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安全な道が「一番危険な道」

個人のプライベートな活動でも、企業のプロジェクトでも、完全に新しいことにチャレンジするとき、その結果はほとんど失敗に終わります。「千三つ(せんみつ)」という言葉があるようにはじめからうまくいく確率など千回に三回程度しかありません。新しいことに挑戦したり、なにかを生み出そうと動き出しでも、結果は99.7%の確率で失敗に終わる可能性が高いのです。

何かを始める時はこのことを前提に据えて計画しないと、ちょっとでも楽観的にかまえているとさらに確率を落とすことになります。

楽観的…すなわちナメてかかっているわけですから、それで失敗しても自業自得と言えるでしょう。

たとえば、なにか新しい事業をゼロから始める場合をみましょう。

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新規事業をスタートさせるにあたっては、少なくても上図の10個ぐらいの要素が必要と私は考えています。これらの要素がすべてうまくいったときに、事業が成功することになるのではないでしょうか。

うまくいくかどうかの確率は、コインの裏表と同じです。

すると、事業の成功には成功率1/2の要素が10個ですから1/2の10乗、つまり

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になるのです。これは千三つよりもさらに3倍以上低い確率です。
成功率0.3%未満の低さに怖じ気づいて何事もチャレンジをやめますか?

 「やったことがないからできません」

と言うおかしな日本語を使う人は、すべてにおいて新しいことには着手できないと言うことですから、おそらく生きることすら辛い人生を送りたいのでしょう(一生〇貞でい続けたいってことなんでしょうね)。

(何も対策を講じなかった場合の)この成功率の低さを十分に認識し、新たなことに正面から取り組む覚悟を決めなければいけません。わずかな可能性でもそれにチャレンジしなければなにも始まりません。

そもそも、何もしなければたった0.3%しかない成功率であってもその成功率を上げる対策方法なんてものはたくさんあります。その対策をする気がないから、いつまで経っても0.3%のままなだけなのです。


なにか行動を起こすときに自分であれこれ考えながら進もうとすると、いろいろと試行錯誤をしなければならずに時間がかかるものです。それでも目の前にある危険に気づくことはできるので、最終的に成功する確率は高まるはずです。

一方、まわりの人が進む道を歩くことは、独力で進むよりずっと目的地に到着する時間も圧倒的に短くなります。

しかし、誰かが示している道をなにひとつ疑問を感じることなく進んでいては、目の前に迫っている危険に気づくはずもありません。なぜなら身の安全を含む何もかもを他人に預けている状況だからです。

本人は危険を避けて最も安全な道を慎重に歩いているつもりが、自分でも気がつかないうちに最も危険な道を歩いていることもあるわけです。予測すらしていないわけですから、いざ危険に直面したときに受けるショックやダメージは、計りしれないものがあるでしょう。

これは状況の変化の激しい時代に、個人や組織がいままでの成功に学ぶ生き方を選択したときの落とし穴です。

特に、考察を抜きにして答えばかりを欲しがる人が増えてしまった現代では、往々にしてそういった事態に陥る人が多いのではないでしょうか。

こういう事態を避けるには、

 「世の中には安全で楽な道が必ずあるはず、
  そこを進めばだいじようぶ」

と思っている考え方をあらためるしかありません。

赤信号 みんなで渡れば 怖くない

という標語は言い得て妙です。

確かに怖くはないのかもしれません。
みんな同じ方向に進むから安心感は得られるでしょう。

世の中の"常識"と言う言葉に流されて意識が整列するのは、こういう群集心理がはたらくからです。しかし、その顔も知らない誰かの選択肢がそもそも間違っていた場合、いっときの安心感と引き換えに全滅することになります。私に言わせれば「怖くないからどうした?」というだけです。

いまの時代に「絶対安全な道など存在しないもの」です。

安全な道だと思っていたものが、安全だと思い込んでいたからこそある日突然、危険な道になることもあるということをもっと強く認識する必要があります。たとえば悪意のある人に騙され、被害を受ける人というのは、まさにこの状況に陥っているのだということを忘れてはなりません。安心し、安全だと思い込み、相手の発言や一挙手一投足に依存し、(人を…ではなくいざという時のリスクを)予測することを捨てた人から、騙されていくのですから。

