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【#101】人間味、政治力。。。情感渦巻く戦国時代から学ぶ!「戦国大名 失敗の研究」

従来、“組織の敗因"を説明するのによく使われてきたのが、「リーダーに問題あり」とするリーダー原因説であった。戦国時代で言えば、戦国大名個人の問題と断じてきたのである。それは一面の真実なのだが、では世に名将と謳われた者、圧倒的な権威者、有能な二世、将来を嘱望された重臣など、本来「敗れるはずのなかった者」が敗れたのは一体、なぜなのだろうか?

本書は、強大な戦国大名の“政治力"が失われていく過程を考察し、現代にも通じるリーダーが犯しがちな失敗の教訓を導き出す。
激動の時代に滅亡の道を歩み、天下を取れなかった理由がここにある!

この本のテーマは「政治力」です。
戦国大名をテーマにした本を過去に何冊か読んだことがありますが、従来、失敗の原因を戦国大名個人のリーダーシップや軍事的分析に基づいて論じる本が多かった気がします。
しかし、この本では大名を取り巻く人間関係やあまり歴史では語られることのない各人物の背景に焦点を当てて失敗の研究をしています。
その内容が本当に人間味があるというか、人間臭いんですね。
やはり人の感情を侮ることは出来ないなと改めて思わせてくれる内容になっています。
僕は今、組織に属して仕事をしているわけではありませんが、特に大きな組織の中で働いている方にはこの本に共感出来るポイントも多いのではないかと思います。

具体的に内容をみていきます。
5章構成でどのエピソードも面白いのですが、やはり歴史的にもインパクトの大きかった関ヶ原の合戦について書かれた章を紹介したいなと思います。
関ヶ原の合戦で有名なのは小早川秀秋の裏切りですよね。
あの裏切りが如何にして起こったか。
世の中的には保身に走った愚将という扱いを受けることも多い小早川秀秋ですが、この本を読むと印象がガラリと変わります。
そもそも、小早川秀秋は関ヶ原の合戦の時点で19歳です。
秀秋は元々、豊臣秀吉の養子でした。
子に恵まれぬ秀吉の養子として、次の時代の豊臣家の跡継ぎ候補だったんですね。
実際に豊臣姓を持っていたこともあり、老齢の秀吉の焦りから7歳という幼い時期に元服。
その頃から後の跡継ぎである秀秋に取り入ろうと全国の大名からの接待漬けで毎晩酒を飲まされていたと言います。
しかし、秀秋が11歳の時に後の跡継ぎである豊臣秀頼が誕生した事で再度小早川家に養子に出されるわけです。
豊臣の跡継ぎとしての立場でなくなった事から、それまで接待で群がっていた大名達は離れていきますが12歳にしてアルコール依存症だったと言います。
15歳の時に秀秋は豊臣の家臣として朝鮮出兵にも参加しています。
そこで、奮戦して手柄を立てたのですが、秀秋の評価が高まることを恐れた石田三成が秀吉に秀秋を陥れる為の報告をあげたことで秀吉にこっぴどく叱られ、52万石の領地を15万石まで減らされる命令を言い渡されます。
一連の事態が石田三成の報告によるものだと知った秀秋は大阪城内で「三成を出せ!!」と騒ぎ散らかし、出てきた三成に本気で斬りかかろうとしたといいます。
この事態を救ってくれたのが徳川家康です。
その場で秀秋をなだめて屋敷に連れて帰り、領土の件も秀吉に話を通してくれた事で52万石の領地の取り上げの件もうやむやになったとのことです。

皆さんが19歳の小早川秀秋なら、豊臣家と徳川家のどちら側につきますか?
もちろん、このエピソードだけを取り上げるのは公平さに欠けるかも知れません。
他にも考慮すべき点はあると思いますが、それを加味した上でも本当に小早川秀秋は「裏切り者」で「愚将」だったのでしょうか?

小早川秀秋の寝返りがなければ、今でも日本の首都は大阪にあったかも知れません。
そう考えると1人の人間の感情、立場や役割よりも人間関係や信頼関係を侮ることは出来ないですね。

上記のエピソードはこの本の中でもほんの一部に過ぎません。
関ヶ原の合戦について書かれている章の中だけでも、他にもたくさんの政治的な人間関係が絡んでいたことが分かります。

周りから見て理解に苦しむ様な判断をする人間も世の中には存在します。
でも、その判断に至るまでの背景まで覗いてみると、凄く人間味のある判断だなと思うかも知れません。
戦国大名を通して、その人間味を存分に味わってみて下さい。

ではまた!

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