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スケジュールの良し悪しで、「創造力」の生き死にが決まる

ビジネスにおいて「スピード」は非常に重要です。

私の中では「品質」と「スピード」の優先順位は常にいたちごっこをしています。

 「スピードを上げれば、相対的に時間の余裕が生まれ、
  品質を向上する余力が生まれる」

 「品質を向上すれば、余計な手戻りが減り、
  一つひとつの作業スピードが向上し、時間的余裕が生まれる」

シチュエーションによって使い分けてはいますが、この2つは私にとって同列であり且つ最重要の命題として常にあり続けています。

限られた時間を有効活用する上で、スピードが果たす役割は非常に大きく、同じ成果、あるいはプラスアルファも見据えた成果を出すなら、速いに越したことはありません。

一方で、それゆえに陥りがちな罠として、「速さ」によってスケジュールの圧縮が可能であるなら…と、個人の努力にあぐらをかいてしまうことで、上長やマネージャーによる、あるいは個人による実行計画の策定段階において、"スケジュールの詰め込みすぎ"が往々にして起こっています。

 「頑張らなきゃ」「もっとやらなきゃ」

そういった感情を、ダメなこととは思っていません。いたって真面目なだけで、悪いことしているわけではありませんし。もし、頑張りたくって仕方がなく、とにかくあれも、これもと詰め込みたいと言うのであれば「じゃあ、まぁ頑張れば?」と思うだけかも知れません。

IT業界に落とす暗い影

IT業界の仕事というのは、先日も書きましたが、技術的知識が一般の方には伝わりにくく、「どれだけ大変か」「どれだけ苦しいか」がわかりづらい側面を持っています。そのため、お客さまから

 「たった1画面作るだけで、なんでそんなにかかるの?」
 「これくらいパパッとできないの?プロでしょ?」

なんて言われることも珍しくありません。だから、平均的に"期限設定がギリギリに詰め込まれがちになる(短納期)""予算設定が不足がちになる(低コスト)"と言う弊害を生みます。

一般市場に目を配ると、ビジネス戦略として「同質化」「差別化」を繰り返していく中で、必ず価格競争を行っている業界がありますよね。同じことをIT業界にも求められているのかもしれません。ですが、IT業界のなかでもB2Bで受注開発するようなケースでは、原則一品物のオーダーメイドを注文していると言うことを、お客さまには忘れないようにしていただきたいものです。

少し横道にそれましたが、そういった背景から、

 短納期

を強要されるがゆえに、ソフトウェア開発における「プロジェクトマネジメント」では、ついついスケジュールをギッチギチに詰め込んでしまう習慣が根付いてしまっています。しかも、すべてが予定通りで、指摘1つ無く、バグ1つ無く進むことが前提のスケジュールになっていたりするため、実際には150~300%くらい圧縮されているような状態となっています。

これが、精神疾患者を生み出す土壌になっていたり、会社に帰属したくないエンジニアたちの退社・独立を加速させてしまったりする一因となるわけです。実際にはIT人材は在野に数多く(フリーランスと言う形で)存在しているのに、企業において「労働人口が不足している」と言われるのはそのためではないでしょうか。


慣れないうちは、個人にせよチームにせよ、キャパシティ(処理能力)の100%以上を使わないと回らないような計画を組むのではなく、状況にもよりますが60~80%程度のキャパシティ利用度で済むように実行計画を立てるのが無難です。

たしか…ずいぶん昔に聞いた話ですが、大学の授業が90分に設定されているように、集中力が持続する時間は90分が限界と言われていますよね。しかも、90分間ずっと集中できるわけではありません。集中力の波は15分周期だと言われているのです。

実際、テレビ番組も10~15分程度でCMを入れる構成になっています。宣伝費を払ってくれているスポンサーのためにCMを流さなければならないわけですが、わざわざ15分間隔でそうしている背景には、CMで休憩を挟むことで視聴者の集中力を維持するという理由もあるのでしょう。小学校の授業が45分間なのも同様の理由です。公的機関の試験・受験なども大抵は15の倍数となっているところが多いと思います(解答の回収時間などのために、そこから5分ほど減らしているところもあるみたいですが)。

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つまり、人間の集中力を維持するためには、「15分」をワンブロックとして考える必要があるということです。

