テクノロジーセンスを磨くには
それはテクノロジーに飛び込むこと、浴びるほど経験することです。
ここでも、田畑氏が語っていましたが、「経験もしないで、エラそうにモノを語る」っておかしな話なんですよね。経験してないんですから。所詮、又聞きで知ったつもりになっているだけってことですから。知識だけならそれでもいいのかもしれません。ビジネスで使いこなせるレベルになるかどうかも怪しいところですが、とりあえず知識だけなら、本を読むなり、又聞きで聞くなりすれば入手できます。
ですが、センスを磨こうと思うと、数多くの失敗や成功を見て、TPO(Time=時、Place=場所、Occasion=場合)によって適切に使い分けられなければなりません。経験なくして、TPO別に使い分けられるなんてことは絶対にありえません。入手した情報の中に数パターン程度はあるかも知れませんが、それは"使い分けられる"というレベルではないはずです。
具体的には、「実際に触れ、体験・実践する」ということになります。UXの"X"は「Experience(=体験)」の略ですが、まさにこの体験が無くては、先に進むことはできないのです。
これをしない人は絶対に分かりません。知識だけを見てわかった気になるかもしれませんが、結局は分かっていません。
スマートフォン作って売ろうという人が、スマホを買ったり自分で選んだりしたことがなければ、スマホのことが分かるわけがない。
本を読まない人が、面白い文章を書けるわけがない。
本を読んではいても、普段から意識して文章を書こうとしなければ、やはり面白い文章を書けるわけがない。
と言うのと同じです。1回は書けるかもしれません。書けていると言われるかもしれません。「文章が下手過ぎて珍しい」とか、「こんなに下手な文章を出版していいんだ」という驚きで売れるとか、そういったことはあるかも知れません。しかし、続きません。1回だけです。
また、テクノロジーはソフトウェアよりもハードウェアに依存する傾向が強いものです。スマートフォンでいえば、アプリはどの機種にもインストールできるかもしれないけど、「サクサク動くのは」「快適なのは」「解像度が高いのは」、etc…と言ったように、ハードウェアによってテクノロジーの限界差が色濃く出ることは往々にしてあります。
これは、市場がまだまだ安定しきっていないアプリケーション(ソフトウェア)界では、よほどチャレンジングな企業でもない限り、"差別化"よりも"同質化"することで、生き残る術を模索しているからでしょう。
(閑話休題)
"差別化"や"同質化"は、一昔前の牛丼チェーン店などを見ればわかるかと思います。
まず、吉野家が「牛丼」と言うものを"早い・安い・旨い"のキャッチフレーズと共に展開しました。その後、すき家や松屋といったチェーン店が参画してきますが、それぞれ似た様な商品が並びます。類似の商品を並べることで「他社だけでなく、当社でも食べられますよ」と喧伝し、集客効果を高める手法です。これを同質化と言います。
牛肉のBSE問題があった2003年ごろ、牛丼チェーン店が価格競争に走って、牛丼一杯がコーヒー一杯と同じくらいまで下げられたことがありましたが、これは安さによって他社が差別化されることを恐れた競合企業が軒並み、価格の同質化を図ろうとした結果です(ちなみに、仕掛人は「すき家」です)。
逆に、皆が皆同質化し始めると、客が分散してしまって期待以上の集客が見込めなくなります。
顧客獲得競争が沈静化すると、次に「当社にはこんな商品がありますよ」と言って、他社にない、他社では味わえないポイントを作りだす企業が出てきます。これが差別化です。
差別化は当然、今までにないものを作り上げるわけですから、ヒットすれば万々歳ですが、当たり外れの厳しいギャンブル要素も含んでいますので、念入りなマーケティング等が不可欠になります。
ある会社が差別化を図ると、リーダー企業を含む競合他社は同質化を図って一人勝ちさせないようにし、そうしてしばらく膠着状態が続くとまたどこかの会社が差別化を打ち出す…と言ったことを繰り返します。トップ企業などがよくやる経営戦略の1つです。
とにかく経験する量を増やすこと
ソフトウェアの差別化というのは、何に依存しているかというと、
人間のイマジネーション(想像力)
の差に依存しています。しかし、同じ社会で生きて、同じメディアから情報を集め、同じ環境で生きていると、イマジネーションの差と言うのは、なかなか出にくいものですし、実際思っているほど大きくないのが現状です(そこに新しい波紋を投げかけられる人が天才であったり、優秀であったりするのでしょうが、残念ながら多くの企業や企業人は保守的で、そうした新しい価値の創出を嫌がる傾向があります)。
もし、ソフトウェアの世界で差別化を図りたいのであれば、まずはマイノリティの世界で生きることを決意しなければなりません。
具体的には、
「誰もやらなさそうなことをやってみる」
「誰も買わないものを買ってみる」
と言った具合です。こうすることで誰も知らない経験、知識、価値、成功、失敗、etc…を吸収することが可能になります。
しかし、人の心理はどうしても多数側に付いて安心感を得たいと思う傾向があります。そこを"敢えて"挑戦する気概があるかどうかが、差別化戦略の要になります。
テクノロジーセンスを磨くとは、いわば浴びるほど色々なことを経験するということに他なりません。勝手に自分で壁を作って
「これしかやらない」
「これで成功したから、他はもう新しい経験はしたくない」
「もうこれでいいじゃん」
といって開拓することを疎かにしてしまうと、その時点から後は退化するだけです。"停滞"ではなく、"退化"です。時間軸は常に進み続け、周囲も社会も、そしてテクノロジー世界も進化し続けている以上、自身の進化を止めると、主観目線では停滞ですが、周囲や社会、世界といった客観目線から見るとどんどん遅れ、取り残されている退化として映ります。
逃げ腰で「できない」と言ってはいけない
また、安易に「できない」を口にする人も、テクノロジーセンスを磨くことは困難です。簡単に「できない」と言うのではなく、常に「どうすればできるか」という思考でなければ、センスが磨かれることはありません。「できない」のではなく、「どのような条件が満たされればできるようになるのか」でなければ建設的に考えられませんし、実現することすら不可能です。
未来を予知できる超能力者がいない以上、未来を見越して「できない」と言う表現はそもそもおかしいのです。
できるかどうかはやってみなければわかりません。もし言葉にするなら「やる」か「やらない」しかないはずです。できなさそうな予感がするのであれば、その根拠を明らかにし、根拠が正しいのであれば、その問題点を解決すれば、「できる」はずなのです。
解決しさえすれば「できる」、しかし始めすらせずに「できない」といってテコでも動かない…つまり、安易に「できない」と口にする人は、その解決を「したくない」と言っていることと同義です。
そういう人は、テクノロジー(技術)をウリにする世界では、真っ当に生きていくことができません。
仮に社内政治に長けて出世することがあっても、それは出世させた上司の見る目がないだけで、出世すればするほど無能が露呈しますし、「テクノロジー」をウリにしている企業なのに、そのテクノロジーを理解していない人間が上に立てば立つほど、結果的に企業の長期維持は難しくなって、衰退していくことになります。
今現在の企業の寿命がおよそ23~24年と言われていますが、昔に比べて寿命が短くなった原因は、日系企業の多くに見られる『人事制度の腐敗』によるものなのではないかと、私は推察しています。
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