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放課後の旅  第3回 台詞について

放課後の旅 第3回 台詞について

『季刊高校演劇2023秋』 が刊行されたのでこちらにも投稿します。

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一軍は一軍でつらいんだよ
これは平成の初めの頃の話。あの子たちはずるい(二軍のこと)。あたしたちだっていやなことはあるし気分が乗らないことはあるけど、必死で盛り上げてるのに、反応もしない。じぶんに正直なのがそんなにえらいの?ここは我慢して雰囲気に乗ればいいじゃん。当時まだ空気を読むという言い方はしなかったかもしれない。
もちろん、そうやってじぶんを偽って我慢して周りに合わせて、その後どうなったかというと、部活はじめ学校や会社のパワハラが生まれた。筆者も空気を読まない方なので空気読まなくても安全に生きられる高校に入り、部活には近寄りもしなかった(集団生活も苦手なので毎日グラウンドに四時集合なんてことになったら気が狂うと思ったからでもあります)。いわゆる二軍、オタク、陰キャです。では、陰キャの高校生活は苦しいのかというとそうでもない。勉強成績のプレッシャーもありましたが楽しかった。教員になってから様子を見ていると、おおむね陰キャは楽しそうで、陽キャは苦しそう、というのがざっくりした印象です。彼氏彼女をつくらないと仲間内のメンツに関わるとかバカみたい。一軍が学校に来なくなるというのもけっこうあるんです。今の陰キャも楽しくないとはとても思えない。中野ブロードウェイとか、地方ならブックオフとか行けばいいわけで。ギャルが泣きながらオールしてるなんて光景もあるわけで。

告白という装置
日本近代文学をたどると、自然主義というものにぶちあたります。夏目漱石で卒論を書いたので、違う方にいたけれど、やはり考えざるを得ない。近代的自我とか。告白という、近代文学では重要な概念があります。告白とは何か、簡単に言うと真実を露呈させる装置です。ここに本当のことがあらわれる。高校演劇でもこの告白を利用した脚本はおおいのではないでしょうか。しかし、はたしてほんとうに告白によって真実は露わにされるのでしょうか。小説の技法という観点で考えると告白によって真実っぽくなる、ということではないでしょうか。いわゆるリアリズムです。太宰治はこう告白します。わたしは嘘つきで、ずっと演技をしているのだ、と。筆者が最初に関東大会に出たときの創作脚本は『ACT!クレタ島の謎』で63分やっちゃったのですが、まさにこのメタ構造を主題にしていて、共愛の荒井先生に褒められました。(筆者は荒井先生と生徒に発見されました)

本当のことがあらわれる
本当のことを現出させる装置をつくるのが脚本です。それはもちろん真善美のどれでもよいのですが、じぶんの場合はだいたい真、ほんとうのことを現出させたい。しかしそれはなかなか難しい、というかやっかいなことです。人間はきほん、ほんとうのことは言わないからです。
ほんとうのことは台詞の中にあるのではなく、ここでほんとうのことがあらわれるだろうという舞台客席の思いが重なったところにあらわれる。台詞の言い方や、ましてや台詞の内容ではないのです。演劇はつぎつぎにあたらしい主題を開拓し、あたらしく生まれた社会のひずみを表現しようとします。どうやって共感されづらいことを共有するか。本当のこと、神聖なことがあらわれる装置をつくる必要があり、どうしても告白しなければならない状況をつくることが、真に迫った台詞を考えるよりしなければならないことのようです。

台詞のこと
では台詞をどうしようか。ある演劇部顧問の台詞についての考え方は明快でした。「長い台詞はどうでもよい、訳のわからないこと、短い台詞で大事なこと」これにはおおむね同意します。じぶんがこころがけていることは次のようなものです。「小難しいこと言わない、小洒落たこと言わない、うまいこと言わない」
もちろん、台詞で説明しないというのも大原則です。なるべく絵で見せるという原則を守ります。次の回で書こうと思いますが、言い方や口ぶりでキャラクターを表現するのもやめておきたい。ダサい?むしろ言わないことを考える方がよいのかもしれません。

言わないこと
台詞に限らずたたずまい、雰囲気、物腰にその人の人となりや生き方があらわれます。ぼくは成績が悪くてこんな底辺校に入学して、と悩んでいる生徒の口ぶりがそんな生徒が言わないことを言っているというのはよく見ます。それは一概に学力の高い生徒は理路整然としている、というわけではありません。偏差値の高い生徒の方が何言ってるかよくわからないことはよくあります。保身のいいわけから入ることが多く、話が長くなるからです。何言ってるかわからないから結論からしゃべって、と何度言ってもなぜ自分がそのように考えるに至ったかをしゃべらないと気が済まない。今非常勤で行っている学校(三校行ってますがそのうちの一校)の生徒は偏差値は高くありませんが、話は聞きやすい。短く簡潔、直截な物言いで、彼らの話を聞くのは心地よい。人物造形で台詞が請け負う部分というのは実はあまり大きくないと思っていますが、それでも果たして彼はそう言うのか、と思うことはよくあります。
誤解を生んでもよいので、思い切って言うと、高校生が登場したとき、その人はどんな高校に通っているのか、ということがわかった方がいいんじゃないかということです。曽我部マコト先生に『パヴァーヌ』という作品があります。地方都市の高校生、ただ学校の成績が悪いということでなく、学力が低い、そもそも学校の進学校でない、夢も持てない、その生活が何をどう語っているかによって生き生きと伝わってきます。一言の台詞というより言葉の紡ぎ方ということでしょうか。

次回キャラクターとなろう系について。

写真は『世界の謎ともうひとつ』2012年山梨県大会


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