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「東大卒、農家の右腕」を右腕にする

「残念だな……」と思う。

山陰の山間部にある、知り合いがオーナーをつとめる会社のことだ。テレビなどメディアに取り上げられることが多く、傍目には先進的な企業のように見えるが、内情は2年ほど前からかなり厳しくなっている。

1年ほど前からは経営改善のプロを入れ、週に2日、スタッフの一人として働いてもらいながら状況の打開に取り組んできた。大口の契約を取るなど結構な成果ももたらしたが、オーナーは感謝を口にすることはなかった。そして先日、その人を辞めさせた。

「何を言っても聞く耳を持ってくれなかった」とその人は話していた。同じ言葉は、それまでにほかのスタッフからもよく聞いていた。アイデアを出しても、「なにも分かってない。俺の言うことだけやればいい」と一蹴されると。

そういう話を聞くたびに思う。「残念だな……」と。そんな会社にしたくて事業を始める人はいない。じゃあ、何がそうさせるのだろうか?経営者としてのプライド、プレッシャー、責任感、そして孤独。。。それらが人を傲慢にさせるのだろうか。そんな環境では、誰一人幸せになれないのに。

経営者と、スタッフ。その間には、厚い壁がある。無自覚のうちに築かれる壁。気付いたときには、もう簡単に乗り越えることも、叩き壊すこともできないほど高く、強固になっている。

ところが、この本にあるのはまったく違う事例だった。

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著者の佐川さんは、「なにも分かってないど素人」からスタートして、全面的な経営改革を任されるまでになった。しかも、そこは三代も続く梨農家。経験の差がそのまま発言権の強さとなるような一次産業の世界だ。

タイトルだけ見ると、「東大卒だからだろう」「もともとスペックが違うから」と思うかもしれない。確かに、それはあるだろう。「課題を見つけ、仮説を立て、実行し、見直し、また課題を見つけて……」という徹底した改善サイクルの回し方などは、客観性と知力、分析力などが伴わないと結果を生み出せない。

泥まみれ、汗まみれの「必死さ」

でも、決してそれだけじゃない。もっと、ずっと人間くさく、泥臭いものがここにはある。

そもそも、佐川さんはコンサルタントとして「阿部梨園」(栃木県宇都宮市)に入ったのではなかった。4カ月間、無給のインターンとして働き始めたのだ。インターンといっても、農業経験を積むことを目指していたわけでもない。エリート社員として入社した企業で挫折。うつの苦しみを味わい、そこから社会復帰するための、いわばリハビリとして腰掛け的にスタートしたに過ぎないのだ。

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その佐川さんが、いまは阿部梨園だけでなく、同業者、さらには農業界全体にまで影響を与える存在になっている。その根本にあるのは学歴ではない。汗と涙と泥にまみれた「必死さ」だ。

生活面も、その日暮らしで糊口をしのぐ程度はできても、子育てや老後を考えるとマイナスと言ってもいい状況でした。十分な蓄えを携えて高収入な仕事を辞め、安全なリードを確保した上で好きなことを新しく始めるエリート起業家とはわけが違います。

そうした「必死さ」から、佐川さんはすべての仕事を「自分ごと」として取り組むようになっていく。

インターンを少しでも実りの多いもの、学びの多いものにしようと、経営課題の洗い出しに着手。100件もの改善プランを提案し、4ヶ月の期間内にひとつずつ徹底的に実行したのだ。

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その実績を携えて、インターン終了後には同園のマネージャーとして就職。改善し、結果を出さなければダイレクトに自分の給料に響く。そういう環境下で、佐川さんは「自分ごと」の深度をさらに深めていく。結果にかかわらず当初の契約金だけはがっぽりと手にするコンサルとは、当然ながら自分自身を懸ける度合いというか、肚のくくり方がまったく違うのだ。

自分ごとの深度×オーナーの器➔壁の向こう

ここで忘れてはいけないのが、オーナーの阿部さんの存在だ。実は、この阿部さんの成長意欲というか、梨園を、そして従業員を愛する気持ちが、佐川さんの能力を十全に引き出す基盤となっているのだ。

「今までの俺を捨てて、佐川くんの言うことを全部受け入れる」

阿部さんにここまで言わせるほどの仕事をした佐川さんもすごいが、これほどの器を兼ね備えたオーナーも珍しい。

どれほど優秀なスタッフが揃ったとしても、そしていくら素晴しい改善案を提案したとしても、オーナーが受け入れなければなにも進まない。すべては無に帰してしまう。たとえ頭の冴えた社員が100人いたとしても、オーナーが耳を傾けなければ、その組織は1人分の小さな脳みそだけで動くことになる。

そして、これがほとんどの組織で起きていることなのだ。どん詰まりになるのも無理はない。

でも、阿部さんは違った。意見を聞き入れ、改善し続けた。

実際、ナイフで刺すような発言をしたことも一度や二度ではないと思います。そういった発言も「よりよい農園になるため」という至上命題に立ち返って阿部に受け入れてもらったからこそ、今の阿部梨園があります。

自分ごととして必死で関わり続けるスタッフと、組織のためにプライドを捨て、スタッフの言葉に真剣に耳を傾けるオーナー。

言葉にするとシンプルな理想論のように聞えるかもしれないが、この本に記録されているのはすべて実践、失敗、検証、改善を繰り返しながら歩き続けた、泥まみれ、汗まみれの農家の足跡ばかりだ。

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そして、この記録は農家に限らずあらゆる組織やチームにも活かせる普遍性に満ちている。有難いことに、本書ではそれらを分かりやすくまとめてくれてもいる。

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ここには、最近はやりの「誰でも」「簡単に」「すぐに」成功したり、有名なメンターと繋がって次元上昇したりといった内容は、当然ながらひとつとして載っていない。

だけど、固い地面のなかに少しずつ根を伸ばしていくような小さな取り組みをひとつずつ「自分ごと」として実践し、「必死」になって一歩ずつ進んでいったとしたら、歩みは遅くとも間違いなく「壁の向こう」に辿りける。本書は、そのことを身をもって証明した生身のアーカイブだ。

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……で、、、自分は何から取り組もう。僕は農家ではないけれど、ここに書かれている改善案のほぼすべてが必要なのは明らかだ(汗)。まずは、自分という壁をコツコツ超えていくしかない。知り合いの会社のことなど、偉そうにあれこれ言える立場じゃないのだ。

読んで終わり。じゃまったく無意味。この本は日々「自分ごと」にして、初めて「右腕」になるのだ。



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