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(名前を呼んで)

私の本名は、少しだけ珍しいと思う。

音そのものはそうでもないはず。ただ、漢字がちょっと変わっているのだ。筆名とも通じているかも知れない。それと強く意識しなくても、共通する要素を持たせてしまった。
(筆名については、当初は名前だけで、後から名字を足したという過程があるのだが、今回は本名に関してのnoteにする)

「きれいな名前」

だと、言ってもらえることが割合に多く。くすぐったくも嬉しくなる。
自分の名前は、好きだ。

思い返してみれば、そう。小学校の頃に、「自分の名前の由来を聞いてみましょう」という課題を出されたことがあった。
親の名から取られている字が入っているし、驚くほどの由来はないのでは……などと思いながら聞いたような記憶がある。

結果として。
両親の名の漢字から部分を抜きだして組み合わせた、というのが一番大きなところだそうだ。やっぱりそんな感じだったのか、と拍子抜けするような気持ちがありつつ。どこか安心もしていた。

名前は、生まれてから最初に贈られたものだ。いのちの器として。大なり小なり、願いとともにあたえられたもの。
それは時に祈りであり。
呪いにもなるのではないだろうか。
良くも悪くも、絡んで離れない。
あまり重々しい由来がなくてよかった、なんて。伝えたら怒られてしまうだろうか。
けれど。

「真ん中で分けると左右が対称に近いでしょう? なんだかやさしい感じもするの、いいと思って。」

とも、聞いた。
それはとてもとても、やわらかく。
心に届いた。

しなやかに、おだやかに、すきとおり。
私は、あたえられた名に似合うように、歩いてゆけるだろうか。迷ってばかりの足取りなのはわかっているけれど。
ひとつ、いつの日か終わりを迎えるまで。
ずっと連れ添うのがこの名前なのだから。

自分の名は、好きだ。
何度でも言える。


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