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個人事業主日記 2021年8月1日

独立して2週間が経った。まだそれしか経っていないのだった。嘘でしょ。

おかげさまで、暇で暇でしょうがないという事態にはなっておらず、ありがたいことである。といっても、独立後すぐに4連休があったり、もうすぐお盆があったりと、まだこれを平常運転といっていいのかよくわからない。

基本的には勤め人であるときと変わらず、いわゆる暦通りの営業・休業としていくつもりである。仕事や生活のリズムとして慣れ親しんでいるし、取引先との兼ね合いでも、なにより家族との兼ね合いでも都合がいい。

勤め人ではなく個人事業主となったので、いつ休んでも、休まなくてもいい。この感じは悪くないのだが、休んでいると「おまえが休みたいから休んでるんだろ」と言われているような気がするのは、ちょっといやである。もし本当に言われたら別に「はい、おれが休みたいから休んでるんです」と返せばいいだけなのだけれど。

これまで、勤め人であるあいだは、休みというのは勤め先の休業日であった。私が休みたいから休むのではなくて、休みと決まっているから休む、みたいなテイだ。けれどこれからは、自分自身の意識的な選択として休む必要がある。少なくとも対外的にはそう見える。言おうと思えば家族のせいとかにはできるんだけどさ。そういうことじゃなくてさ。

ポッドキャスト「働くことの人類学」で、公私の区別という話があった。日本では仕事を公、仕事以外の時間を私ととらえる風潮が強いが、それはどこでも通用する考えではない、と。たとえばある国では、家族や親戚のための行動こそが公であり、いわゆる賃金労働などは私であるとされるのだそうだ。おもしろい。個人的にはどっちがいいということもないけれど、なかなか示唆に富むテーマである。

他人からどうこう言われる以上に気をつけなければならないのは、おそらく自分自身の声だ。つまりは「おまえ、休んでいて本当に大丈夫なのか?」という不安だ。健やかさを保ち、いい仕事をするために休む。理屈ではわかっていても、不安になる局面は必ずやってくるはずだ。それで心が不健康になってしまうのは本末転倒だし、かといって休まず働くのが中長期的にいい仕事をもたらさないのは明白。ディレンマである。

そんなときは、大谷翔平を思い出すことにしよう。きっと大谷翔平ならしっかり休む。必要なだけ休む。どんなに活躍した日も、活躍できなかった日も、淡々と質の高い睡眠を取るだろう。西川の寝具で。熟睡する大谷翔平の姿を思い浮かべながら眠ろう。

「仕事」と「休み」ではなく、すべてを「予定」にまとめてしまおうと思っている。生活と仕事がとけあう日々、歳月のなかで、仕事か休みかはっきり分けられないようなものも含めて、予定を入れていく。

お盆は墓参りの予定です。よろしくどうぞ。

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