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「推し切った」と言える自分は来るのか?

2019年4月28日、平成アイドルの頂点に立った指原莉乃がHKT48の卒業コンサートを行った。幸いにも現場に行くことが出来、平成最後のトップアイドルの卒業を見届けることが出来た。

そんな中、ネットなどで「推し切ったからヲタ卒する」という言葉を聞いた。

「押し出し」でもなければ「寄り切り」でもない(ここ笑うところ)。「推し切る」ということは果たしてなんだろうと、特にあの日以来頭の中を駆け巡っている。

過去推しメンが何人もアイドルを卒業してきた。幸いにも「やらかし」で卒業した推しはいない。卒業した推しメンたちは芸能界に残る人もいれば、一般人になる人もいる。
しかし自分の中で共通しているのは「もっと推せたかも」という後悔に近い感情だ。「なんでもっと早く推せなかったのか」「無理してでもコンサート行けばよかった」「握手券買い増ししておきばよかった」ということを思ってしまう。

そんな自分が「推しきった」ということを勝手に理解するとしたら、スポーツに於いて敗者が語る「悔いは無いです」というのと同じ心境なのかもと漠然と思う節がある。だが一方で「え?本当にそう思っているの??」って意地悪な質問を投げかけたくなる。

今持っている仮説はこうだ。
1:恐らくやりきったというまで自分を追い込んでない。
2:そもそも後悔をする体質だから仕方ない。

上述した指原莉乃が所属していと同じHKT48に、AKB48から移籍してきた多田愛佳が、僕が推していた後藤泉の卒業の際にSNSで記した言葉が今も響く。

「私たちは、一応会いに行けるアイドルです。でも、卒業します。卒業したら会えなくなります。会いに行こうか迷っていたら、会いに来てください。もし私がファンだったら、悩んでるうちに卒業されて会えなくなるのは、悔いが残ります。もう会わなくてもいいや!って思うほど会いに来てください。」(「755」多田愛佳 2015年10月1日投稿より抜粋)

「会いに来いってどうせ営業だ」という人もいるだろう。でも多くのアイドルファンにこの言葉が響いているのは事実だ。そして、多くのアイドルファンは多かれ少なかれ何らかの後悔をしてきていると確信している。

もう一つあるのは推していたアイドルがアイドルという職業を全うしたかということだろう。一部のアイドルは不祥事(その多くは恋愛絡み)で卒業をしていく。「アイドルだって年頃の女の子だから恋愛して何が悪い」という話も聞くが、華やかなステージでスポットライトを浴びて応援してもらうということを選択したら、何かを捨てなければいけない。それが一般的な学生生活や恋愛であり、その対価としてスポットライトを浴びれると個人的に考えている。
例えば、公認会計士が財務状況をしってその会社の株を売ったり買ったりしてしまうと罰せられる。これは法律だが、アイドルという職業はそれが不文律としてあるのではないか。

「推しきってよかった」というのは、ファンとアイドルの双方によって出てくる言葉なのだろう。

果たして「推しきった!」と言える日が来るのか。逆にそれを感じないから次の推しメンを作ってしまうのかも知れないが。


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