16.07.2024 - 17.07 ゲッティンゲン訪問記 2.

 学生の少ない時期のゲッティンゲンは静かで、夜も11時ごろまでは外から喧騒が聞こえてくるが、日付が変わる頃になると、あたりはひっそりと静まり返ってその静寂で逆に眠れないくらいだ。一人でダブルベッドを広々と使っていたのに、あまりよく眠れなかった。

 翌朝はビュッフェ形式の朝食で、会場はアンティーク調のシャンデリアやカーテンで統一されていた。メニューは各種パン、ヨーグルト、チーズ、ハム、サラダなど一般的なドイツ朝食の顔ぶれ。朝からパンを食べると胃もたれするので、消化に良さそうなライ麦パンを中心に、野菜やチーズをあわせていただく。生ハムメロンもあったので興味本位で食べてみると、ハムの塩味とメロンの甘味のバランスが良く、あっという間に3切れほど平らげてしまった。レストランの従業員の方の息子と思しき小さな男の子が会場を元気に走り回っており、たまにお母さんに走らないの!という感じで連れて行かれるのだが、ホテルのような環境でも自由に子供を連れてきて仕事ができるのは融通が利いていいなと思った。一通り朝食をいただき、コーヒーを2杯飲んで会場を後にした。

 今日はもう宿には戻らず、カルチャーコレクションの見学後はそのままテュービンゲンに帰る予定だ。チェックアウトを済まし、昨日街を案内してくれたポスドク夫妻が今日もホテルまで出迎えに来てくれたので、一緒にカルチャーコレクションへと出勤する。
 ゲッティンゲン大学のカルチャーコレクション(Sammlung von Algenkulturen; SAG)は、微細藻類培養のパイオニアである E. G. プリングスハイム、彼の共同研究者であるヴィクトル・ツルダ、フェリックス・マインクスがプラハのドイツ大学で最初の培養株を分離したことに端を発するらしい。第二次世界大戦中、ケンブリッジ大学で過ごしていたプリングスハイムが1953年にドイツに戻り、今のSAGが始まったというわけだ。72歳でドイツに戻ってきてからの17年間でSAGの礎を築いたわけなので、その晩年の精力的な活動には驚かされる。SAGはゲッティンゲン大学の植物学部門の藻類学分野所属なので、その建物は植物園の中に位置している。前日の夕方、表通りから建物を正面から既に眺めていたが、東京にいた頃に通っていた大学の建物と同じくらいの時代感を感じ、親近感を覚えた。

 植物園を抜けてSAGの建物に入ると、中はまさに1920-30年代に築かれた建物という雰囲気で、狭い通路や階段が良い味わいを醸し出している。新しくて綺麗な建物よりも、古いが長く大事に使われてきた建物に安心感を覚えるので、早くもこの空間に親しみを覚え始めていた。まずは主任キュレーターの方と館長の先生に挨拶。やはり彼らも僕のボスや日本の研究者と知り合いらしく、自分がこの界隈に入る前から脈々と受け継がれてきた人脈を感じる。SAGも本当はもっと設備を増強したり建物の改築を行ったりしたいようだが、資金的になかなか厳しいようである。マイナーな生物を扱っている研究者の悲哀は、どこの国でもそう変わらないのかもしれない。

 主任キュレーターの方に連れられ、館内を案内してもらう。他のスタッフの方も数名ご紹介いただき、いよいよメインの培養室へ向かう。茨城県つくば市にある国立環境研の培養室のような巨大なものをイメージしていたが、こちらはもっと小規模だった。国立の研究所と大学に付属している一培養施設という違いはあるが、日本にいながらもSAGの名前はよく知っていたので、その規模の小ささには少し驚いた。プリングスハイムが確立した株で未だに受け継がれているものも多くあり、それらが壁一面にびっしりと立てかけられている。培養に用いているのはほぼガラス試験管で、蓋はプラスチックのものはほぼ見当たらず、乾燥を防ぐ特殊な紙をゴムバンドで巻いたものと、よく見るピンクのゴム栓を使っているようだ。緑藻が多いが、シアノバクテリアや一部紅藻がいるのも確認できた。主任キュレーターの方によると、プリングスハイムが大戦中にイギリスに避難している際、この人もその名の通り微細藻類研究界の「スター」であり、今僕が研究している藻類の名前の由来でもある R. C. Starr と出会っていたようだ。僕自身、導かれるようにしてゲッティンゲンに足を運んだが、この運命的な繋がりに畏怖の念を覚えざるを得ない。メイン培養室以外にもいくつかストック培養室があり、それらも見せてもらった。確かに全体的に施設は古くはなっているが、藻類を愛するスタッフの方々によってよく手入れされている研究所だなと感じた。

