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「つながりたい“から”偽りたい」―さらざんまい1話より

「さらざんまい」!!!! 待ってた!!!! 待ってたよ!!!!!!!!

2018年の2月ごろから「少女革命ウテナ」を見はじめ、8月には「輪るピングドラム」を、年末にはdアニメストアに入会してまで「ユリ熊嵐」を見て、万全の態勢で臨んだ、幾原邦彦監督(以下イクニ)最新作「さらざんまい」1話が放送されました。もう、感無量です。

イクニ作品のなかでリアルタイム視聴出来たのは「ユリ熊嵐」だけです。2015年当時は手法の難解さに自分の頭が追いついていない部分があり十全に楽しめませんでしたが、歳をとってようやくイクニ作品の面白さがわかるようになりました。つまり、「さらざんまい」はリアルタイムにいろいろ考えながら視聴できる……とてもワクワクします!

1話を見た段階で「これはこういうことかな?」とか「これは何だろう?」と考えることがたくさんあり、毎話記録していこうかなと思ってこのnoteを書いています。同時並行で複数のことを考えているので読みづらいかと思いますが、興味のある方はご覧ください。

欲望か、愛か

PVでも出てきたこのセリフ。1話でも「欲望」という言葉はキーワードのように出て来ました。関連していると思われるワードは以下のとおりです。

【尻子玉】
肛門の中にあるとされる臓器でカッパの大好物。作中においては「人間の欲望エネルギーを蓄積する臓器」と言及があった。抜かれるとカッパになる。

【欲望搾取】
欲望を搾取されるとカッパかゾンビになる。カッパに尻子玉はないが、ゾンビには尻子玉がある。(何を書いているのかよくわからなくなってきた。)

【欲望フィールド】
人の世界の裏側。人間には見えない。カッパも同様に人間からは見えず、「生きていて死んでいる」とのこと。(ゾンビもそういう存在の代表格ですね。)

これは私の意見にすぎませんが、イクニ作品で一貫して描かれているのは「他者との断絶を越えて与えること・分け合うことが愛である」というテーマだと思います。「少女革命ウテナ」であれば「王子様」であり、「輪るピングドラム」であれば「運命の果実」、「ユリ熊嵐」では「約束のキス」がそれにあたると思います。反対に欲望というテーマは「ユリ熊嵐」の「スキ」や「あの娘が食べたい」とほぼイコールになるでしょう。

ある種自己犠牲的な愛についてを描いてきたイクニ監督。しかし、事前にインタビューなどを読んだ限りでは別の結論を用意していそうに見えます。

“つながり”というテーマについては、現代を「スマホでいろんなアプリを使って、つながりが日常的になっている時代」と分析する幾原監督が、「つながりたいという欲求と、つながりがうっとおしいという気持ちが混在している。そのままつながっていたらどこに行くのか、つながりを失ったらどうなるのか、つながりが必要なのか必要じゃないのかを描いてみたかったんです」との考えを述べる。

「つながりたいという欲求と、つながりがうっとおしい(鬱陶しい)という気持ち」というこの発言にものすごく興味をそそられました。この鬱陶しさの部分をどう描いていくのかが、つながりや愛についてに関わってくるのだろうと思います。楽しみだ……。

ハコ/kappazonとは何か

1話ラストで衝撃的な扱われ方をした「ハコ」も、イクニ作品ではお馴染みの存在です。他者と完全に断絶した個人の領域のことを言います。愛もなく、つながりもない状態と言えるでしょう。

さらざんまい1話のハコの中身は「他人に見られたくないが同時に他人とつながるためのもの」でした。そして「さらざんまい」という行為によってその秘密は共有されることになります。1話から分け合うことのことの嫌な側面を見せてくるスタイル、嫌いじゃない……。タイトルの「つながりたいけど偽りたい」もこの場面からとっていると思われます。「さらざんまい」とは身も心もつながることですから、そこに秘密や偽りは通用しません。

ただ、見ていて何となく思ったことは「つながりたいから偽りたい」もあるのではないのかなということです。主人公の一稀が街頭のビジョンを見上げながら呟いた「変なの来ませんように」が私の中でずっと引っ掛かっています。つながるためには多少我慢をしてでも自分を偽るしかない、と言いたげなあの感じ。今後のストーリーで触れられることを願っています。

そしてkappazon(カパゾン)というネーミングは某大手ショッピングサイトをもじったものでしょうが、偶然にも「カッパ」と「ゾン」ビという生きていて死んでいるものたちとも読めます。また、ハコをあえてkappazonとしているのはネットショッピングが比較的匿名性の高い欲望の満たし方だからかなとも思いました。(お店で買うのが恥ずかしいものも買えますからね。)

「カエル」という侮辱

ここから先は疑問というか深読みです。一稀と悠がケッピのことを「カエル」と呼んでしまい尻子玉を抜かれるシーン。

「私は王子であるがゆえに、カエルという侮辱を受けるとついカッとなって尻子玉を抜いてしまうのですケロ。」

ケロって言ってるじゃん……。とはいえ、どうしてカエルが侮辱になるんだろうと思ったのです。カッパも両生類のように見えるけれど、カエルがなぜだめなのか。イクニ作品におけるカエルといえば、「輪るピングドラム」で陽毬が探していた本「かえるくん、東京を救う」です。村上春樹の「神の子どもはみな踊る」という短編集の中に収録されています。この話でのかえるくんは人の悪意の象徴であるミミズくんと戦い、大地震から東京を守り抜きますが、ミミズくんに蝕まれて消滅してしまいます。自己犠牲的な登場人物(カエル)です。ひょっとして関係あるのでしょうか? そのあたりも注視していきたいですね。


その他、芥川龍之介の『河童』との関連や、カワウソのマーク、「ア」など、まだまだ気になることばかりです。気づいたところでちょっとずつ書いていけたらいいなと思います。

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