中根すあまの脳みその116

その日は、雨が降っていた
加えて気温は真冬並み。秋物の上着では凍えてしまう、室内にいても、だ。
その日は、1限から4限まで、連続して授業があった。ただでさえ憂鬱なのに、窓の外の淀んだ空を見ると、さらに気分が沈んでしまう。
1限の授業は漢文。ふくよかな体型に高めのツインテールがインパクト抜群なこの授業の先生が、私はどうにも苦手であった。私は、まるで人生のように長い100分をどうにかこうにか耐え抜き、次の授業の教室へ向かう。

ドアを開けると、教室の真ん中の席にぽつんと座る、人影が見えた。友人と言うにはまだ早い、だが、顔見知りというには少しよそよそしい、そんな関係性のあの子だ。過ごしづらい天候に苛立っているのだろうか、あまり元気のない様子である。私は、若干の労り込めて「おはよう」と声をかけ、隣に座った。

「おはよう」と、声が返ってくると思っていた。だが実際に聞こえてきたのは、挨拶の言葉ではなく、
「秋、どこいった?!」
という、唐突かつ、的を得た、全日本人が今この瞬間に感じているであろう、些細な不満の吐露であった。私は面食らった。その場に充満していた気だるげな空気が、彼女が口を開いた瞬間に素早く消え去り、代わりに、彼女の次の一言を猛烈に期待してしまうような、
特殊な空気が流れたからである。
言わば「彼女のターン」。挨拶を飛び越えた、パワーに溢れた一言が、その場の空気をすっかり変えてしまったのだ。
私は、とりあえず同意の旨を伝えようと口を開く。だが、その口は言葉を発することなく閉じることになる。彼女が、次の一撃を繰り出したからだ。
「てかさ、傘って、世界一邪魔じゃない?!」
彼女の足元には所在なさげに佇む傘の姿があった。前代未聞の話題の切り替えの速さと「世界一」という謎のスケールのでかさに、堪えきれず吹き出した。確かにそうだ、確かに傘は「世界一邪魔」だ。私は腹の奥底から湧き上がってくる笑いを消費しながらも、懸命に共感を伝えようとする。しかし遅かった。彼女がまた口を開く。
「てかまじ、これ、熱すぎんだけど?!」
彼女がこちら側に何かを差し出している。それは、ホットのミルクティーであった。彼女の目が、「飲んでみろ」と訴えかけている。私はそれを受け取り、ひとくち飲んでみた。
結論、ミルクティーは熱すぎた。
嘘がない。とにかく嘘がないのだ。
「嘘がない」ということが、これほどまでに面白いとは、思ってもいなかった。
「イライラしてんだよねー!!あたし!!」
でしょうね。予想を裏切らない言葉が、これほどまでに面白いことも、私は知らなかった。
もはや私は、感動すら覚えていた。彼女の話し方、勢い、その全てを文章で伝えることは非常に困難である。それがとても悔しい。ただ、連日の早起きと、うまいこといかない諸々とで、荒んでいた心が一気に解放されるような感覚を覚えたことは確かである。
そして彼女は口を開く。
「でも、お金はある」
しみじみと、そう、言った。
そう来るか。これまでの彼女の言葉は、唐突であるという点において驚きはあったが、内容的な裏切りは一切なかった。日常の中でちょっぴりイラッとしてしまうような些細なストレスを、ひたすら真っ直ぐに伝えることで笑いを強奪していたわけだが、この、フォーマットを根底から覆したセリフはまさにオチに相応しく、彼女の話術に関して、さらなる可能性を感じざるを得なかった。

授業が終わって、別々の教室に別れるとき、彼女は、「買い物に行く」と行った。
それは、決意に満ちた表情で。
「お金は、あるからさ」
そう言って颯爽と去っていった彼女のおかげで、憂鬱なはずの1日がだいぶマシになったことを、ここに記しておく。

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