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薬剤師になるまで(3)


こんばんは。

さて3回生の私に起こった悲劇とは・・・。

察しがつくと思いますが


進 級 で き な か っ た 。


3回生ともなると勉強も難しくなってきて。
でもバイト三昧な生活スタイルは変わらず、

後期の試験がほぼほぼ再試にひっかかる。
さすがにやばいと思い少しバイトセーブして
焦って勉強したものの

時すでに遅し。

再試で回収しきれず、留年決定。
親呼び出されて面談。

違う学部への編入も考えたらどうか?と
学部長ではないけど偉めの先生に言われ
悔しかったのを覚えている。

お金ないくせに留年してしまい、
結局余分なお金を払うことになってしまって。

でもこれをきっかけに
バイト代で奨学金で足りない部分を
カバーするのはしんどいと
親に言うことができた。

留年の際の学費と
交通費と
奨学金でカバーしきれない費用
今後出してもらえることになった。

え、
お金出してもらえるの???
初めから出してくれたら
こんなしんどい思いしなくて
済んだのでは・・・

と思ったけど、飲み込んで、
黙って親に感謝。

留年時代は落とした単位分と
次年度の単位が少し取れる程度で
授業はとても少なかった。

私が通っていた大学は、
早い人は4回生から研究室に入る。

留年する前はなんでわざわざ早くから
研究室入らなあかんねん・・・と思っていたが(友達も誰も入らなかったのもある)

留年することによって
入るのもありかな、という風に
考えが変わった。

友達は
とにかく楽な研究室に入りたいと言う感じで
私もそれに合わそうと思っていた。

しかし、友達と離れてしまったことで
自分の興味のある研究室に入ろうという
気持ちになれた。

まぁまたその研究室がハードで有名な所で。
まず、拘束時間が長い。
休みが日曜日だけ。
ガチで研究させられる。
教授が怖い。など。

終バスで帰ることもしばしば。
そうなると家に着くのは24時過ぎ・・・。

研究室に所属する前の私なら
次の日普通に遅刻または
自主休講していただろうが
研究室に入ると
〇〇(研究室名)のすちこさんって
認識になるし、
教授に授業の出席率バレるから
ちゃんと学校に行って
授業を受けるクセがつき、
テストも再試が格段に減った。

CBTもいい成績ではないものの普通に合格。

唯一の休みの日曜日は10時〜22時まで
バイトしてたから
体は本当にしんどかった(涙)

研究室のみんな仲良くて
日曜日に遊びに行ったりしてたけど
私はバイトがあるからほぼ参加できずに
寂しい思いもしたし(涙)

前述の通り
学費や交通費は親が出してくれたけど
生活費は自分で稼がないといけなかった。

服欲しい化粧品欲しい
遊びに行きたい美味しいもの食べたい
欲望はたくさんあるけど
我慢我慢我慢…って感じだったな。

続きます。


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