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1.幻 2.愛 3.暴力 4.ドリー

1ヶ月間特に何も考えることなく過ごした。本が読めるのが嬉しくて原田康子の『挽歌』を読了し、借りてから時間がたってしまった『三体Ⅱ』を読み始めた。あたまはボヤケたままで何も考えてはいけないと命令されているような状態が続いた。
それでも何か摂取したい気持ちになって山岸凉子の漫画を2冊と茨木のり子の詩集と平安時代について書かれた本などを買ったりした。

一ヶ月前に発表した作品の記録映像が届いた。美しいのに驚いた。制作は険しかった。思考に溺れ、工程にまみれ、現実的な事務作業は一々人と関わらないといけなくて、深海から毎回必死に海面まで登って来ないとできないことばかりで疲れ果てていた。そして最後の方は深く潜るのをやめそうになりながらそれでも必死に沈んでいった。段々、潜れる距離が浅くなっていることを感じた。 感受性は消える。
現実的な働きは私の幻影を曇らせていった。顕在とはこういうことかと実感した。現実に持ってくるには社会を通らなければいけないから、いけないから。発表したあとも現実がこびりついて作品との距離感がわからなくなったからできる限り遠くに離した。

記録映像はそれらの現実的な働き総てが排除されているようで、良かった と心の底から安心した。
今回の作品は思いもよらなかったが、今思いかえせばラブレターであったということで間違いなさそうだ。私の淡い恋心は幻想を生み、その幻想からこれらが生まれた。
どんなにくだらなくとも、この愛に対する規則を作りそれを全身全霊で全うしたようにおもう。
それらを汲み取ってくれ、映像を残してくれた友人に深く感謝する。私は他人のことに口うるさい方ではないと思っていたけれど、もしかしたら何かとても重いものを相手の器の大きさ関係なく渡してしまっているのではないかと思った。とてつもない圧をかけているではないか。耐えられそうだから渡すね、耐えれなかったら消えてほしい、耐えられたらこれからもよろしくなんて調子でやってきた気がする。傲慢そのものだな。

暫くは細部に***を宿すことにする。成長もなければ衰退もないことに神経を注ぐことにしよう。
疲れたんだ。誰が何が欲しいかとか、誰が何を気にしているとか、誰が誰に愛されてないとか。


家の空気もいくら換気しても良くならなかったから庭や家周りの好き放題に生えきった草を剪定した。蚊がいたから蚊取り線香を買いに行った。蚊取り線香を焚くのはずっとためらっていた。夏の知らせはいくつになっても聞きたくない。
意を決して火を付けると、蚊取り線香の匂いが家を包み、その心地いい香りが、クーラーのない家で過ごす地獄の夏の記憶を連れてきた。
毎年夏、意識が朦朧としているのは本当は暑さによってではなくて蚊取り線香の焚きすぎではないのかと心の隅ではいつも思っている。

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