中根すあまの脳みその113

人と、よく目が合う。

これは幼い頃からの、私の特性である。
大人数の前に立っている人、例えばそれは朝礼で終わりのない説教を垂れる校長であったり、もはや別の国の言語かと疑うほどに、理解困難な授業をする数学教師であったり、はたまたライブハウスで必死に歌うバンドのボーカルであったり、人々に平等になにかを伝える行為をしている人と、よく目が合うのだ。
それは現在も続いている。
大学で講義をする教授たちは、こちらがどぎまぎしてしまうほどに、私の目を真っ直ぐに見て話をする。自意識過剰だと思うだろうか。
私も幾度も、これは私の異様に発達した自意識のせいだと言い聞かせたが、それならどうだろう、教授と目が合いすぎてもはや申し訳ない気持ちになることなど、きっとないのではないだろうか。

相手と自分の距離感は関係ない。
講義中、前の席に座っていても後ろの席に座っていても、こちらが顔を上げていると高確率で目が合う。傍から見ておかしくないのだろうかと毎度心配になるほどである。フランス語の授業を担当している、フランス人の講師でさえも、私になにか答えを求めるように頻繁にアイコンタクトを試みるので、曖昧な笑顔で見つめ返すしかないのである。国籍は関係ないらしい。

小学生の頃などはそれを良いことに、先生とアイコンタクトをとることだけに集中して、やる気に満ち溢れた優等生のふりをすることで通信簿の「◎」を大量獲得していたが、学年が上がるにつれ、「眠い」、「サボりたい」といった懈怠の心が肥大化し、その際にこの特性は仇になった。授業中、期待に満ちた眼差しを5秒に1回のペースで向けられると、中途半端に真面目な私の気は落ち着かない。まるで「真面目に話を聞いてくれるのはあなただけよ」とでも訴えるかのような輝いた眼差しに、サボろうにもサボれないのだ。ここまでくると、自意識過剰の域である。おそらく相手はそんなことは思っていない。

例えるなら、ファンサービスをもらいすぎちゃうアイドルオタクである。巨大なライブ会場、満員の客の中で自分だけ、なんども目線をもらっていたら、他の客やそのアイドルに申し訳ない気持ちになるだろう。それと同じなのだ。
なぜそうなのかは分からない。私の顔に常にご飯粒がついているのかもしれないし、実は私はなにか大きな組織に守られた存在で、日々勉強を怠ることがないよう、マークされているのかもしれない。
ただひとつ言えるのは、金曜日の一限でそれは辛いということだ。癖の強い漢文の授業の女性講師が澄んだ瞳を向けてくる。私はいつものように、苦笑いでそれに応えるのであった。

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