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アフレコレポ漫画という声優を擬人化するジャンルに救われてた話

(画像はアニメディア2017年1月号)

※このnoteは全文無料で読めます。

誰かを本気で好きになったことがない。こう書くと個人間の色恋の話に聞こえてしまうだろうか。違う。一対多、ファンと有名人という関係においてだ。昔からずっと、「推し」を作ることに失敗してきた。

中高生の頃にオタクとしての自我を持ってから、本格的に色んなアニメを観始めた。そこから、当たり前のように制作サイドにも興味を持つようになる。特に声優に目を向けたのは、当時は「アニメブームではなく声優ブーム」と庵野秀明が言うくらい声優の露出が増えつつあった時期だから、まあ自然な流れなんだろう。

あの頃声優を追っかけるというと、まずアニラジを聴くことだったと思う。私もアニメに出演したり主題歌を歌ってたりで気になった声優がパーソナリティーをやってるラジオがあったら、とりあえず聴いてみた。

……でも、ダメだった。彼あるいは彼女の人格が前面に押し出されてるとその分だけ引いてしまって、すぐ聴くのをやめてしまった。

思えばアニメにハマる以前、音楽番組で好きな歌手を見かけたりしてもそこに楽しさを見出だせなかった。だからこれは、声優という職業が裏方に徹するべきだとか、演じるキャラとの間にギャップがあるからとか、そういうことに起因するものではない。また作品が楽しければそれでいい制作サイドについて興味はないという態度とも異なる。

私は声優について知りたかった。演者として、ひょっとしたらアイドルとして。

なのに生の「人間」に拒否反応が出てしまっていた。人間嫌いというわけではないと思うんだけど(コミュ障ではある)、ファンと推しという関係において生身の対象に入れあげられない。多分、根っこのところで適性がなかった。

そんな私が好んでいたのが、アニメ雑誌などに載っていた(原作つきアニメの場合、その原作が連載されてる雑誌に載ることも)アフレコレポ漫画。声優がアニメに声を吹き込む現場の様子を漫画にしたものだ。この手の漫画がいつからあるのかは知らないが、昔はファンが直接アフレコ見学にやってくるなんてのも珍しくなかったそうで、それらの代替としての側面もあっただろうか。

誌上ではことさら強いコンテンツというわけではないだろう。しかしモノクロページの下半分にちょこんと載ってるような、あの手の漫画を私は楽しみにしていた。

漫画内での声優の描かれ方は、

声優が演じているキャラクターをアバターとして描くもの
声優自身を描くもの

の二つに大別される。あとは声優がキャラのコスプレをしてるようなパターンもあったかな? ロボットものだと搭乗機のパーツを鎧みたいに着けてたりとか。私は基本的には声優自身の姿を描いてるものが好きだった。というか、そうでないと意味がないくらいに思ってた。

それでいて私は、作者によるデフォルメが効いてるものを好んだ。このデフォルメというのが重要で。生の声優を直接見せるのではなく、彼らを取材した作者というワンクッションを置いてるのが明らかになることで、現実をモデルにしたフィクションとして楽しめた。安心して声優に対する興味を満足させられた。

漫画内で描かれるアフレコ現場という密室特有の雰囲気、声優同士の関係性。現役高校生声優が制服で現場に来たといった類いのエピソード。そういったものに憧れた。

恐らく、ライトノベルのあとがきなどで作者により演出された「作者」というキャラクターを好きになるのと同じことなのだろう。さっき話に出た庵野監督も、本人はともかく奥さんが彼との家族生活を綴った「監督不行届」は面白かった。

擬人化モノというジャンルがある。元々オタクタームとしてではない「擬人化」というのはあくまで比喩、人間以外のものを人に喩えることで対象への理解を助けるというものだった(だから外見が人の姿をしてるかどうかっていうのはさして重要ではない)。アフレコレポ漫画というのも、私にとってそのままでは受け入れにくい生の声優という存在を、漫画を媒介に理解させてくれる、一種の擬人化だと解釈している。この辺り自分でもうまく整理できていないのだけど、生の声優は漫画の登場人物レベルまで情報量を落として、初めて人(キャラクター)として理解しうる、というか。

ここまで生身の声優:漫画作者というフィルターを通したフィクション、という風に対比してきた。現実はそこまで単純ではない。人は普段から他人に見られたい自分を無意識に演じてるし、ラジオなどの公の場ならばなおさらだろう。ある意味ではこれらもまたフィクションではある。台本あるし。

でも私は多分、虚構としての強度をもう一段階上げないとダメだったんだな。

その内気づくわよ、声ヲタになるってことは、近づいたり離れたりをくり返してお互いがあまり傷付かずに済む距離を見つけ出すってことに」私はアフレコレポ漫画に声優との適切な距離を見いだした。……はずだった。

近年はアニメ声優系のイベントが昔以上に頻繁に開催されている(イベント直後にTwitterを検索すると結構な確率でレポ漫画をあげてくれる人がいる。ありがたいことです)。私も2015年のアイマス西武ドームを皮切りに、ぼちぼち色んなところに足を運ぶようになった。転じて、ここ一年はリアルアイドル現場にもたまに顔を出している。先日はTOKYO IDOL FESTIVAL にも連れていってもらった。

今までゆってきたことと違うじゃねーか生の推しはダメじゃなかったんかと思うかもしれない。でも多分私にとってこの手のイベントの楽しさは「現場」の雰囲気に依って立つ部分が大きくて。だからその人たちのパーソナリティーが好ましいから通ってる、というわけではない気がする。それでも生身に対する苦手意識は昔に比べて随分薄れたと思うけど。在宅オタクと現場系オタク、という括りともまたちょっと違う。

イベントは面白い。ライブでのコール&レスポンスも光る棒を振るのも、チェキ会などの「接触」も緊張するけど楽しい。でも性格やら何やらも含めて一心に推せる生身の誰かはいない。推しよりもむしろ推しを応援するオタクたちにこそ幸せになってほしいまである。「推し」がいる人への羨望と尊敬とコンプレックス。こういった気持ちは、イベントを楽しめば楽しむほど膨れ上がってきている。

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