見出し画像

アドミュージアム東京に行って学びになったこと箇条書き



所在地
東京都港区東新橋 1-8-2 カレッタ汐留

開館時間
火曜日~土曜日 11:00~18:00 ※当面の間は12:00〜18:00

休館日
日曜・月曜

入館料
無料

越後屋 三井1673
マーケティングのスタートは三井によって始まったとしてる学者もいる
引札=チラシ
力士入りの引札があった
傘に越後屋とかいてあるものを雨天時には貸し出した

最大の娯楽が歌舞伎だった時代に色んな広告手法が編み出された
歌舞伎役者と広告会社のつながりは強い??
歌舞伎演目の幕間に歯磨き粉の宣伝とかしてた
人気役者が身につけていた持ち物とかが流行を生んでいた

吉原の発展も広告が関係
吉原のガイドブックは年2回発行人気ランキングとか料金とか記されてあった
歌川広重とかの錦絵が広告塔だった

手頃な娯楽だったすごろくに商品や人物を入れ込みブランド力を上げた、景品としてすごろくが配られていたりした
木版印刷の発展で広告がぐんと発展した
江戸の吉原、京の島原、伊勢の古市

広告の仕掛け人
平賀源内、山東京伝、式亭三馬、十返舎一九、蔦屋重三郎

明治時代の広告
博覧会の登場、博覧会は広告の一部だったなそういえば
広告が載った太鼓を鳴らして歩く広告楽器隊がいた
博覧会、第一回内国勧業博覧会浅草で、入場者45万人
第二回は上野公園で開催、会期中は82万人参加
東京豪商すごろく→振り出し為替会社、上がり第一国立銀行。三菱、三井、大丸、日日新聞

新聞から広告という言葉は生まれた
それまでは、ひろめと呼ばれてた
福沢諭吉が新聞の重要性は啓発、今の形になった
横浜中川屋、日本に洋食を広げる先駆者
チラシは金払ってないから読まないけど新聞はもったいない精神から読むから重要

薬と紙巻きタバコの広告は注目だった
1935年の味の素のポスターには京城、台北、上海、奉天の地名も入っていた
仁丹の広告が一大ムーブメントだった
朗らかな表情で土下座してるみたいなマゲの子供の人形の名前は福助人形

大正時代に写真が入ってきてますます技巧的に
杉浦非水、片岡敏朗、岸本水府というスタークリエイター誕生
杉浦非水→三越のぞくたくしゃいん、アールヌーボー
片岡敏朗→初のヌードポスター、ドイツの世界ポスター展で一位
岸本水府→漫画、コマ割り広告
寿屋→サントリー

1916年和装から洋装への移行期に打ち出した資生堂の広告はうまい
広告界という雑誌が1926年に出され広告デザインの水準が上がった松本清張は広告界をみて学んだ

満州事変あたりから広告は戦争推進のプロパガンダに
鼓舞広告や節約しろ広告
広告技術のボランティア団体がプロパガンダになってた
太平洋戦争の開幕直後の勝利を描いた映画は円谷英二が特撮監督担当
大政翼賛会は戦争時の主軸政党??

敗戦後の娯楽は映画
ガレキに落書きがメディアに、なったりもした
映画スターが誕生
1947年に電通広告賞創設。広告のレベルアップにつながる

1951年ラジオ登場で広告が一段と発展
1953年にテレビ登場
1959年の皇太子ご成婚を契機にテレビが普及
民間ラジオは無料で聴けるから良い広告塔だった

東京オリンピックはオリンピックのエンブレムがつくられた最初の大会
ポスターに写真が使われたのも最初

公害や交通事故の多発で高度成長の矛盾を感じてる時に大阪万博開催、モノの豊かさより心の豊かさにシフトしていった

バブル崩壊後節約志向エコ志向な広告が増える

インターネットの登場で消費者は企業の思惑を超えて商品やサービスを自由に楽しむようになった


感想
事前予約制でひと枠50分だったのでそれでは絶対足りない内容でした笑
テキストもそれなりに多く、空間デザインもちゃんとクリエイティブでさすが電通でした。
時間制限なしでゆっくり見れる時にまた行きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?