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欧州イメージ勘違いの余論としてのサド侯爵

マルキ・ド・サドの著作をSMという中で理解しようとすると

混乱するか、退屈するだけだろう。

早乙女宏美さん、卯月妙子さん有末剛さんあたりの方がずっと良い。

かといって、映像化されたからと

いきなり大作”悪徳の栄え””美徳の不幸”を読むのは無茶すぎる。

下記の短編集がおすすめ。

レビューにも書いたが、著者はバスチーユの中で、この世の不条理を、非道徳という形で訴えた。

だから、当時のキリスト世界の倫理・常識を知らない現代日本人には、逆に欧州の常識・倫理を知る鏡として読むと、最も面白く読めると思う。

併行して読むのにお勧めなのは、ペロー童話やグリム童話(子供向けは、原作を大幅に書き換えているので禁止)、ベルサイユのばら(漫画家をなめちゃいけない、なまじの専門家よりいい)、三銃士(子供向け禁止)、森島恒夫の”魔女狩り”、読書慣れしていないと難しいがミシュレの”魔女”(日本でこれを原案として映像化されている”哀しみのベラドンナ"もある)。

20世紀まで、淑女は編み物がうまくて、自分の名前を綺麗に書く事、跡継ぎを産む以外は要求されなかった。サロンで童話を読むか語るのは少し身分の低い女性。火刑になったジャンヌと、奇異と記録されたサンドやミツコの時代の間で、フランス革命当時に、開放された女性を主人公にして称えた本が"悪徳の栄え"だったりする。それにより著者は人生の半分近くを牢屋で過ごす。


当時のフランス人にとって、フランス革命の意義を語る上での邪魔者であったので、日本では思想史や歴史ではなく文学者が翻訳評論し、教科書などには載らない。学者の自由とは存外不自由なものとかはしる。

では現代欧州人にとってどうか。貴重なビデオがある。絶版なのが惜しいが、youtube等で”MARQUIS”と検索すれば字幕はなくとも観られる。たしか、北海道で学生時代に借りて友人と観たと思う。狂った時代の中で孤独な囚人としてのサドをみせる。知性からくる妄想のエロスと巨大な男根の両方を周囲に求められるが、つきぬ悩みにあきれた男根は自由を求めて彼から去る。(あ、動物人形劇にエロスは期待しないで。球体人形のエロスも無いですよ)


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