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トウモロコシの別れ②

4歳の夏を迎えるころ、両親は、わたしを幼稚園に入れることを考えはじめた。

小学校に上がる前に1年でも通ったほうがいいのではないかと、知人にアドバイスされたらしい。

立会川のアパートの近くには幼稚園はなかった。

母は、立会川の前に住んでいた北品川の友人に相談をした。

友人は、北品川の商店街に近い、ある幼稚園を薦めた。

母娘で経営している園で、歴史があり、評判もいいと。

じゃ、引越しもしなくちゃ。

母と友人はすぐにアパートを探しはじめた。

そのときのことはかすかに覚えている。

暑い日に、母と友人とわたしとで、仲介業者に案内されて北品川と南品川のアパートを何軒も見て歩いた。

母は日傘をさし、わたしとお揃いの袖なしのワンピースを着ていた。

道が真っ白に見えるほど、日差しが強かった。

目黒川のほとりのあるアパートの前までくると、仲介業者が「ここも見ますか」とわたしたちに聞いた。

「ええ、見ます。せっかくきたんですから」

「そうですか」

と、仲介業者はなにか気の進まない様子で、玄関の引き戸を開けた。

三和土に住人の靴が折り重なっていて、こちらにうわっと溢れてくるように見えた。

仲介業者はあわてて戸を閉めて「次いきましょう」といった。

母と友人が後でその話をして笑っていたのを思い出す。

わたしはそのアパートの青いトタンの壁が忘れられなかった。

家の外側が波打った青い板というのは珍しいなと思ったからだ。

その日はめぼしい物件がなく、わたしたちは立会川に帰った。

次にいったとき、友人の家のそばに、地元の工務店が自前で建てて貸しているというアパートが見つかった。

造りがしっかりしているし、間に人が入っていないので家賃も手頃、ちょうど空き部屋が出たところらしい。

父が改めて見にいって、契約をした。

幼稚園までは坂を上り、旧国道と呼ばれていた旧東海道を渡ればすぐ。

部屋は二階の角部屋で六畳あった。

両親はいいところがあってよかったと喜んでいた。

引越しは9月の最初ということになった。

わたしは、お掃除のおばさんの娘にその話をしなくてはならない。

なんといって切り出すか、こどもながらに思いあぐねた。