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脳のOSと読解力

これまで様々な教育現場において、私は「コミュニケーションとは

 情報の共有("送り手の表現力"と"受け手の読解力")と
 共有された情報の維持・継続

が全てであり、それ以外はただの手段か蛇足に過ぎない」と説明してきました。

実際、集団活動においてはそのほとんどがこのコミュニケーションが常に中心となっています。

たとえば、ソフトウェア開発の業界においては会議体や会話だけがコミュニケーションとなることはありません。

 「仕様書や設計書をコミュニケーションツールとして用いる」

ことで工程間の情報伝達や共有を行っているのです。

これはプロジェクト内だけにとどまらず、プロジェクト間でも同様です。仮に会話がなくても開発できるのは、こうしたコミュニケーションツールを駆使することで必要十分な情報が共有されているからです。

しかし、中には『自分』自身の考え方や価値観に固執してしまっていて、『自分』の基準以外に一切興味を示さないまま周囲をコミュニケーションしようという人もいます。

こういう人はコミュニケーション上の送り手となっても、受け手となっても、コミュニケーションそのものを破壊してしまいかねません。そして『集団活動』の大前提でもあるコミュニケーションを破壊されてしまうと、もうそれはチームと呼ぶには無残な結果をさらすこととなってしまいます。

読解力は勉強の世界のみならず、組織活動の世界において最も重要な力の1つです。
これがあるとないとでは天地ほどの差が生まれ、さらに他への影響は計り知れません。

しかし、読解力を高めるには文章をたくさん読めばいい、読書をすればいいと単純に考えてしまうととんでもない痛手を被ることになりかねません。

また、「読解力=読み解くために考える力」と置き換えたとしても、

 「考えるとはどういうことを意味するのか」
 「考える力を身につける方法」

を教えてもらっていないため「問題集をたくさん解けばいい」「読書をすればいい」と短絡的な対策を実行してしまうこともあります。たしかに本質を理解してしまえば、あとは繰り返して経験量を増やせばいいかもしれませんが、中途半端な状態のまま反復を繰り返しても、残念ながらただしく読解力がつくことはないでしょう。

"読解力がない状態"という状況は、もう少し詳しく言えば次のような状態であるといって間違いないでしょう。

 「文章を処理する脳のOS(オペレーティングシステム)がフリーズを起こしている」

もう少し説明するとこういうことです。

パソコンには"OS""ソフトウェア"の2つが入っています。

OSとは、WindowsやMacOSのようなソフトウェアを動かすための環境を整え、操作するものです。これはコンピュータだけでなく、スマートフォンにも入っていますね。

またソフトとは、Word、Excelなど特定の目的を果たす機能だけを持ったものを指します。スマートフォンの場合は「アプリ」と読み替えればいいでしょう。

そこで、次のようなことを考えてみてください。

たとえば、Windowsの初期版であるWindows3.1 や Windows95上で「Office 365」という新しいアプリケーションは正しく動作できるでしょうか。

…動作しませんよね。

たとえば、64bit OSのパソコンに32bitのソフトウェアはインストールできるでしょうか。

…これも入りませんよね。
入ったとしてもすぐにフリーズするはずです。

しかし、新しいOSのWindows10やWindows11であれば、どのようなソフトもインストールが可能でサクサクと動くことでしょう。

実は人間の頭脳もこれにたとえて話ができます。

人間にも読解の基礎として、パソコンのようにOSにあたるモノがあると考えてみてください。一般的には「地頭(じあたま)」と言われるものです。

一方でソフトのインストールは日々やっていることだと思います。子どもの場合、このソフトとは英数国理社などの科目にあたります。私たちエンジニアであれば、プログラム言語やミドルウェアの操作方法、開発方法論、業務知識などがそれにあたります。