そんな中で、100%以上のキャパシティで仕事を詰め込まれては、まともに仕事が成立するはずもありません。上司やマネージャーは、実は「休むな」とかそんな生ぬるいことを言っているのではなく、「脳が集中を維持できない状態になったとしても、それでも集中して仕事を継続しろ」と言っているということです。結果的に、休んでる暇もできなくなってしまっているだけで、物理的に不可能なことを強要されているわけです。


人間の限界を無視することのデメリット

スケジュールの詰め込みすぎは、大きく2つのデメリットを生みます。

1つは、「立ち止まって考える時間が少なくなり、視野が狭くなる」こと、
クリエイティブなことを考えるための余裕が取れなくなってしまうということです。

特に創造性は、ある程度余裕がある時に生まれやすいことが知られています。ビジネスの場面では、既存の前提に縛られない創造性は常に求められます。それが計画通りにいかない時に、効果的な方向転換に結びつくことも少なくありません。その芽を摘まないためにも、常に時間的な、あるいは精神的な余裕は必要です。

もう1つのデメリットは、スケジュールを詰め込みすぎると、「どこかでトラブルが発生した時に、かえって大渋滞が発生する」ということです。これは制約理論、つまり仕事の制約となる条件に注目し、スループット(全体としてのアウトプット量)をあげるための考え方などからも導けます。

工事現場でいえば、どこかの現場でトラブルが起きた時に他の現場に余裕があれば、人や機械を回したりできるのですが、全員がまったくの余裕もなくフルに動いていればそれができず、混乱や大渋滞を巻き起こし、結果として全体の生産性を下げてしまうという理論です。

これらのデメリットを避ける上でも、適度な「遊び」やバッファを持っておくことが、かえって効果的なことも多いのです。

車のアクセルやブレーキに「遊び(遊間)」があることや、電車の線路のつなぎ目に「遊び(隙間)」があることもまったく同じ理由です。

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素材が熱で膨張した際に素材同士が衝突しあって全体に歪みを生んだり、熱膨張率の違いからずれが生じたりするのを防ぐ、また木材のように湿度の変化で素材が伸縮する際の歪みを吸収し破損を予防するなどの理由から設けられる。このほか、振動のある環境下では余り強固に接合することで機構全体に振動が伝わり、末端に負担がかかる傾向があるため、この振動を吸収する意図から遊びが設けられる場合もある。機構が複雑で噛み合わせによって動作する場合にも、遊びが設けられる。 (Wikipedia -「遊び(工学)」より)

常に張り詰めた状態、常にギリギリの状態では、何か変化があった場合、それよりも膨張した場合に、対応できなくなり、当初の目的が果たせなくなります。

そうしないために弛緩した状態、「遊び」が必要なのです。これは仕事の与え方でも全く同じです。そして、それを一切していない状態に起こることが『残業』なわけです。

 ・規程時間内に終わらないようなスケジュールを組んでいる
 ・ちょっと想定外のことが起きれば、規定時間内で仕事が終わらなくなる

だから、残業をしなくてはいけなくなるという悪循環が生まれます。もしも、みなさんが日頃から慢性的に残業しているようであれば、それはおそらくスケジュールの詰め込みすぎが原因かもしれません。

日本は、昔から諸外国に「Workaholic」と呼ばれるほど、仕事をすること/させることが正しいとされてきましたが、そんな進め方をしていれば、仕事を「創造」する気持ちの余裕も生まれませんし、ちょっと問題が起きたら「対応」できなくなるのも当然の摂理です。


さらに怖い弊害

さらに副次的にではありますが、スケジュールを詰め込みすぎると、「精神疾患にかかりやすくなる」傾向もあります。なぜなら、スケジュールの詰め込みはすなわち「常に追い詰められている」と言う"ストレス(緊張)との戦い"でもあるからです。

頑張って頑張って、それでもスケジュール通りにいかない喪失感などによって、そこまで耐えていたストレスの負荷に押しつぶされてしまう事例により、「燃え尽き症候群」や「統合失調症」などが誘発されるというのは、ご存知かと思います。

また、属人的な進め方を推進し、仕事を特定の個人に集中させてしまうような取り組みをすることも、こうした問題に拍車をかけることになっています。


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