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緑人間の一人ご飯

食事は心の栄養


人口爆発による食糧危機を経験した人類は人体に直接葉緑素を埋め込み光合成によるエネルギー補給を可能にした。その結果生まれた緑人間は食事の必要性がさがり、安価な労働力として重宝されるようになった。
その緑人間にも当たり前だが人権はある。
私は今日は仕事を休んでローカル線を乗り継いで一人旅だ。車窓に映る潮騒は普段にはない景色で、軽い冒険心を掻き立ててくれた。
目的地に着いたので駅の周りを散策していた。
のんびり日当たりの良い場所ですごそうと思っていたのだが、あいにくの雨模様で光合成はできそうにない。そんな時、私に声をかける人がいた。地元の食堂のおばちゃんだ。緑人間は基本的に食事を必要としない。このおばちゃんはあまり緑人間と接する機会がないのだろう。客にならないような自分が入ってもいいものだろうか、と逡巡している間にすでに私は食堂の席は座らされていた。適当な海鮮丼を注文して、しばし待つ。この海鮮丼が当たりだった。
私はふと目の前の丼から顔を上げた。このような食事を取るのはいつ以来だろうか?光合成では得られない、食欲を掻き立てる匂い、新鮮な魚介類の肉厚な食感。魚のアラで出汁を取った味噌汁で白米を流し込む。魚の油で口を火傷しつつ、それでもなお美味しさのほうが優った。
「いくら光合成できるからって、たまにはちゃんとした飯食わないと力出ないだろう。」
おばちゃんはそう言ってお茶を出してくれた。
「いいんですか?緑人間に優しくして。」
緑人間は単純労働力としての側面が強く広告され、忌避感を抱かれることも少なくない。
「うちの飯を美味そうに食ってるやつに緑もなにもないよ。」
そう、美味かった。数ヶ月ぶりの固形食だ。そのことに感動を覚えていた。緑人間になって以来、食事をとる必要がなくなった。それでも食事を楽しむ感性は残っていたのだ。あらの味噌汁を啜りながらテレビの音を聞き流す。

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