そんな時代に、人がしなければならないのは、

 「失敗に学び、そして自分で考えて行動すること」

そしてオットー・ビスマルクの

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

という言葉があるように、個人の失敗だけでなく、周囲や過去の失敗からも学び、そして自分で考えて行動すること、それしかありません。

さらにピーター・ドラッカーは

「未来は過去の延長線上にある」

と言いました。今ある現在、そして未来は全て、過去の出来事が基盤となって表れた現象でしかないのです。すなわち未来を知りたければ過去を学ぶ、歴史を学ぶことが近道だと言うことです。

できるだけ早く課題設定をする

では、どう「自分で考えて行動する」のがよいのでしょうか。

そのスタートは課題設定です。
課題というと難しく考えがちですが、目標(ゴール)となぜその目標が必要かという目的意義を設定する…と言えばいいでしょうか。

私は行動の主軸としてブレないようにするためにも、できるだけ早く大きな課題を設定することをオススメします。課題設定をすると、課題に関する情報を意識するようになりますし、進んで体験してみようと考えるようになります。そこで得た知識や体験がいろいろな創造に役立つことになります。

また、切羽つまってあわてている時にはいいアイデアは出てきません。精神的余裕ということでも、早く課題を設定して、それについて日頃から常に考えていたいものです。目標や目的に置き換えて表現したのもそのためです。計画実現性が高い状態を維持し「切羽詰まった」状態を作らないようにするためには結局「目標」を定めなければなりません。

また、自分である課題設定をすると、そこにはきっと自分と同じ課題に気づいて行動している人がいるはずです。

課題設定のメリットは、

 その自分と同じ課題をもつ他人の行動を観察することによって、
 自分自身が行ったのと同じだけの知識や経験を得られる

ということです。オットー・ビスマルクのいう「歴史」というのは別に社会の教科書の中にある情報だけではありません。周囲の人の過去でも十分に学べることはあります。他人の失敗を喜ぶ必要はありませんが、せっかく犯してしまった失敗という過去は、他人のものであれ有効活用するべきです。

同じ課題を持つ人が先にその課題を解決していたら、その行動を見本にしてそこから失敗の対処法や予防策を考えることができ、また成功への道筋を学ぶことができます。

 「他人が代わりに実験してくれる」

のですから仮に3つの課題設定をしておけば、同じ課題を持つ人を注意深く観察することで同時に3人分の経験を吸収できることになります。

きちんと課題設定をしておくと頭のなかにより多くの失敗情報が蓄積され、さらに新たなアイデアを生み出すことにつながるというわけです。


高速思考回路を身につける

脳科学の研究で、人が能動的に頭を使ってなにか行動しようとすると、脳内に"思考回路"ができあがることがわかっています。

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脳内の思考回路において高速の信号が流れるところを「軸索(じくさく)」と言い、その軸索を包んでいる絶縁体のようなものを「髄鞘(ずいしょう)」と言います。

この思考回路は、受身でものを考えているときにはできません。なにかをアウトプットしようとして自分でものを考えるときにだけ思考回路ができます。

この思考回路を何度も使っていると、軸索が太くなって200倍ものスピードで信号が流れる高速思考回路が行われます。そして、一度この思考回路ができると、別の思考の対象を持ってきても高速の思考が行われるようになります。

自分の頭のなかにあるアイデアを思考平面に落とし込み、それを共通概念でくくり、脈略をっくり、最終的に思考展開図にまとめてみると考えが整理され、考えの抜けが発見できて創造がうまくいきます。

その作業が頭のなかに創造的な思考回路をつくることになるのです。
それは頭のなかに創造用の線路を敷くようなものです。

一度思考の線路ができると、ものを考えるときのスピードは速くなり、その線路にほかの列車…つまり他の人のアイデアを持ってきてもスムーズに走らせることができます。結果、いいものが驚くほど速く正確につくれるようになるというわけです。

自分でものを考え行動する習慣をつけることの大切さは、ここでもわかると思います。考えることを他人に押し付けて、自分は手を抜いて考える努力を怠っていると、こうした能力は一生開発されることなく衰えていく一方になります。

部下に丸投げするだけで、自分で別の答えを作っておこうとしないリーダーやマネージャー。既存の方法論やツール、フレームワークに頼るだけで、最適解かどうかを検討しないエンジニア。

そう言う人は、自分自身にも影響を与えるような失敗をしても、なかなか自分で考えませんし、考えないから軸索も成長しません。思考スピードが向上することもありませんので心当たりがある人は気を付けた方がいいでしょう。

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