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会議は原則ではなく、例外にしなければならない

私の好きな言葉の1つです。

なにせ私は「ムダ」なことが大嫌いなので、徹底して無駄を減らしたいんですよね。普段、仕事をするにあたってすべてのことがわかっていて、すべての条件が整っていれば誰かと会議する必要がありません。私は比較的「準備」をしっかりとする(完璧にはしない)ので、少なくとも私にとって会議は無用の長物なことが多いのです。

 「会議」

とは、本来「1人で解決できない課題や問題を、複数人の知恵や知識を借りて、解決する」ことを目的として行うものです。だから、ただの進捗報告会や定例会と呼ばれているものも私にとってはムダに感じることが多いと言えますし、仮に議題があったとしても本当なら主催者の人がわかっていなければならないようなことを、なぜ「有識者」と言うだけで呼び集められるのか、疑問に思うことも多々あります。

私の中では「役割」を与えられた以上、他人に頼る前にまずは自分でしっかりと調べ、学び、身につける必要があるのではないかと思っているからです。それこそが仕事を行う上で最も大事な「準備力」ではないかと思っているからです。

その努力もしないで早々に他人に頼るのは、もう「頼る」ではなく「甘える」なのではないかと思ってしまうのです。


石川島播磨重工(現在のIHI)や東芝の社長を歴任し、経団連会長を務めた、昭和の実業家、土光敏夫氏は会議の5原則をこういっています。

 1. 論争せよ。報告や説明の場にするな
 2. 1対1で立ち会え。助太刀を求めるな
 3. 全員発言せよ。発言しないなら去れ
 4. 1時間でやれ。職場の椅子を空けるな
 5. 立ったままやれ

うん、おっかないですね。ですが、令和になっても無駄に会議ばかり開いて仕事した気になっている人の多い中、昭和の時代には既にこの非生産的な活動の要点をまとめられていて、最小限度にしようとされていたのはとてもすごいことだと思います。

やたら会議を開きたがる人や、会議は「仕事」だと心得違いをしている人、何のためかわからず、何も決まらず、何も生み出せない会議がまだまだ多いのが実状だというのに…(まぁ欧米では比較的当り前な考え方ではあるのですが)。

本来、一人ひとりが自分の役割に応じて、必要十分なスキルや知識を身につけてさえいれば、あるいはそうあろうと努力していれば、そうそう簡単に他人を頼るようなケースはありません。頼らざるを得ないような状況になること自体が、相当なイレギュラー…つまりは「例外」なわけです。

会議の過剰は、組織や個人の時間の使い方…いわゆるタイム・マネジメントの欠陥を示しています。

また、実際に会議を開きたがる人の多くは、文書や文語でコミュニケーションを完結させることが苦手な人に多いようです。人が勤務時間中に行えることは「仕事をするか」「会議に出るか」であり、みんなが会議をしている時、組織は何の成果もなし得ません。会議をすればした分だけ、仕事の生産性は落ちていくことをわすれてはいけません。よって、会議をすることで仕事をするよりも多くのものが得られないようでは、ただの開催者の自己満足でしかないわけです。

仮に時間の使用記録を付けて、25パーセント以上が会議に費やされていたら、会議過多症であり、構造的に欠陥がある

と、近代経営学の父、P.F.ドラッカーは指摘しています。

理想的な組織とは『会議を必要としない組織』です。会議をしなくても…つまりは他人の知恵に頼らなくても一人ひとりが自らの役割を果たせる、つまりは自律している組織人だけで構成される組織です。

先ほども説明したように、あえて毎回会議で話し合わなくても自らの役割の範囲内の事柄であれば一人ひとりが知っているべきですし、理解していけるはずです。そしてそんな組織であれば、会議は稀に開かれる『例外』行為となるでしょう。

日程の共有化で時間を短縮しようと導入したグループウェア、スケジュールなどに、やたら他人から会議の予定を勝手に入れられたりすることもありますが、そんな「時間泥棒」からも自分の時間を守らなければなりません。


Google社などは、"意思決定のための"会議と言うものをしないといわれていますね。議論の果てに意思決定がなされることは重要ですが、単なる意思決定のためだけに会議を開催するのは無駄としているのです。何のために決裁や稟議があるのかわかりませんよね。

会議を待たずに決断できることはどんどん決断するし、意思決定のために議論が必要な時はそのことが判明した時点で速やかに会議を設定する…という考え方で、とにかくスピーディな意思決定を可能にしているらしいです。

また、個人の想いを語らず、常に"データ"に基づいて発言するため、冗長的な会話(雑談)が行われずに完了するというのも、とても印象的です。

こうした理想的な組織を作るためには、なによりもまず「属人化」を止めなければなりません。

「誰かが知っているから自分は知らなくていい」と考え、他人の存在に甘えてしまって、その人が本来理解すべきことを努力して理解しようとしないものだから、必要に迫られた時に誰かを頼って解説を求めるようになるわけです。

それが日本における多くの会議の正体です。

進捗報告会なんてものでさえも、本来はマネージャーが聞いて回れば済む話であるにも関わらず、その労力を惜しんで職権を濫用し、全員の生産時間を貪って会議の場に召集するというもので、その実、意味らしい意味は全く存在しません。

仮に「重要な課題などを全員で共有するため」という大義名分があったとしても、それすらただの隠れ蓑であって、本当に共有すべき情報であれば、口頭ではなく記録化して周知するべきなわけですから、他人の時間泥棒以上のなにものにもなりません。

知るべき情報は他人から提供されるのを期待するのではなく、

 『自分から求める』

ようにするだけで、会議体の半分以上はなくなるんじゃないでしょうか。

知るべき時にしっかりと知っておき、誰かの時間を無駄遣いさせないようにする、と言うことを組織に属する1人ひとりが心がけていれば、会議と言う存在はあっという間に『例外』化しくていくことでしょう。

何よりも、WBSやスケジュール上で管理されない活動の代表である『会議』をそう頻繁に実施していては、あっという間にスケジュールが破綻するに決まっています。「これまで破綻したことないよ」なんてのは、メンバーが残業でカバーしてくれているからです。そのような現場では、マネジメントなど真っ当にできているわけがありません。

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