中根すあまの脳みその166

海外のドラマや映画を観ていると、彼らの顔面の造形の特徴として、”目と眉毛の距離が近い”が挙げられることに気づく。
この人、え、かわっ、かわいい…そう思ってその顔を凝視すると、大抵、目と眉毛がゼロ距離。もはやくっついているのかもしれないとすら思える。
この事実に気づいたのは、私が高校を卒業した頃だったように思う。
己の顔を確かめようと鏡を見ると、そこにある目と眉毛はまるで、お互いを嫌うかのように距離をとり、遠く離れた場所に配置されていた。
おお、神よ。
軽く頭を抱えたあとで、私は決意する。
絶対に、目と眉毛の距離を縮め、我が人生を揺るがす顔面革命を起こすことを。

高校を卒業した私は、例の人騒がせウイルスの暴走によって、引きこもり生活を余儀なくされていた。無論、私はそれをチャンスと捉えた。そう、人に会う機会がない今、私の眉毛がどういう状態だろうと、それに気づくものはいない。力強い足取りで洗面所に向かい、カミソリを手にする。
「眉山は剃るな」いつか誰かがそう言っていた。だが、そんな生易しい教訓、私には通用しない。それは、生まれ持った眉毛を生かすことで美しさを得ることができる、一部の恵まれた人間にだけ適用される、脆く儚い教訓なのだ。私は気持ちを奮い立たせ、眉毛に刃を立てる。眉山及び、眉毛の上半分を大きく剃り落とす。これから長い戦いになる。過酷な日々に思いを馳せながら、私は洗面所を後にした。

その日から私の生活は変わった。
まず、毎朝、顔を洗う時に眉毛の形を整えることを習慣とした。失われた眉山は自我が強く、たった一日放置するだけで、その存在をこちらに誇示してくるのだ。敵は粘り強い。
そして、アイブロウペンシルで本来の眉毛より低い位置に眉毛を書き、その上にアイブロウパウダーを重ね、わざとらしさを緩和する。若干青みを帯びた眉山の部分はそのままだと目立ってしまうので、
①ピンク系の化粧下地を塗る
②コンシーラーを塗る
③リキッドファンデーションを塗る
④パウダーをはたく
⑤ハイライトを塗りたくる
というように、とにかく塗る。いろいろ塗る。躊躇する必要はない。塗れば塗るほどよいのだから。
さらに、目と眉毛の距離をより近く見せるために、アイシャドウを眉毛ギリギリまで塗り、その上にシェーディングを重ねる。私の顔面に、1ミリも存在しない”彫り”を生み出す作業だ。存在しないのなら、生み出せばよいのだ。道がないのなら強引に進むのだ。進めばきっと、道は開ける。化粧をしているときの私は、アマゾンの奥地へと赴く探検家や、エベレストに挑む登山家といい勝負ができるくらいの高い志をもっているのだ。

気づけば眉毛との戦いも、2年ほど続いていた。どれほど激しい戦いでも、時間が経過するとそれは日常となる。そう、私の眉毛戦争はもうすっかり、ただの”習慣”となっていたのだ。
そんなある日。
いつもの通り、カミソリを手にして鏡の前に立つ。そっと眉毛に視線を合わせると、あることに気づいた。剃るべきところがもう、存在していないのだ。かつて眉山があったはずの場所は、まるでそれが幻であったかのように、つるつるとしている。

終わった。

長い戦争が終わったのだ。
私の勝利をもって。

私は静かにカミソリを置くと、小さくガッツポーズをとる。
強い意志が世界を変える。高い志が顔面を変える。以前より近くなった目と眉毛の距離はそのことを証明する、ひとつの誇らしき象徴だ。
そして私は、新たな敵に出会う。
ぼやぼやと緩みきったフェイスライン。
不思議だ。眉毛という敵を味方につけた途端、今まで対して気にならなかったそこが、急に脅威となった。
私の戦いは、終わらないのだ。

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