 お昼になり、大学の食堂に連れて行ってくれるとのことで、主任キュレーターの方とポスドク夫妻と僕の4人でランチをすることに。ちょうど試験が終わったのか、昨日とは打って変わって食堂は学生でごった返していた。入口の掲示板でメニューを見てみると、どうやらヴィーガンメニューが多い。そうではないメニューはあまりバリエーションがないようで、昨日で既に飽きていたが、鶏肉のシュニッツェルを食べることにした。ドイツでは一枚肉を食べたくなければ、ヴィーガンになるしかないのかもしれない。そのくらい選択肢が限られているのだ。付け合わせのサラダとポテト(この組み合わせも昨日と同じ)を取り、席に座って食事を楽しむことにする。食事中は、研究や研究界隈のことについて他愛もない話をしながら過ごす。聞いている限りでは、藻類研究者の悩みはどこでもそう変わらない様子だった。

 食事を終えてSAGに戻り、まだ案内してもらっていない部屋に連れて行ってもらう。培養インキュベーターには、元々ワインの保存に使うものを藻類培養用として使っているものがあるという。確かに、よく見るとロゴにブドウのマークが描かれている。この会社は味を占めて、今では研究専用のより高額なインキュベーターを販売するようになったらしい。食品とバイオが切っても切り離せない関係なのは、ドイツでも変わらないようだ。他にも、現在進行中の実験やプリングスハイム直筆の手記などの貴重な資料も見せてもらい、大満足の滞在となった。詳細はあまり書けないが、「お土産」もいただいてしまった。ドイツ藻類学者たちの集まりが来年ゲッティンゲンであるようなので、再会を願いつつ、SAGを後にした。

 帰りの電車までまだ少し時間があるので、気になっていたゲッティンゲン駅近くの市民墓地に行ってみることにした。ここには数多くの科学者が眠っており、かのマックス・プランクの墓もあるらしい。SAGから駅前に出てそのまま南に進み、そこから西に大通り沿いを歩いて線路を越える。30分ほどで、広大な市民墓地に到着した。
 何を隠そう、僕は墓好きなので、こういう外国の広大な墓地などはとてもテンションが上がる。墓の静かな雰囲気が好きだし、墓石も各々意匠が異なっていて、身近な歴史的建造物とも言えるので、見ているだけで楽しい。墓地の南端中央部には、この墓地に埋葬されている科学者(特にノーベル賞受賞者)がご丁寧に説明されているモニュメントがあり、地図を見るとどこに誰が埋葬されているかがわかるようになっている。モニュメントの近くに多くの偉人が眠っているので、回るのはそんなに大変ではなさそうだが、数人飛び地にいらっしゃるので、なんとなく回れるところだけを見て回った。マックス・プランクはモニュメントに近い組だったので、軽く手を合わせることができた。あまりに広大な墓地なので、全体の半分ほどだけ見て回り、駅へ戻ることにした。墓地ではあるが緑たっぷりの公園でもあり、ゆっくり散歩するだけでも落ち着いた気持ちになれた。

 駅へ戻ってきて、帰りのICEの前に、バーガーキングのワッパーJr. で腹ごしらえすることにした。行きが定刻だったので油断していが、帰りは安定の遅延だ。40分ほどの遅延ということで、ホームでのんびりと待つことにした。到着予定時刻になっても、線路に入線してこないので訝しんでいると、同じICEを待っていたと思われる青年にこっちの電車だよ!と声をかけられる。なるほど、しれっと到着番線が変わっていたようだ。青年が声をかけてくれなかったら、おそらく乗り逃していた。ありがとう、青年。そして ICE, 全くお前は懲りないやつだ。我々の間には、ある意味での信頼関係が築かれ始めている。

働く場を与えてくれて感謝しています

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