何かをやっている」という名目が立つ。
 公共事業などにもありがちな形骸化事例。

・何か問題が起きたとき、問題への対処よりもまずは調査報告書を作成する。
 むしろ、問題が終息していないにもかかわらず、報告書ができたことで
 一仕事終えた気になる。

・どんな報告でも、担当→係長→課長→部長→役員と、
 1つずつヒエラルキーの段階を上げ、記録を残しておくことにこだわる。

こんな「アリバイ型人間」は、何と言っても仕事の本質を見極める能力が欠如しています。

「日々大過なく、責められることなく、自分だけは安全なところから見ているだけ」

で過ごすことが重要で、責任逃れとそのための逃げ道づくりに自分の労力の大半を割いているのでしょう。それに付き合わされる部下は、その間の人生をアリバイ型人間に消耗させられるだけで、それこそいい迷惑です。


最後に

ムダな仕事は、ムダを『ムダ』と思わない人によって作られます。

ですから、せっかく会議・資料・メールのムダを排除しようとしても、「マイクロマネージ型人間」「イエスマン型人間」「アリバイ型人間」がいると、いつまで経っても組織的成長を遂げることはできません。

経営者にとっては、それを承知で任免責任を行使したのですから自業自得かもしれませんがそんな1円の価値もないムダに振り回される部下やメンバーはたまったものではありません。

しかし、そこで諦めてはいけません。
自棄になってもいけません。

もちろん、正面突破で「課長、それは違います。こうしましょう!」と言ったところで事態が改善することは極稀でしょう。一般論程度では打破できないから困るわけです。

しかしそこは「方便」というものもあります。

ぶつかるだけが手段ではありません。

むしろ、ガチンコでぶつかって知力・労力・精力を消耗することの方が「ムダ」「惜しい」くらいのケースも多々あります。姑息なようですが、「おだてる・パスする・従っているフリをする」といった方法でムダ取りの妨害を迂回することは可能です。

ムダを愛する人たちと同じ土俵に立つのではなく、彼らを調子づかせて上手にコントロールしてあげるといいでしょう。傍から見ていてどうでもいいことに固執するような視野の狭い人というのはちょっとしたことで簡単に誘導することが可能です(むしろ、主義主張のようなものがなく、淡々と論理的に最適解を進もうとする人のほうが、コントロールは難しいでしょう)。

そうして、無駄を愛するダメ上司、ダメ先輩を上手にコントロールし、目の届かないところでこっそりとムダを省く下地作りを進めていくのです。そうすれば、同じ会社の同僚たちと比べても2~5倍のパフォーマンスくらいは簡単に上げられてしまうかもしれません。


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