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キャラAからキャラBへの固定された呼称について


二次創作でやってはいけない「呼称間違い」


二次創作でやってはいけないことに「キャラAからキャラBへの呼称を間違える」がある。

どんなに絵柄が原作からかけ離れてようとキャラがひどい目に遭おうと受け攻めが解釈違いだろうと許容する人が、呼び方を間違えた途端般若と化し、「原作エアプかよ」と侮蔑を露わにする(誇張表現)。

実際には何かの意図があってのことなのかも。でもそんなの書いた人以外には分からない。原作で馴染んだ呼称をなんの理由もなく(とユーザーからは映る)変えることは二次創作では許されない。一次創作でもあんまし推奨されていないように感じる。

でも現実では……?


現実は違う。
君付け呼び捨てあだ名。他人への二人称三人称は、職場の上司など上下が大切な間柄や、ネットの知り合いなど特定の呼称しか知らない対人関係を除けば、結構フレキシブルに変わる。

TPOに合わせたりあえて呼び方を変えてみることで何らかの意味を持たせたり、といった場合もあるだろう。でも、特に理由なく口をついて出てくるのも珍しくない。

キャラクターの同一性を担保するルール


それなら、フィクションの中でキャラAからキャラBへの呼び方が無意味に変わった時、私たちが違和感を覚えるのはなんでか。きっとそのキャラクターをキャラクター足らしめているものの一つが呼称だからじゃなかろうか。

現実では、見知った人に普段とは違う呼び方で呼ばれても、その人がその人であることを疑ったりはしない。疑えなくはないけど難しい。目の前にいる、会話できる、その気になれば触れられる。ただそれだけの圧倒的な実在感が邪魔をする。

フィクションではそうはいかない。それまでA氏だと思って読み進めてきた登場人物が次の一行でB氏に、容易に変わりうる。小説にしろ絵にしろ、彼らの拠って立つ世界は我々のそれと比べ確固たるものとは言い難い。原作者以外が書いた二次創作では尚更だ。原作で書かれた彼と二次創作の彼の同一性を担保するものがない。

そこをなんとか「こいつはあのキャラですよ」「こいつらは確かにここにいますよ」とユーザーに納得させるルール……キャラクターの一貫性、と呼ばれるアレの最たるものが呼称の統一なんだと思う。

キャラクターは呼び合う。私たちはそれを模倣する


キッズアニメには「キャラを早く覚えてもらうため隙あらば名前を呼ばせる」演出技法が存在する。そうどこかで聞いた。

復唱は記憶術の基本だけど、私たちは劇中のキャラクターに向かって呼びかけられない。呼びかけても返事が帰ってこない。その分(?)同じ次元にいるキャラクターが名前を呼ぶ。何度でも、何度でも、同じ呼び方で。やがて、それを刷り込まれたユーザーは真似して同じ呼称で呼ぶようになる。またその呼び方を用いるキャラはそれ自体がキャラクターの特徴して認知されるようになる。

そういったルールが暗黙の了解として存在するからこそ、無意味にそのルールを破られると違和感が強いんじゃないか。

でもそれってキャラクターの存在感をより高めるためのルールでしかないとも言えるわけで。別に他の手段で同一性を確保できてるなら、無意味に呼称を変えてもいいんじゃとは思うけど……うーん、自分が実際そういうのに遭遇してみると、一次ならともかく二次だとやっぱり違和感のほうが強く出ちゃうかもな。弱いオタクなので。せめてあんまし強く批判するのはやめとこう、くらいで。

※画像は藤崎竜「封神演義」第13話より。

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