しかし、ここで次のような問題が起こります。

「OSが新しい子はどのようなソフト(科目)もインストールできるが、
 OSが古い子はインストールできないかフリーズを起こしている」

「OSが新しい人はどのようなソフト(開発手法や新技術)もインストールできるが、
 OSが古い人はインストールできないかフリーズを起こしている」

具体的に事例をあげると、小学校の内容が対応できるOS搭載であれば小学校時代は問題ありませんが、中学の内容ではフリーズ起こすようなものです。中学の内容まで対応できるOS搭載であれば中学校時代は問題ありませんが、やはり高校の内容ではフリーズ起こすことでしょう。

ソフトウェアエンジニアリングにおいても同じです。

C言語の考え方"しか"できない人はC言語特有の考え方や作り方は卒なくこなせるかもしれませんが、オブジェクト指向言語の考え方や関数が他言語のような記法の前では、やはりフリーズを起こします。

管理職でもそうです。プロジェクトマネジメントがちょっとうまくできただけの人をいきなり課長や部長にしてみても、期待した通りの結果は出せません。

勉強や仕事でつまずいていく人たちは、日ごろから「OS(地頭)」を鍛えることをおろそかにしてしまっているせいでこうした問題に直面していることがあるのです。

ところが、家庭や学校では科目の出来/不出来といった「ソフト」にばかり目がいきます。仕事ではプログラム言語や開発ツール、作業の手順といったソフトにばかり目がいきます。そしてそれを何とかインストールさせようと強制的に勉強をやらせたり、外部講師を雇ったり、とにかくマニュアル化したりとさまざまな手段をとります。

しかし、OS(地頭)に問題がある場合はソフトばかり詰め込んでも何も変化は起こりません。むしろ思考のフリーズを生み出しやすく、余計パフォーマンスが出づらくなります。「自分はダメなやつなんだ…」と思い込んで、もっとひどい状態になることもあり得ます。

たとえば、子供に新聞記事の音読などをさせたとしてもこれはまったく意味のない”作業”になります。OSへの対応が全く考慮されていないからです。意味がないどころか「文章は嫌い、新聞は嫌い」にさせるための活動になってしまっている可能性もあるため即刻やめたほうがいいかもしれません。

同様に、外部のセミナーや講師を用いて強制的に言語やツールの教育を受けさせても全く意味はありません。学生気分が抜けていない人であれば資格取得には効果があるかもしれませんが、業務には全く活かされていないのではないでしょうか。これもまたOSへの対応が全く考慮されていないからです。

では、どうしたらいいでしょうか。

このOSに相当する地頭は先天的なものと思われるかもしれませんが、あることをすることで後天的にアップデートができます。私もかつてOSのバージョンがかなり低く、小中学生の頃は赤字ではないテストの方が稀でしたのでよくわかります。

ただの詰め込み教育や暗記中心の勉強は、少なくとも私にはまったく効果がありませんでした。自分なりの勉強法に自分自身で気づき、効果が出せるようになったのは高校に入ってからです。

それまで赤点だらけだった私が、中堅レベルの高校とはいえ学内2位まで上り詰められたのはそのおかげです。そして、どうすればOSのバージョンを上げられるのかについても、実際にやってきたからこそよくわかります。

マジックワードを常に使う

子供相手であれば、日常生活の中での「対話」で行っていきます。
そこで使用する言葉のことを「マジックワード」と呼びます。

5W1H~3Hを駆使したオープンクエスチョンだと言えばわかりやすいでしょうか。

「なぜだろう?」(原因分析)
「どうしたらいい?」(問題解決)
「要するにどういうこと?」(抽象化思考)
「例えばどういうこと?」(具体化思考)
「何のためだろうね?」(目的意識)
「そもそもそれってどういうこと?」(原点回帰)
「もし〜だったらどうなるだろうね?」(仮説構築)

このような言葉をかけられると人は「考え出す」ようになります。

機械学習や深層学習でも、適切な量の情報(アノテーションデータ)と多くの演算結果が無ければAIも醸成されません。AIが人間の頭脳を模倣したものであれば、人間の頭脳も同様のことが必要となるのは自明の理です。

