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【須田亜香里さんの軌跡】◆M32 ついに本当のセンターへ

 アイドルの大きな夢,といえば,やはり,グループでのセンター(センターポジション=ステージ最前列の中央で歌う最も目立つポジション)を任されることでしょう。須田さんの場合,どうだったでしょうか。

 2009(平成21)年11月,須田さんはSKE48に加入しました。幸運なことに,翌2010年2月16日から,研究生公演「PARTYが始まるよ」が始まり,その公演で,須田さんはセンターを務めました(ただし,これには,ほぼ同時期にSKE48の2ndシングル「青空片想い」が発売され,その選抜メンバー<シングルCDの表題曲を歌うメンバー>に同期の研究生である小木曽さん,木下さんが選ばれた,という事情が影響しています。)。【1】
 そして,須田さんは,公演初日のわずか11日後に,正規メンバーとしてチームSに昇格しました。

 ところが,須田さんにチームSで与えられたのは,最後列の一番端。ステージの隅で,カーテンに身体が半分隠れてしまいそうなポジションでした。
 ここから,須田さんの,センターを目指す「苦しい思いばかりの茨の道」が始まりました。

 須田さんが初めてSKE48の選抜メンバーとなったのは,同じ2010年11月発売のSKE48・4thシングル「1!2!3!4!ヨロシク!」でしたが,もちろん,須田さんはセンターではありません。
 その上,チームSの「最後列の一番端」というポジションは,昇格後3年以上続きます。
 
 でも,須田さんは,センターを諦めずに努力を重ねました。握手会でファンとの対応について一切手を抜かず,ついには「握手会の女王」とも呼ばれるようになりました。ファンの名前を覚えるための手書きのノートである「ダスノート」も冊数を重ねてゆきました。そうして,地道にファンを少しずつ増やしてゆきました。

 他方で,須田さんの「センターへの憧れ」は深まるばかりでした。
 例えば,2012(平成24)年,SKE48劇場が改修される際,ステージに張ってあった「0」と書かれた札(ゼロポジション=センターの立ち位置を示すマーク)をもらい受け,この札をノートに貼り付けて保存しました。ヘッダーの写真がその「0」です。【2】
 また例えば,2013(平成25)年,須田さんは,選抜総選挙で16位を獲得し,初めてAKB48の選抜メンバーに選ばれたときにも,「瞳の中のセンター」という言葉でファンに対する感謝を伝え,ファンからの大きな反響を呼びましたが,裏を返せば,それは,自分はまだ本当のセンターではない,という告白でもありました。

 しかし,須田さんは,連続してSKE48のシングル曲の選抜メンバー入りし,握手会の売上げも常に上位をキープし続けたにもかかわらず,ただの一度も,選抜メンバーのセンターを任されませんでした。その状態は,SKE加入10年目・2019年まで続きました。そうした辛い状態は,須田さんの心に徐々に影を落としていきました。

たとえば,2019年発売のSKE48の25thシングル「Frustration」発売前の同年5月には,

「でも本音はね、一度はセンターに選ばれてみたいと夢見ちゃう自分が、SKEにとってお荷物なんじゃないかって、不安。
SKEのためになるなら、それが私の居場所と皆の笑顔になるなら、どんな役割でも有難いと思うのに、私って贅沢だよね(笑)」【3】

とツイートし,センターへの憧れと不安をのぞかせました。

 あれほど憧れ,あれほど強く望んで努力しても,須田さんは,とうとう,10年間,SKE48選抜メンバーのセンターには手が届きませんでした。

 須田さんは,「Frustration」発売後の時期について,ある2つのインタビューでこう語っています。

 「半年(引用者注,2019年7月ころ?)ぐらい前にスタッフさんに「センター立つの夢なんです」と言ったら、「須田ちゃんでも、まだそうやって思ってたんだね」と言われました。周りからは「もう落ち着かなきゃいけない年頃、立場」「SKE48で推さなくても、お仕事あるからいいじゃん」と思われているのかなぁ、というのはうれしくもあり寂しくもありましたが、「そんなに求めちゃいけない」「自分がガツガツ前に立ちたいという気持ちでいったら迷惑かかるかなぁ」と思うようになりました。」【3b】

 「ステージに立ってパフォーマンスすることについては、常に完成するものではないからどれだけでも頑張れるし、そのスタンスは変えるつもりはないんです。だけど、プラスアルファでこれ以上、何がどうなったら自分がSKE48のセンターに選ばれる人間になるのか、もう数年前からよくわからなくて。こういう世界だから、選ばれる基準なんてないんですけどね。握手会の列の長さには自信があったけど、それが反映されるものでもなかったし。だから最近はSKE48の中でも自分のできることをやればいいし、個人でバラエティなどのお仕事も楽しくやらせてもらってるから、両方充実すればいいやくらいの感覚でいて、センターはもう諦めていたんです。」【3a】

しかし,須田さんの28回目の誕生日を目前に控えた2019年10月,その知らせは突然にやってきました。
須田さんは,とうとう,SKE48の26thシングル表題曲「ソーユートコあるよね?」選抜メンバーのセンターに選ばれたのです!

夢を糧にして,過酷な環境にもめげることなくついにセンターにたどり着いた感想を,須田さんは,こう書いています。

「努力が必ずしも報われるかどうかは分からない。しかし,自分だけの出会いと経験は諦めない理由には十分すぎるかもしれない。」【4】

「ソーユートコあるよね?」は発売された週の各社ウイークリーヒットチャートの1位を飾りました。


M33 「「会いに行けるアイドル」が会えなくなるとき」に続く。

<ソースノート>
【1】詳しくは「◆M05 須田亜香里にしかできないこと」を参照。
【2】映画「Documentary of SKE48 アイドルの涙」にそのシーンが収録されています。
【3】 https://twitter.com/dasuwaikaa/status/1133004326681493504
【3a】「SKE48 須田亜香里が貫く、悩みを“個性”に転換するためのポリシー「弱点を見せるのは人と繋がるきっかけになる」」(リアルサウンド) https://realsound.jp/2020/01/post-478570.html

【3b】須田亜香里、あきらめていた「センター」の夢 「もう求めちゃいけないんだって...」【インタビュー】(J-Castニュース) https://www.j-cast.com/2020/01/29378174.html?p=2

【4】「須田亜香里のてくてく歩いてく」(中日新聞2019年11月3日朝刊)

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