『全校ワックス』わからん問題

『全校ワックス』の作者です。『全校ワックス』は2005年度の県大会・関東大会を経て2006年京都全国大会に参加、国立劇場の優秀校公演でも上演しました。キャストは5人で、大道具なしなので、脚本はいまだに全国で上演されています。
高校演劇っぽい、高校演劇を煮詰めたような脚本と思っている人も多いと思います。いっぽうで初演当初から「『全校ワックス』わからん問題」も高校演劇部顧問からも持ち上がっていました。「わからん問題」はまだ継続中です。上演数は作者も把握していませんが、200から300というところで。
もうオリジナルの甲府昭和の上演を見た人もすくなくなっていると思います。当時は全国優秀賞でもテレビ放映されたので映像をお持ちの方も多かったのでしょうが、17年ですからね。全国大会では演出賞をいただきました。県大会と関東大会では創作脚本賞をいただきましたが全国大会では演出賞。
実は当時から脚本に欠陥があると言われており、演出演技でもっている、という評価がありました。「後半のある場面が唐突であり、伏線もなくあらわれる」「むりやり問題を持ち出している」「教員の悪いところが出た」最後のは平田オリザさんのテレビ放送での言葉。演出は飯野役の生徒。これはすごい。
演技もよかったです。相川の天才的な間の良さ。江川とか上田とか人(にん)が出てると思います。大宅もあのほどのよさがよかったと思います。あの5人だからできた舞台です。ここでは脚本についてお話しします。
じぶんが書いたものにあとになってああだこうだというのは野暮の骨頂です。素人ですしねえ。じぶんが思っているほど他人は興味ないですよ。それはわかっているのですが、いまちょっと魔が差して書き始めたので最後まで書きます。
季刊高校演劇に書こうとも思ったのですが、ちょっと趣旨に合わないので。高校演劇っぽいところは前半はっちゃけてコミカルに、後半しっかり切り替えてシリアスにできる脚本だからだと思います。ただ、甲府昭和の上演を見た方は、メリハリを感じなかったと思います。
なぜなら、メリハリ、切り替え、コミカル、シリアスはしないことにしていたから。まずバケツかぶってダンスは手をひらひら動かしただけ。音楽は当然なし。だってどこから鳴るのかという話。アニメ声と地声の切り替えは、え?と気がつく程度。最後の告白はごく軽く、感情を乗せずに。
これは大宅役が上演中に乗っちゃってよく泣いたのでできないことも多かったです。全国大会の速報で感想があったのですが、「生き生きとした演技というものをもう一度考えてもらいたい」と書いてありました。全国まで来てこのダメ出しか!まあ、観たことないタイプかも。
ある意味、「『全校ワックス』わからん問題」を持ち出してきた人は、わたしたちがやろうとしたこと受け止めてくれたのです。高校演劇らしい脚本で、高校演劇の定法からはずれた劇作り。それ以後高校生の日常を題材にしているのに高校演劇っぽくない劇を生徒とつくってきました。
ただ、一幕一場、三一致にのっとった、いちばんわかりやすいはずの脚本に「わからん問題」が存在します。いまだに。指摘した方もいらっしゃるのですが、『全校ワックス』には先行する高校演劇の舞台のオマージュというかパロディ要素が入っています。『修学旅行』や『七人の部長』です。
高校演劇をつかって遊べないか、というのがもともとの発想にあったのです。これを越智優さんは「悪意のある」舞台と評しました。越智さんと曽我部マコト先生は真っ先に『全校ワックス』を認めてくれた人たちで、全国大会の掲示板に「感想が少ない」という書き込みをしてくれました。
たぶんみんなどう反応してよいか困っていたのだと思いますが。あとで聞いたら結構話題にしてくれた人がいたようですが。前年の最優秀作『修学旅行』はコミカルの高校生のスケッチと戦争のテーマをいろいろな観客層に受け入れてもらうために絶妙に配置してありました。
これを作者の畑澤聖悟先生は「ツーウェイ」と言っていました。『全校ワックス』も高校演劇っぽい脚本にちょっと変わった演出演技を施すためにつくられたものです。ですから、先にも書いたようにメリハリはなくし、切り替えはせず、シリアスとコミカルを意識しない。
なぜ高校演劇では前半コミカル、後半シリアスの切り替えがあるものをよしとしはじめたのかわかりませんが、あれおもしろくないですよね。会話はぎこちなく、気持ちは伝わらず、すこしもわかりあえない人たちをえがいた舞台でした。それを意図した脚本です。
通じ合ったようにも書いてますが、そうしないと地区とか県を通らないのではないかと思ったのでちょっと姑息でした。どこに気づきがあるかというと、こういう人もいるんだ、ということ。飯野と上田が言い合う場面はある日の稽古でできたのですが、設定を決めてアドリブで演じてみました。
飯野と上田は40分、飯野が足跡つけて上田がそれをとがめる、という設定で演じ続けました。観ている私たちは大笑いでした。あれで勉強させてもらいました。そうか、空気をつくるんだ。 さて高校演劇の話ですが、出演者の自由度の高い筋立て・設定をつくり、好きなことをしてつくればよいと思います。
筋のための(物語をすすめるための)人物や、情報を提供するための人物をつくらず、舞台でその人の個性が発揮できる場面をつくる。『全校ワックス』では、さいごに依存症の母親とか、成績が悪い生徒、いじめなどが出てきて、あれを「問題」ととらえて、最後に主題を提示したという評がありました。
とんでもない話で、そんなものは解決されるべき、考えないとならない「問題」ではありません。「問題」を述べるために演劇をしているわけではない。あれは「問題」ではなく「現象」です。みんなそれくらいの「出来事」を抱えて生きています。
それがこのワックスがけの時間に、ちょっとだけ時間を共有した人に、すこしだけ明かしただけです。言うならば、告白ごっこという、何かを言ってしまう装置によって言ってみただけで相手もじぶんもすぐ忘れてしまうふわふわした言葉です。
ちなみに『全校ワックス』掲載の季刊高校演劇は売り来てているそうです。脚本はこちらにあります。https://note.com/suchanga/n/n971a37755d0c… もし上演なさるようでしたら、お手伝いします。お声がけください。
細かいことを言うと、もうすでにオタバレを恐れる風潮もないし、オタク差別ととらえられても仕方のない表現があります。ポケベルの部分より、そちらの方が問題かなと思います。ですからじぶんではもうやらないと思います。もちろん『七人の部長』のオマージュです。というよりパクリです。
以上、『全校ワックス』作者より、まだ『全校ワックス』を覚えていただいている方に向けて記しました。ご意見感想質問がありましたらお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?