様々なパターンを予備知識や経験として身体の中に通し、そこに対して仮説を立て、経験をもとに検証しておくことが必要になっていきます。

今まで、このnoteに書いてきた文章を思い起こしてみてください。

あえて問うことはあまりしませんでしたが、少なくとも私は意図的にこうした技法を用いて記載してきたはずです。送り手である私自身にとってもそうですが、受け手であるみなさんにとってもこうした表現に慣れ親しむことができているはずです。

「なぜだろう?」

この言葉は"理由を聞く"・"目的を明らかにする"ための言葉です。

通常、学校教育では「これは何?」「どこ?」「いつ?」「誰?」「(選択肢問題で)どっち?」が基本となっています。これらのワードも大切でしょうが残念ながら考える力は身に付きません。これらは知識のインプットであり、暗記に対する補強となってはいても考える力には直結しないのです。

ところが、「なぜ?」と言われると意識がそこに向かい、考えるようになります。

しかも、この問いは答えがなくていいのです。
子どもが「ん〜、わからない」と言ってもいいのです。
「ん〜」の部分で考えているからです。

何を答えるかという結果ではなく『考える』というプロセスが重要なのです。

仕事においてもそうです。
「〇〇がそうしろと言ったから」「■■にそうするように書いてあったので」ではなく「〇〇してみたらどうだろう?」「なぜ■■するように書いてあるんだろう?」と普段から疑問を持つことが重要になります。

もし、個人でそうする姿勢に慣れないようであれば、周囲との会話の中で常に「なぜ?」と言うフレーズを持って会話する癖をつけてみればいいのです。

本来、良い上司であれば、「〇〇しろ」「■■しといて」ではなく、

 指示をするのであれば、その理由や目的を明確に添える
 行動を促したいのであれば、その目的や根拠を明確にさせる

といった誘導が必要になってくるということです。これが無い/提供できないということは、それだけで部下やメンバーのOSをバージョンアップさせる機会を失わせていることとなります。

「要するにどういうこと?」

この言葉で問うと、人は考えをまとめていきます。
これを『抽象化する』といいます。

もう少しかっこよく言うなら

 「本質を見極める」

ということです。

抽象化できると、たとえば算数の問題集をやっていても「この問題とこの問題は形は違っているけど同じタイプ」ということがわかったり、国語でも「この文とこの文は字面は違うけど同じこと言っている」ということがわかるようになります。

同様に、ソフトウェア開発でも「言語は異なっていても、処理方式としては全く同じことを言っている」ということがわかったり、「メモリの参照がC言語ではポインタ変数と言っていて、オブジェクト指向言語ではクラス型変数と言っている」ということがわかるようになります。一般的な実務でも「会話における情報伝達のスキルは、設計書や仕様書における情報伝達でも全く同じ」ということがわかったり、「会社に就業規則や規程が無いと運営ができないのと同じように、チームにもルールや基準が無ければ無法地帯になる」ということがわかるようになります。具体的な部分しか見えないと焦点がそこだけに集中してしまってすべてがバラバラに異なって見えます。大局を見据えるには俯瞰してみることも大事です。

以上のようなマジックワードで声かけを行うことで、その質問の方向に意識が向かいます。すると頭の中で「考える」ことが始まります。シンプルだけどとても効果的な、こうした言葉を使っている家庭は実はそう多くはありません。

当たり前のことですが、家庭でもできないことは業務現場でもできていません。

日常、親や教師からの指示・命令によって動いている子が少なくなく、それではいつまでたっても考えるようにはなりませんし、OSのバージョンが上がることは難しいのではないでしょうか。

ちなみに、ある一定までOSのスペックが高くなった人は、これらのワードを自分で使って自律し、自分を高めています。

子供であれば、国語の問題でも数学の問題でも、そして勉強以外でも、何かに取り組んでいるときに自問自答している子が多いのです。

 「何を(どのように)問うか?」

これによって人のOSがどんどん変わっていきます。
すると「考えることの面白さ」がわかってきます。

そうなればもはや親は子供を、リーダーはメンバーを、企業は社員たちをただ信じて見守っているだけでよくなるかもしれません。

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