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自分を愛することは他者を愛すること。

自分自身を正しく愛することは、けっきょく周りの人たちを愛することにつながります。

この世界の成り立ちは、出したものが返るからです。

そのために、正しく自分を愛する方法を知っていくことです。

自分を愛するとはどうやるのか。

わたしたちは、どこまでが自分だと思いますか?

自分の中のすべてが自分だと思いますか?

それを確かめる方法は、問いを立てることです。

わたしたちは生きている限り、絶えず感情や思考や欲求が沸き上がります。

だから、それらの一つ一つに、絶えず問うことです。

「これは本当に私が望んでいる事なのか?」と。

何かを行動しようとするときに、まず「本当にしたいと思っている事なのか?」と問い、そうだと感じれば行動に移す。

そうではない、もしくはわからないと感じたら実行しない。

それを繰り返すことから始めてみます。

慣れてくると、内的活動の一つ一つにも問いかけていきます。

思考が沸き上がったら「今考えていることは、本当に私が思いたいことなのか?」と問います。

実践してみたらわかると思いますが、ほとんどの答えはNOです。

だいたいの思考は、過去の焼き写しで、壊れたレコーダーが自動再生しているようなものです。

同じく感情や欲求も、沸き上がるたびに「この気持ちは私が本当に感じたいことなのか?」と問いかけてみましょう。

自分のものだと思っていた感情すら、誰かから学び取ったものだとわかります。

赤ちゃんの学習能力はすさまじいのです。周囲にあるものをすべて吸収します。

世話をしてくれる人のものは全身で取り込みます。

そして、その人に合わせて生き延びようとするのです。

これは生存本能からくるのですが、そうやって自分と他人の境界線があいまいにすることで、社会的存在として成熟していけばどうなるかというと。

そのままの価値観を譲り受けて繰り返すテープレコーダーになってしまいます。

それが幸せで、つらくないのであればよいのですが、たいていの場合、自己否定や自己卑下になっていきます。

周囲の人たちから受け取った価値観がそうさせるのです。

あいにく、今の社会は未熟なので。

みな、本来の自分を見失っているでしょう。

幼少期には、他人を模倣せざるを得なかったのですが、わたしたちはもうよい大人なので、自分自身を取り戻すことができます。

自己卑下などの否定的感情は、生存本能からいうと不必要なものだと気づいて、捨ててしまえばよいのです。

それは、生まれてから後付けされた社会的価値観だから。

だから、誰も自分をさげすむ必要はないのです。

そのために、自分自身と向き合い、どこまでが自分で、どこまでが他人かを明確にして境界線を引き、本来の姿に戻っていくこと。

そうすれば、現代社会の未熟な部分に気づいて、互いの自立へと育てていくことができるでしょう。

そのことが結果的に、社会の成熟を促し、他者の幸せにつながります。

自分自身を愛し、幸せにすることは、自分だけができることです。

いかに気づくかです。

自分を癒し幸せになれば、みんなが幸せになる。

人はやはりどこまでも、つながっていく存在なのです。

自分自身の幸福は、自分自身だけのものではない、とわかれば、よし、がんばろうって気持ちになりませんか。

ただ、自分に問いを立てる。それだけです。


文責:たまねぎP



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