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適切なたとえ話を"常に"ストックしておく

相手がより理解してくれる説明をするためには、"たとえ話"を使うことが有効です。と言うか、私はそう思っています。

お釈迦様も仏教のむずかしい概念を庶民にもわかるように、よくたとえ話を使っていたと言われています。

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たとえば、

 「プロセスは一度PCを起動すると、終了するまで動き続ける」

ということを説明するとしましょう。この場合、コンピューターの構造や仕組みを知らないお客さまにこのまま伝えても、なかなか理解してもらえませんよね。

そこで、

 「電話は一度通話すると、切るまたは切られるまで
  ずっと通話ができるようなものです。
  電話を切ったら、通話もできなくなりますよね?
  それと同じです」

というように別のものにたとえて説明すれば、ITの知識がない人にもわかりやすくなります。

このような「たとえ話」を人から聞いたり、思いついたりしたら、すぐにメモして、ストックしておきます。私は常にメモ帳を持ち歩いていて、思いつくたびに記録しています。ただ、それだと検索しづらいので、時間があるときにGoogleKeep等にメモして、いつでも使えるようにしています。

実際、私もnote中のそこかしこに「たとえば…」から始まる文句はたくさん置いてあります。そのせいで、文字数が増え、長文になり、「読みづらい」と言われても、たとえ話だけは欠かせません。"わかっている人"にとっては、ただの冗長的な文であっても、そうでない人にとってはわかるための身近な例は非常に大切なものとなるからです。

特に、私は日常…料理なんかを例にするのが好きです。あとは…ゲームにたとえることも良くします。相手が若い世代だったり、ゲーム好きだったりすると特によく使います。日頃の雑談から、「どんなたとえ話だと食いつきが良いか?」なんて、こっそり調査していたりもします。

会話では、言いたいたとえ話を言うのではなく、目の前の相手にとってスッと入りやすいたとえ話を言う努力は常にしているつもりです。noteなんかではなかなか難しいんですけども。


また、たとえ話を説明のなかに織り交ぜるときに注意すべき点は、システムの特徴とたとえる対象の共通点をうまく抽出することです。

これがうまくできないと、相手の誤解を生む「間違った説明」になってしまい、相手に「間違った解釈」を与えてしまいます。

また、だれもが知っていることをベースにたとえなければ意味がありません。たとえ話にせよ、通常の説明にせよ、相手の知識レベルに合わせることはコミュニケーションの大前提となります。

いまだに語りぐさになっているらしい、あるエンジニアが使ったたとえ話があります。

 「プロセスはサメと同じです」

という話です。「プロセスが停止してしまうと実行中の処理も終了してしまう」ということを、「止まってしまうとエラに水中の空気が行き渡らないため、呼吸できず死んでしまう」というサメの特徴にたとえたかったのでしょう。

しかし、この話を理解するためには前提知識として、

 「サメは泳いでいないと死ぬ生き物である」

ということを知っていなければなりません。相手がこのことを知らなければ、ポカンと口を開けたまま、「…え、つまり?」と、さらなる説明を求めることでしょう。これでは、余計に説明が増えるだけで本末転倒です(もっとも、定置性のネコザメなど泳ぎ続けなくても生きていけるサメもいるそうなので、この話自体、間違いかもしれませんが)。

ですので、たとえれば何でもいいというわけではない…と言うことは知っておかなくてはなりません。話を余計にややこしくしてしまうたとえ話はしないように気をつけましょう。

私も、料理を例にするのが好きだからと言って、料理をしない人だとわからないような内容は極力使わないようにしています。そういう時は、

 「料理を例に挙げるとー」

みたいな枕詞を付けます。すると「料理しないからわかんなーい」なんて反応があらかじめ返ってくるので、すぐに他のネタに切り替えることができます。これで『せっかくたとえたのに、伝わってない』と言う事態も、ある程度は避けることができるのではないでしょうか。

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