中根すあまの脳みその154
事務所に所属してから、有難いことにオーディションのお話をいただくことが、稀にある。私にふられるのは、ネタ番組などの芸人らしいオーディションではなく、CMや広告などの出演者を決めるものが多い。高校二年生の冬に所属してから、いくつかそういったオーディションを受けてきたが、とりあえず受かったことはない。書類審査が通ってCMのエキストラに選ばれたことはあったが、メインキャストともなると、まず選ばれたことはない。
これは別に、その結果を憂いているわけでも、同情を誘っているわけでもない。なぜなら、私はそれらのオーディションに1ミリの可能性も感じていないからだ。ギャラのことを考えると、選ばれたら嬉しいなー、程度には思うけども、それ以上はない。
きっと、状況を見てみれば誰もが納得するだろう。
オーディション会場に足を踏み入れると、そこに並ぶのは、木の枝かと見紛うほどに細い体に、真夏の太陽かと見紛うほどにギラギラとしたオーラを纏わせてそこに居る、私なぞ一息で吹き飛ばしてしまいそうな、強くて魅力的な女性達。
私は日頃から綺麗な女性を見ると、自分はアニメ『あたしンち』のキャラクターなのではないかという気持ちになる。サンリオのキャラクターでもいい。とにかく自分は3等身くらいの存在なのではないかと、そう錯覚するのだ。彼女たちとは住む場所が、次元が違うように感じる。
そんな私が、美しい女性たちの中でもひときわ強い意志を感じさせる彼女たちと並ぶと、まるで小学生のときにかくれんぼで、掃除用具入れの中に隠れた時のような、窮屈さを感じる。
簡単に自己紹介をと言われ、彼女らが発するのは、透き通っていて聞きやすい声。所属事務所とスリーサイズ、そして、趣味や特技を語る口調は明瞭で、もう何千回と繰り返したというようななめらかさがあった。当然私にそのような準備はない。私の立ち位置は所詮「芸人を名乗っている者」でしかなく、それを思い知らされた私に、彼女たちのようなハリのある声は出せなかった。
普段は芸人をやっていて、いつも、周りはおじ様方ばかりなので、綺麗な女性に囲まれてとても緊張しています。
耐えきれず自分のハードルを下げる。自虐的なことを言って場が和むと少し嬉しいが、自分を堂々と見せることができなくて悔しい。
自分を美しく魅力的に見せることを生業としている彼女たちを前にすると、私という人間はどうにも萎縮してしまう節がある。
数日前。
電車での移動中に、担当のマネージャーが連絡があった。CMのオーディションの話らしい。オーディションの前に動画審査があり、それに応募するかしないか、判断してくれとの事だった。内容は簡単な歌唱。歌っている姿を動画に収めて、それを応募するようだ。
私は隣に座る人に聞こえない程度に低く唸る。うーむ。私の歌唱力は普通だ。普通以上でも以下でもない。それに、例に違わず相手は私より何頭身も縦に長い女性達だろう。まともに戦って、勝てる可能性は極めて低い。
その日は1ヶ月で最も憂鬱な、事務所のネタ見せがあり、帰ったら好きなことをして、思う存分寝ようと決めていた。それなのに、動画の締切は明日だという。正直、正直に言うと、辞退したかった。下手に動画を出してしまうと、駄目だった時に無駄に気分が沈む恐れがある。時間がもったいないのでそれは避けたい。
一方で、万が一のことも考えた。
万が一、一千万が一、オーディションに受かったら、私の銀行の口座が潤い、次の劇団の映画の資金が生まれるかもしれない。そこから仕事が広がって、魅力的な経験がたくさんできるかもしれない。
結局、動画を出さずにだんまりを決め込む勇気は私にはないのであった。
家に帰って、リビングで指定された楽曲を歌い、その様子を母親に撮ってもらう。撮影用の照明も背景もない環境でおさめられた私の姿は、とてもオーディションを勝ち取るようなものとは思えない。他の応募者たちは、もっと整った環境で撮影をしているかもしれない。
母や妹とやんややんやしながら歌を歌っていると、必然的に砕けた調子になる。ブレスをする位置が明らかに少ないその曲は、歌っていると途中で、酸素が足りなくなる。そのタイミングで絶対に吹き出してしまうのだ。自分は、家で、母と妹を前にしてなにをしているのか。これはいったいなんの時間なのか。
選ばれなかったらなかったことになる動画のためのこの時間が、なんだか滑稽で可笑しくて、にやにやしてしまう。後半、見るからに笑顔がすぎるその動画を見て、母はこれにしなといった。常識的に考えて、その動画を出すことは適切ではないのだけども、なんとなく、これが私の武器であるような気がしたし、もしそれが評価されるようなことがあれば、とてもとても嬉しいだろうと思った。
結局私はその動画を提出した。
結果、オーディション会場までの交通費は、2冊の小説へと姿を変えた。
改めて提出した動画を見てみる。不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。今日は、自分の沈んだ心のせいで時間を無駄にすることも無さそうだった。
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