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AIは社会も人の精神も肉体も変えて行く(その3、肉体の変化)

この記事は以前に投稿した
『AIは社会も人の精神も肉体も変えて行く』の追記部分の掲載です。

追記の投稿はここから始まります。

人類は猿の頭に電極を差しこんで、遠くにいるロボットに猿の脳波を送り、猿の動きとロボットの動きを同期させる実験に成功しているようです。

また、近い将来には私達の頭に脳チップを埋め込めばネットとつながって人はIQ200になるとか。

詳細はここをググって下さい↓↓↓

この様に人類は縄文の昔ヒスイを使って情報交換していた縄文人の行動と似たことを科学の力で成し遂げようとしています。

遺伝子操作や脳技術が発達したならば人間は超人になるのだろうか?と考えてしまいます。

ここで言うところの超人とは平和な社会を作るための能力を備えた超人です。

ですから、私は能力の一つとして嫉妬心のオン・オフの切替ができる超人をイメージしています。

遺伝子操作や脳技術が発達すればこんなことが出来るようになるのでしょうかね〜?

ところで、人の頭の脳力は下記の3つからなると言われています。

それは

IQ:知能指数
  → 人の知能レベルを
   数値化したもの
EQ:感情指数(心の知能指数)
  → 自分や他人の感情を感じ取り、
   自分の感情をコントロールする力を
   数値化したもの
CQ:文化指数(創造力指数)
  → 文化の違いを超えて
   コミュニケーションを図る能力を
   数値化したもの

です。

この3つの能力を遺伝子操作等で高める時代はいずれやってくるのでしょうね。

だけど、理性が高ければ幸福になれるのか?
と問われたならば私には疑問が残ります。

それは、理性が高くとも感情に押し流されて
能力を充分に発揮できずにいる方もおられるからです。

理性と感情のコントロールは人類永遠のテーマとなるのかも知れません。


話は変わりますが、
嫉妬心と言う不毛の感情は誰のDNAにも組み込まれていてこれからも残っていきます。

ただ嫉妬心DNAのスイッチのオン・オフの違いによって縄文人になったり弥生人(現代人も含む)になったりすると言うことです。

『嫉妬心DNAのスイッチのオン・オフ』について、詳しくはこちらに書いています。よろしければごらんください。

るまた、脳科学の進歩によって現代人のDNAから嫉妬心を取り除くことができたとしても、縄文人にはなれないと考えています。

と言うのは、取り除くと無感情な人間になるからです。もはや人では無くなります。

嫉妬心と言う気持は分かるけれど、嫉妬心は湧かない。こんな心のコントロールが苦労なく出来ること。これがオン・オフの持ち味で人間らしさです。

はたして人の心の中に『嫉妬心は分かるけれど、嫉妬心は湧かない』ってことはあるのでしょうか?

これは一見矛盾している様に感じられるのですが、パラドックスとなっています。

何故ここに矛盾がないと言えるのでしょうか?

それは、チャクラと人の感情との関連性で、ある所のチャクラが開いておればある感情をコントロール出来ると言う事実です。

以下、その事について述べて行きます。

チャクラは人の体に1番から7番まであって、この内の6番は眉間の所で未来を見通す力、7番は天と繋がる力、ですので感情とは無関係なチャクラです。

残る1番から5番が身体をコントロールするチャクラとなります。

こな内の1番は会陰部にあって生殖に関わるチャクラ、5番は喉元にあって言葉を発するチャクラで、この2つも感情とは無関係なチャクラとなります。

したがって、残る2番から4番が感情をコントロールするチャクラとなります。

人は喜怒哀楽を楽しむと言いますが、この内の楽を取り除いた喜・怒・哀が2番から4番に当たります。

具体的には
●2番は
臍下の丹田付近にあって、感情の哀をコントロールします。腸が弱ると寂しさが増加してきます。

ですから、ここが開いている人は寂しさに強いばかりてはなく、他人の寂しさを理解出来るので、他人に優しくなれます。

●3番は
溝内付近にあって、感情の怒をコントロールします。胃が弱ると怒りが込み上げて来ます。

ですから、ここが開いている人は怒りが爆発することは滅多にありません。人と接する場合も感情的にはなりません。

●4番は
喉と乳首の三角形の真ん中当たり(胸)にあって、喜をコントロールします。肺や心臓が弱ると暗くて憂鬱となります。

ですから、ここが開いていると明るく毎日を過ごす事ができます。

この様にチャクラが開けば感情のあり方が変わります。

その上で更なる高見を目指すために私達が望むところは地球さんの波動上昇の力を借りながら6番・7番のチャクラを開くことです。

もし開くことが出来たら上位のチャクラですので、今とは違った世界を迎えることとなります。

その時に私達は脳チップを捨てて科学とは無縁の新しい領域に入ることとなるのでしょうか?

それとも、私達は脳チップを自分のものとして理性と感情の狭間でゆれ動きながら新人類へと進歩して行くこととなるのでしょうか?

はたまた、私達は脳チップもチャクラも自分のものとして縄文人を越える平和な未来を築くこととなるのでしょうか?

神のみぞ知るであります。

最後まで読んで頂いて、
ありがとうございます。


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